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0.蛇と箱庭
姉は優しい人だった。
細い指先が書きかけの脚本を捲る。白い手袋を頑なに外さない彼女に、その潔癖の理由を問うたことは、そういえば一度もなかった。
紙の擦れる音がする。姉の背から視線をそらさずに、わたしは廊下の気配を探る。たゆたう優しい沈黙を、意地悪い父母の使いが遮ってしまう前に、姉の部屋を出て行かなくてはいけない。
そうしなくては――。
姉がまた怒られてしまう。
きっと、わたしのことを疎む気持ちもあるのだろうに、姉は来訪を喜ぶ。唇に人差し指を当てて、まるで幼子に聞かせるように、いつもと同じ悪戯っぽい声を漏らす。
――静かにしてね。
わたしはいつも、扉を閉めて頷く。姉の空想が満ちた世界で、初めて深く息を吸う。
同じ家にいるわたしたちは、二人きりのときにしか家族になれない。
二人になったって、会話があるわけではない。町民の女の子がするような話は、わたしたちには何もない。だからいつも、姉は黙って本と向き合っていて、わたしはその背を見詰めている。
だからなのか――。
わたしには、姉をはっきりと思い浮かべることができない。
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