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 蒼穹の空を黒雲が長尾を引いて流れ行く。それは次第に蒼を黒に染め、見上げる庶人の胸を不安と畏れに満たした。  それから間もなく―である。  駕絡(がらく)国第十二代帝延塊崩御の触れが、国中を駆けた。  六四八年(和同三年)、三月四日の事である。帝位は二十三年目を迎えていた。 『礼記(らいき)曲礼(きょくらい)篇に「天子の死は崩と日ひ、諸侯は(こう)と日ひ、大夫は卒と日ひ、士は不禄と日ひ、庶人は死と日ふ」とある。  要するに皇族、高位の者の死は問わないし、その因を公にすることもないという意味である。つまり、死因は庶人に公表されることはない。ただ―、  お隠れになった、とされるだけである。  然し、庶人とは軽軽しいもので、あれこれと詮索憶測するもの。やれ病を拗らせた。やれ毒殺された。やれ刺し殺された、等等。  それでも先帝が『死んだ』のは事実。では、次の帝は、と云う話になる。そんな折にお披露目になったのは、おどおど挙動が不信で痩せっぽちの延塊のひとり息子、駕延である。  また、新帝が立つと云う事は、慣わしとして千人近くいた後宮勤めの宮女は馘首である。もちろん俸禄は多額。  新帝駕延の正妃は朧舟(ろうしゅう)と云う。幼い頃から決められた婚姻ではあったが、子が孕めない身体であるのが、つい先日分かった。駕延は朧舟に暇を与えようとしたが、これを止めたのが宦官の寧恩。頭が切れ、器量よしの朧舟を馘首にするのは止した方が良いと―。   時に年号は庚寅(こういん)に改められた。由来は駕延の産まれ年にある。
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