第5章 刹那的な日々

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 窓の外には綺麗にライトアップされたレインボーブリッジや蒼白い窓をちりばめた高層ビルの黒い影が望まれる。東京湾の水面は黒く煌き、屋形船のオレンジ色の灯りが彩りを添えていた。  武は床から天井までガラス張りになっている広い窓越しに夜景を眺めていた。二十八階にあるバーからの眺望は圧巻で、見飽きることがない。  汐溜にあるこのホテルは最近進出した外資系ホテルの例に洩れず、オフィスも兼ねるビルの高層階にレセプションがあり、ラウンジバーはその向かい側だ。天井が物凄く高く、高級ホテルだからか相対的に空いているのが気に入っている。  中央にあるバーのカウンターはメタルを多用した無機質なデザインで、ラウンジにはソファーが贅沢に配置され、窓に沿ってカウンター席が並んでいた。店内はメニューが読めないほど薄暗く、隣の席に座っている客に声をかけられたりする鬱陶しさとは無縁の隠れ家だ。  武は良介と飲みに来ていた。なぜかここには女友達を連れて来る気がしない。どんな女性もこの夜景を喜ぶに違いないとは思うものの、せっかく見つけた聖域を女達に荒らされたくはない。  このバーには媚をたたえた黄色い声は不似合で、遥か下界に東京を見下ろしながら、ふと自分を見つめ直すための貴重なスペースだ。 「で、何が問題なんだ?」  良介に尋ねられた。今夜は昔みたいに威勢良く飲もうと語り合ったのだが、彼はいかにも真っ当な社会人らしく、ロックのグラスを揺らしながらモルトウィスキーをちびりちびりと飲んでいる。  武は対抗するようにモルトの入ったグラスを一気に空けた。 「それが自分でもわからないわけだ。いや、何となくわかってはいるな。つい最近スランプに陥った。曲が思い浮かばない。そういうことは前にだってあったさ。でも今回は少し違っていた。 昔は呻吟すれば求めている旋律を必ず生み出せるという自信があった。でもこの前は、ひょっとして僕の才能はこれで終わりじゃないか、と本気で心配になった」 「お前、疲れているんだ。休めよ」 「いや、休んだりしたら、これで本当に終わりになってしまう」  良介は振り向くと笑った。 「いつも過剰なぐらい自信家なお前にしては珍しいな。あれか? 女にうつつを抜かし過ぎて創作力が枯渇でもしたのか?」 「最近は控えているさ」
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