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一昨年より得た病は昨年さらに進行し、初日の出も見納めかと諦めの心境で迎えた正月だ。人生最後の初夢としてなら面白いかも知れぬと思えてきたら、気持ちに余裕が出てきた。すると腹が鳴る。箸に手がのび、鍋をつつく。タラをつまんで口へ運ぶと、これが実に美味い。熱燗を一口。こちらも絶妙。途端に緊張がほぐれ、舌も滑らかになる。
「江戸いろはかるたのことわざでしたね。最後を飾る『京』の札。正月のたびに遊んだものですが、意味にはさっぱり無頓着な子供でした。いや、お恥ずかしい」
薄くなった白髪を掻きつつ照れ笑いを浮かべる白木の話を、夢八は時折右手で頬を撫でながら相槌を打って聞く。おしゃべりなだけでなく、聞き上手でもあるようだ。
「かるたでっか。大勢で遊ぶと楽しいですな」
白木はネギ、白菜、鶏モモ肉と次々つまむ。どれを食べても口中に幸せが広がった。これほどに食欲がわくのはいつ以来だろう。
「大勢で遊んだことはありません。正月は家族四人で過ごしておりました。両親と私、そして兄……」
兄の顔を思い浮かべると、胸に痛みを覚えた。
「お兄さんとの仲はよろしかったんですなあ」
「ええ。ただ、もうこの世には……。病弱な人でしたから」
鍋にほんのり塩味が増した。この話はよそうと思ったが、意に反し舌は動く。
「兄は十四で旅立ちました。短い人生だったと思うでしょう。でも、兄は最期に、俺は長寿を全うしたから悲しむなと笑ったんです」
「そらまた不思議ですな」
不思議の塊の黒猫が首を傾げる様に、悲しいのか可笑しいのか、自分でもわからなくなる。ただ、鍋は塩味が増してもやはり美味い。酒もすすむ。
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