天国と地獄

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つり革を握る手が汗ばむ。 5月の早過ぎる夏日に、朝子は通勤電車に揺られていた。ゴールデンウィークの狭間の平日はいつもよりも電車が空いているものの、座席はしっかりと埋まっている。 朝子は軽く溜息を吐く。電車の外では明るい陽射しが燦々と降り注ぎ、休日然としていた。朝子の働く幼稚園でも、多くの子供は休みをとり、家族と過ごしている。朝子は残った子供たちの為に歌を歌い、絵本を読んだりするのだ。彼らは知っているだろうか。他の子供たちが家族で休日を過ごす中、なぜ自分たちはいつものように幼稚園に来なければならないのか。 いっそのことゴールデンウィークは全て休みにしてしまえば良いのに、と朝子は思う。そうすれば、彼らの親も休みをとって遊びに連れて行くかもしれないし、少なくとも彼らだけ幼稚園に来てみじめな気持ちになることはなくなるだろう。そして朝子は働かなくて済む。大学時代の友人と連日飲み明かしても良いし、恋人とバリ島へ旅行に行っても良い。 しかし現実は、がらりとした教室で、いつものように歌を歌い、絵本を読むのだ。 「おはよう。連休中に来てもらっちゃって、悪いね。」 幼稚園に着くと、園長の桂木が声をかけて来た。桂木は60代半ばくらいの好々爺だった。綺麗に整えられた白髪がふわりと頭に乗っている。園長の穏やかな雰囲気は幼稚園全体を包み込み、朝子を安心させる。朝子がこの職場を選んだのは、高円寺という立地と園長の桂木によるところが大きかった。 「いえ、特に予定もありませんし。大丈夫ですよ。」 朝子は笑って答える。職員室のホワイトボードに目をやると、今日ゆり組の担当は朝子と後輩の2人だけだった。いつも厳しい主任も休みなので、のんびり出来そうだと朝子は少しホッとする。主任と2人での仕事だったら、きっと普段の倍ほど気を使って疲れきってしまうだろう。 「おはようございます。」 ユリエが元気良く職員室に入ってくる。彼女は朝子よりも3歳年下の24歳で、しかし、その幼い顔つきと元気の良さから、ずっと若く見えた。 「主任、お休みなんですね。良いな。家族で旅行ですかね。」 ユリエは屈託なく喋る。 「でも、朝子さんと2人で良かったです。主任と2人じゃ、ちょっと緊張しちゃいますから。」 三島は思ったことを直ぐ口にする。それも彼女を幼く見せる要因だと朝子は思った。
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