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「……透くん……」  その名前を呼んでも、返事をする相手はいない。  “先生” そう言っていつも穏やかに微笑んでくれた彼は、泣きながら去っていった。  両手で顔を覆った。後悔しても遅いのに、水神の胸の中には後悔ばかりが広がって、過去に戻りたいと願った。  せめて数時間前でいい。カップ麺を買いに行って、手を繋いでいたあの時間に戻れたら―――― 「……今すぐ、好きだって言えるのに……」  いや、違う。そんな後悔は意味のないものだ。水神はそう思った。  実際の水神は、あれだけ透に言われても“好きだ”というその一言が最後まで言えなかったのだから。きっと、時間を巻き戻せたとて、また言えずに口ごもるのだろう。  全然かっこよくなんかない。初めて恋をした自分は、臆病で卑怯で、相手を傷つけてばかりだ。  水神はスマートフォンを握った。交換して間もない透の電話番号を見つめる。  このまま人差し指でサッとこの電話マークを押せば、透に電話を掛けられる。眠っているかもしれないし、敢えて出ないのかもしれないけれど。水神の手が震えた。  “さよなら、先生”  あのときの透の言葉が頭を駆け巡る。全てを拒絶した別れの言葉だった。あのときの透の瞳は、今まで水神に向けてきたキラキラと輝く純粋な瞳ではなかった。何もかも知って、絶望した闇を抱えた瞳だった。  それを思い出すと、電話を掛ける勇気が出なかった。たった一度、指を動かせばいいのに、それすらできずに固まってしまう。 「……もう、会う資格なんてないんだ……」  あれだけ透を傷つけて、何を言えばいいと言うのだろう。  水神は、スマートフォンを床に叩き付けて、再び机に突っ伏した。  眠れるはずがない。だからと言って、原稿を書けるはずもない。  八方塞がりの精神状態だった。透のことしか考えられない。何も手が付かない。 「私も……」  ――――辞めてしまおう。  贖罪の気持ちもあった。  けれど、それ以上に、何も手が付かない精神状態ではもう無理だと思った。もう、書けない。  明日になったら編集部へ電話しよう、水神はそう決意した。
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