1人が本棚に入れています
本棚に追加
/3ページ
その後も彼は、いつも一人で墓地に向かっていたが、理由がわかって満足した私がそれ以上気に留めることはなかった。
五年生になる前に転校して以来、その公園を訪れることは無く、件の彼ともそれっきりなのだが、近頃ふと思うことがある。
こうして小説を書いているからか、彼のあのときの言葉がどうにも引っかかるのだ。
「怖くないよ。だって、お母さんがいるもん」
なにか、おかしくないだろうか?
どこか、不自然ではないだろうか?
もし同じシーンを書くとしたら、私は彼にこう言わせるだろう。
「怖くないよ。だって、お母さんが待ってるもん」
もしくはこうだ。
「怖くないよ。だって、お母さんのお墓があるもん」
さて、どうだろう?
単に“言葉たらず”なだけだったのだろうか?
それとも、本当に母親がいたのだろうか?
例えば、墓地の清掃の仕事をされていたとか、墓地を待ち合わせ場所にしていたとか、お墓を抜けた先に待っているとか、その先に職場があって近道だから通っていたとか、考えてみれば可能性は色々ある。
実はなんということのない理由に過ぎず、気にするだけ時間の無駄なのかもしれない。けれども、もうちょっと言いようがあったのではないか、という気もする。たとえ子供だったとしても。
そう思うと、ついつい考えてしまうのだ。
最初のコメントを投稿しよう!