第4章

6/11
1184人が本棚に入れています
本棚に追加
/59ページ
貴臣の昨夜の予感は的中した。 「____ああ、そうだ」  自分の声はこんな声だっただろうか。  他人事のようにその光景を見ていた。走り去るヒール音を遠くに聞いていた。呆然とするとはこの事を指すのであろう。眉が垂れるわけでもなく、涙が出るわけでもない。ただ、そこに立ち尽くしていた。 「兄さん・・・」  いつもは反抗的な弟も、このただならぬ雰囲気に唇を噛みしめている。そこにいたのは十秒だったか、一時間だったかはわからない。気が付くと社長室のデスクに向かい腕を組んでいた。組んだ足がデスクの引き出し部分に当たるたびに、きゅっと革の擦れる音がした。  先程まで腕の中にいた温もりが無邪気に笑う顔が、私を拒絶するようにいなくなってしまった。何を過信していたのだろう。真実を知っても私から離れる事は無いと、そう思っていた。これまで女に捨てられた事など一度も無い。プライドからの感情なのか、相手が沙也加だからなのかなど考えなくても答えはわかっていた。  プルルルルルルル__  静かな室内に響き渡る着信音に、嫌でも視線を向けると画面には”大谷真”の文字。昨夜話した相手からこんなにも近々に連絡が来るなどそうない事だ。会社の経営もほとんどを任されていて、指示されたのも遠い昔の記憶だ。  今は話したくない。  そう思っても鳴り続ける電話に降参するように貴臣は受話ボタンを押した。 「・・・」 『今、沙也加さんと一緒にいる』 「___ええ」  普段は柔らかな話し方をするのに、このような時はやはり父親の声を出すのだとぼんやりと思う。 『貴臣。お前のした事は正しい事では無い。それはお前もわかっているだろう。私は___百合さんの大切な娘さんを傷つけたお前の事を、男として憤っている』  父から怒りを向けられる事などいつ以来だろうか。 『しかし、父親としてお前の幸せを願う私もいるんだ。本来ならばそんな男捨ててしまえと助言するかもしれない。だが今回の事は色んな事情と、お前の言葉足らずが原因だ。言葉を交わせ。愛し合っていたとしても、言わねば伝わらぬ事など星の数ほどあるんだ。___今回限りだ。しかし、彼女の王子様はお前ではなくなるかもしれんな』  意味深な言葉で唐突に切られた電話が、貴臣の心に何を想わせたのか知るものはいない。
/59ページ

最初のコメントを投稿しよう!