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季節の移ろいとは早いもので、安政三(一八五六)年も、すでに夏の盛りを迎えている。
父の八平が亡くなって、すでに半年以上が過ぎた。龍馬は、この頃になっても常に父八平との約束を戒めとして、剣術の稽古に励む日々を送っていた。
今日もまた、龍馬は一心不乱に庭先で竹刀を振るう。
「龍馬…おまんは、いつまでこの土佐で、ゆ~っくりと羽を伸ばしちゅうつもりぞね?」
竹刀の素振りを繰り返す龍馬の手が止まる。視線を移すと、乙女(とめ)が縁側からこちらを見据えていた。
龍馬が亡き父を気遣って、自ら喪に服している事は乙女も知っていたのだ。
「な、何ちや?アシは、別に羽根らぁ伸ばしちゃあせんろうが…」
今も鍛練の最中であった。心外だと言わんばかりの表情を浮かべるが、龍馬は内心、姉の洞察力に感服する。
確かに、龍馬は父の死が忘れられず、その為に新たな一歩を踏み出せないでいる自分が存在した。父を亡くした事で、彼の心の中にやり切れぬ虚無感が芽生えていたのだ。
「えい加減にしぃや!全く、いつまでこの土佐で燻っちゅうつもりちや?父上も、草葉の陰できっと呆れちゅう…」
何とも、乙女らしい言い回しである。
黒船来航により、世の中の移り変わりは目まぐるしく、この土佐でさえ攘夷の気運が高まり始めていた。
そんな中、移ろぐ世情から取り残されて行く弟を見兼ね、乙女は苛立ちさえ覚える始末だった。
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