中の人なんていない

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「おはよーございまーす」  午前9時。控え室のプレハブに入ると、パイプ椅子に社長の背中があった。 「おう、勇一(ゆういち)か」 「相変わらず、早いっスね」  向かい合わず、直角の位置のパイプ椅子に腰を下ろす。  俺は、手にした黒いリュックから出したカロリーメイトと缶コーヒーをテーブルの上に置いた。 「また、そんなもんが朝飯か」  手元の台本からジロリとこちらに視線を向ける。台本の表紙には、『デリバリー戦隊・トドケルンジャー』と黒マジックでデカデカ書かれている。 「これで充分スよ。それより台本(ほん)変わってないっスよね?」  社長は、戦隊ヒーローステージショーを主に請け負っている弱小プロダクションの経営者である。代表取締役にして、現役の出演者。更に台本から演出までも手掛けるマルチクリエイターなのだ。  製作に対する情熱は、50代を半分以上過ぎてもなお衰え知らず。本日も悪の総統「メガリーマン」として、黒づくめのタキシードに金と赤でスカルの刺繍が入ったマント、という地味派手な衣装に身を包んでいる。  因みに「メガリーマン」とは『巨大なサラリーマン』という意味ではなく、インドだかトルコだか……あの辺の古代の悪神「アーリマン」に「メガ」を付けた、れっきとした社長の造語だ。しかしネットのまとめサイトに『サラリーマンの歪んだ悲哀が具現化した存在』と書かれたことから、この説が独り歩きし定着してしまった。  世間の関心とは可笑しなもので、『社会風刺的な戦隊モノ』と情報番組で紹介されたのをきっかけに、一部の大人達から熱狂的な支持を受け始めた。お陰様で、うちみたいな弱小プロダクションが様々なイベントでオファーを頂くようになったのである。 「4ページの、怪人がバリピンクを羽交い締めにするシーンな、千秋(ちあき)が休みだから無しだ」 「え、アイツ休みなんスか?」 「教授がインフルエンザになったとかで、試験監督に駆り出されたらしいぞ」  千秋は都内有数の某私立大学の大学院生だ。小柄な体型と優れた運動神経は、この仕事に適しているが、中身は知的なリケジョである。普段は研究室でバイオ何だかを培養しているとか云々……説明されたが、俺の頭では到底理解できない。
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