そこでしか話せない

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 十月に入り、寒暖の差が激しくなっていた。  暑いときは汗が出るほど暑く、寒いときはコートが必要なほど寒い。  今日はといえば、葛西はコートを着たうえマフラーまで巻いていた。  葛西は独身だ。  そして、親元からも離れている。  風邪をひいても、看病をしてくれる人はいない。  寝込みたくないという恐怖が、よけい葛西に厚着をさせた。  腕時計は午前二時を指している。  入社当時は会社と同じ地区に住むことに抵抗があり、あえてギリギリ通勤圏内の物件を借りていたが、一年と経たずに会社から徒歩二十分のアパートへ引っ越した。  この不景気な世の中、ありがたいことに仕事はやってもやってもなくならない。  会社は潰れないだろうが、機械でない葛西の体は疲労が蓄積していく。  せめて、自室のベッドで疲れをとりたかったのだ。  あと、二角曲がったらアパートだ。  葛西は安堵の息を吐いた。  今日は何事もなく、帰れそうだな。  昨夜の出来事を思い出し、葛西は右側の塀を見た。  二十四時間前、ここで猫同士の決闘が行われていた。  一匹は太った茶色の猫で、もう一匹は痩せた黒猫だった。  赤ん坊が泣くような声を出し、二匹は本気のひっかきあいをしていた。  やはり体格の差がものをいったのか、負けたのは黒猫だった。  傷つき、バランスを崩して塀から落ちたところを、葛西は咄嗟に受けとめた。  思いがけないあたたかさに、このぬいぐるみのような物体にも命があるのだと教えられる。  葛西はスマホで救急対応もしてくれる動物病院を探し、走った。病院へは半時間で着けたが、待合に人と動物が何組かいて時間がかかりそうだった。  葛西は受付の女性に事情を説明した。  女性は診察室へ行き、ほどなくして女の看護師が包帯と薬を持ってやってきた。  看護師は応急手当をし、診察室へと帰っていった。  待合室のソファに座り、黒猫の傷ついていない箇所を指の腹で撫でる。  黒猫と目が合った。  葛西は黒猫の目が左右で違うことに、初めて気がついた。  右は黄色、左は水色。  病院のドアが開く。  黒猫が葛西の膝からサッと降り、犬を抱いた女と入れ違いに外へと出て行った。  慌てて葛西も病院を出るが、黒猫の姿はどこにもなかった。  そのときの喪失感が葛西の中にまだ残っている。
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