思い出になれない犬

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「犬を飼いたい」から「犬に触りたい」にまで願望が変化したのは、「犬を飼いたい」という一念が薄まったからではなく「飼えなくてもいい」だから「せめて触りたい」という、おさまりがつかない自分の願望を、満たせそうなレベルまで下げただけのことである。しかし、中学三年生ともなると、夏には部活動がクライマックスを迎え、終えた秋からは受験勉強へと生活がなだれ込み、犬を飼うどころか、犬に触るどころでもなくなってしまった。 無事に受験を終え、高校が決定すると、その準備にもすぐに追われた。僕は野球部に入部することも決まっていたため、休みらしい春休みもなく部活動がすぐに始まった。怖そうな先輩達や、新たな同級生との関係をつくっていかなければならなかった。だから余計に『犬を飼いたい願望』のこともすっかり忘れてしまっていた。 そのようにして忙しなく高校生活がスタートし、電車にゆられて通学することにもすこしずつ慣れ始めてきた頃、母のはからいによって、僕は子犬と出会うことになった。端に追いやられ、いつのまにか色褪せ、消えつつあった夢が、再び中心に呼び戻されたと思った途端に叶ったのである。ほんとうの歓喜の極みで僕は、客観的ではいられなかったらしく、この瞬間の僕の態度やとった行動について、僕自身はなにひとつ憶えてはいなかったが、のちに母から聞いた話によると、子犬を見るなり僕は跳ねて大喜びし、大興奮していたらしい。このようにして僕の『犬がいる生活』は、自分でもその喜ぶ様を覚えていないほどの、夢の成就の幸福感のなかで始まったのであった。 飼っていくうえで、重要な事を決めねばならなかった。それは名前である。僕は密かにカッコいい名前をいくつも考え列ね、命名会議で提案してみたが 、どれも賛同は得られなかった。結局、産みの親?である母の「ゴンタでいいんじゃない?」の一言で、なんとなく決定した。僕もそれほど異議を唱えることはなく、父も妹もさして意見せず、その瞬間から子犬は、「ゴンタ」と呼ばれることになったのである。
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