17人が本棚に入れています
本棚に追加
/11ページ
最後の夜
翌朝。明日で、この同居モニターも終わりとなる為、今日が最終日となります。
しかし、私は独りリビングで朝食を食べています。自分で用意し、テーブルに並べ、独り静かに朝食を食べていました。テーブルには、昨日の飲み会のゴミがそのまま置かれていましたが、私は気にもせず、淡々と料理を口に運んでいました。
朝食を済ませると、ソファに座り読みかけだった本を読みます。お気に入り作家の小説で、サスペンスが大好きな私は読書に没頭する事で、耳に入ってくる嫌な現実から逃避するのでした。
お昼頃になると、リビングに下着姿の八十島さんが来ました。喉が渇いたようで、冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、そのまま口へと運び飲んでいます。口から僅かにこぼれた水が、首を伝わり胸元へと流れますが、気にしていないようで、飲み終わるとペットボトルをキッチンに置きます。そのまま冷蔵庫からお酒と、食料を持ってリビングから出ようとする時、ソファに座る私に気づきました。
「ビックリした。いるなら言ってよね」
「ごめんなさい。読書に集中していたから」
「そうなの。どんな本を読んでるの?」
「サスペンス小説よ。不倫した夫を、妻と浮気相手が共謀して殺す。……そんな内容ね」
「へえ……難しいそうね。現実には、ありえなそうなシュチュエーションね」
「そうかしら、実際に起こった事件が題材だそうよ」
「ふーん。それより、私の部屋で一緒に飲まない? 今日で最後でしょう。だから、思いっきり自堕落な生活をして、騒いで終わりにしよう」
「私は、本を読んでるいるから遠慮する」
「気が変わったら私の部屋に来てね」
少し寂しそうにして、八十島さんはリビングを後にします。私は、これで読書に集中出来ると思い、再び没頭します。朝食と一緒に、作っておいたサンドウィッチを食べながら、ひたすら文章を追い、小説の主人公である妻がどのような結末を迎えるのか。私は、それだけが知りたかったのです。
小説の結末へ辿り着くと、私は本を閉じました。すでに日は落ち、リビングは暗くなっていました。私は台所に向かい、コップに水を入れるとゆっくりと飲みます。
職場で孤立した事、結城さんの事、八十島さんの事、小説の物語の事、そのすべてを胃袋に流し込むようにして、私は水を飲み干しました。
そして、私は八十島さんの寝室へと向かいました。
寝室の扉を開けると、そこには半裸でお酒を飲んでいる二人がいました。突然の訪問に、ビックリした二人でしたが、悪びれる様子もなく、結城さんは私に言います。
「何だ、あかりかよ……ビックリした」
「何をしているの?」
「何って……そんなの見ればわかるだろう?」
お酒の瓶や食べ散らかしお菓子の袋など、部屋の中はゴミが散乱していました。人間が住む環境ではない、不潔で不衛生な劣悪な光景に、私は嫌悪しました。
もう、言い訳の出来ない状況に絶望した私は、持って来ていた包丁を二人の前に出しました。
「おいおい、勘弁しろよあかり。そんな物持って来てどうするつもりだ?」
「結城さんを殺して、私も死ぬ。そして、八十島さんには、罪を被ってもらう」
リビングのテーブルには、私が書いた手紙が置いてあります。私と結城さんの仲を嫉妬した、八十島さんに殺されるかもしれない――と、嘘の手紙を書いておきました。これは、読んでいた小説から拝借した罠でした。夫を殺した主人公の妻が自殺すると、残された浮気相手は、この手紙が見つかり警察に捕まる――それが、この小説の結末でした。
私が本気だと知ると、結城さんの態度が一変します。
「待て、あかり……話し合おう。話せばわかるから」
「何を、話し合うの? 私の気持ちを知りながら、こんな事をしておいて。それに、私の話なんてつまらないでしょう?」
「……そんな事ないよ。僕は、あかりの話がつまらないなんて、思った事ないよ」
「嘘つき! 八十島さんに、私がつならない――と話しているのを、聞いているから」
「そ、それは……ごめん」
身の危険を感じ、私を落ち着かせようとする結城さんですが、すべて空回りに終わります。そんな安っぽい嘘は、かえって私の怒りに油を注ぐだけでした。必死に、打開策を模索している結城さん。
その時、これまで黙っていた八十島さんが口を開きます。
「ちょっと、あかり。さっきから聞いていたら、自分だけ被害者のような顔をしているけれど、あかりにだって落ち度はあるでしょう」
「私? 私は何も悪くない。悪いのは、結城さんでしょう。私は、結城さんに尽くして来た。それなのに、私を裏切って八十島さんに手を出したのは、結城さんじゃない。私は、何も悪くない!」
「あかりが、清十郎に尽くしているの知っている。でも、あかりは清十郎の為に、自分を変える努力はしていない。ありのままの自分なんて、他人が受け入れてくれるとは限らない。本当に大切な人なら、相手を変えるんじゃない自分が変わらなくちゃいけない。そこから、あかりはずっと逃げているだけだよ」
私は、八十島さんの言葉に、心臓を撃ち抜かれるくらい衝撃を受けました。職場でも、最初から孤立しているのではなく、周りの人達も私に声をかけてくれていました。今度の休みに遊びに行こうとか、昨日のドラマの話など、今にして思い返せば、私を気遣っていたのでしょう。しかし私は、遊びに行く事も、ドラマにも興味がなく、無愛想につき返すだけでした。私の方から歩みよる努力、八十島さんの言う「自分を変える努力」から私は逃げていました。自分を変えてしまうと、自分がなくなってしまうようで、私は周囲の人間から鎖す事で、自分を守っていたのです。
結局、私もわがままな人種でしかないのです。
すでに、二人に対する怒りの炎も鎮火し、結城さんに対する気持ちも、すっかり冷めていました。しかし結城さんは、まだ自分が殺されるかもしれないストレスに怯え、ついに本性を見せるのでした。
「まったく、なんだって良い方向に進むと、女は邪魔をしてくるんだ。前の婚約者もそうだ。仕事も順調で、結婚だって控えていたのに、たまたま会社の女に手を出したくらいで、訴えるだのなんだのって、こっちの身にもなってもらいたいもんだ!」
「…………婚約者?」
結城さんには、婚約者がいたようです。そんな話を聞いていなかった私は驚くのですが、衝撃の告白は、さらに続きます。
「ああ、そうだよ。お前のような、清楚ぶった女で、会社もすべてを台無しにしようとした。だから、殺してやった!」
「え? 殺した?」
「…………」
嘘だと思いたかったです。しかし、こんな状況で嘘をつく事メリットがありません。
呆然とする私に、結城さんはさらに悪魔のような提案をするのでした。
「そうだ、あかり。こうしよう? 二人で、泉を殺さないか?」
「……え? な、何を言っているの?」
「こんな風に、僕とあかりがこじれたのは、全部泉のせいだ。この女がいなければ、僕たちはやり直せる。だから、泉を殺そう!」
「――な、何いってるの、清十郎!」
泉さんも声を荒げました。当然です。結城さんの提案は、誰が聞いてもグズそのものでした。
これまで、結城さんに抱いていた好意の感情が一気に崩れていきました。
「なあ、そうしようあかり。二人で幸せになろう。僕にはあかりが必要なんだ!」
「…………」
「そう。あなたじゃ、どっちも幸せにはできないわ」
「!」
そう言って、八十島さんは後ろから結城さんの首に紐を引っかけました。背中を合わせ、結城さんを抱え上げるようにして、八十島さんは首を締めます。
私は、この状況に頭が真っ白になってしまい、呆然と、その異常な光景を見ているだけでした。
「……や、やめろ!」
「私を殺そうとしたくせに、何を言っているの? あかり、あなたも手伝って! 足を、押さえて!」
「…………」
「あかり!」
思考が停止していた私は、八十島さんに言われるがまま、結城さんの足を押さえて暴れないようにしました。最初は、バタバタと抵抗していた足ですが、やがて力尽きるように動かなくなり、完全に足が止まる頃には、もう押さえている必要はありませんでした。
結城さんは死んでしまいました。
「あかりー! 怖かったよ」
「…………」
紐から手を離した八十島さんは、私に抱きついき泣いています。子供のように泣きじゃくる八十島さんを、私は母親のように背中を擦ってなだめます。
静まり返った部屋には、八十島さんの泣き声だけが響いていました。
最初のコメントを投稿しよう!