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「マロンショコラか……いいねぇ」
津幡さんは目尻に皺をよせながら笑った。
「渋皮のまま洋酒で煮含めた栗をイメージしたっていうのがいい」
ほっくりした栗の甘さと渋皮のほろ苦さで、上質なローストカカオの深い香りを引き立ててくれる。マロンショコラはリラックスタイムに最適で、やさしく幸せな気分にしてくれるお茶だ。
ちなみに香水斗に教えてもらった。教えてもらわなければ、僕は今でも知らなかったしビール一筋だっただろう。
「僕はミルクティーにするのがオススメでね」
津幡さんは楽しそうにマロンショコラについて語ってくれた。よかった、喜んでもらえて。
「そうそう、香水斗との出会いはね、私の庭にある金木犀に惹きつけられるように来たんだよ。最初は不審者かと疑ったぐらいだ」
津幡さんは嬉しさで興奮しているのか、香水斗との思い出を話し出す。
「津幡さん、不審者とは酷いじゃないですか。俺はきちんとインターホンを押しましたよ」
香水斗は不服そうに腕を組んだ。
「それでも突然の訪問だったからね。詐欺師かと思って警戒したよ。お高い壺でも売りつけてくるのかと思った」
「そんなことしないですよ。興味もないし、めんどくさい」
香水斗は小さくため息をつく。
「まぁ、香水斗みたいな人が急に来るとビックリしますよね」
僕は当時の津幡さんと香水斗を想像する。僕も最初出会った時はかなり警戒した。
「そうそう、ムダに身体はいいからねぇ」
茶化すように津幡さんが笑う。僕も釣られて笑ってしまった。
「ムダにとはなんだ。ムダにとは」
ーーコンコンコン。
「香水斗さん、ちょっといいですか? 相談したいことがありまして」
応接室に入ってきたのは藤さんだった。
「あ、津幡さんお久しぶりです」
藤さんは津幡さんと知り合いなのか、頭を下げる。
「久しぶりだね、元気にしてたかい?」
「ええ、まぁ」
やっぱり藤さんは香水斗以外には素っ気ない。
「急用か?」
香水斗は不機嫌そうに顔を藤さんに向ける。
「ええ、すみません」
藤さんは申し訳なさそうに頭を下げる。なんのことか気になったが、津幡さんがいる手前聞くわけにはいかなかった。
香水斗は藤さんに呼ばれてどこかに行ってしまった。津幡さんと二人きりになってしまい、少しだけ話題に困ってしまう。津幡さんとの共通点がまだない僕には人見知りが発動する。
「啓明君に名前を呼ばれた時、亡くなった奥さんを思い出したんだ。彼女も金木犀が好きだった」
ふと、津幡さんが話し出す。
「え?」
突然の話題に僕の声が裏返った。
「話が分かる相手がいなくなって寂しいんだ。時々、相手をしてくれないか?」
津幡さんはスキンシップが近いのか、僕の手を握った。僕は握り返すこともできず、そのまま固まってしまう。
香水斗にオーダーするってことは常連さんってことだよな……。下手に断って顧客を失うのはよくないし時々、話するくらいならいいか。
「僕で良ければいいですよ!」
僕は営業スマイルで津幡さんに笑った。この時の僕は話すだけだと思っていたのに予想と違う関係に発展してしまう。
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