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 その後も彼は、いつも一人で墓地に向かっていたが、理由がわかって満足した私がそれ以上気に留めることはなかった。  五年生になる前に転校して以来、その公園を訪れることは無く、件の彼ともそれっきりなのだが、近頃ふと思うことがある。  こうして小説を書いているからか、彼のあのときの言葉がどうにも引っかかるのだ。 「怖くないよ。だって、お母さんがいるもん」  なにか、おかしくないだろうか?  どこか、不自然ではないだろうか?  もし同じシーンを書くとしたら、私は彼にこう言わせるだろう。 「怖くないよ。だって、お母さんが待ってるもん」  もしくはこうだ。 「怖くないよ。だって、お母さんのお墓があるもん」  さて、どうだろう?  単に“言葉たらず”なだけだったのだろうか?  それとも、本当に母親がいたのだろうか?  例えば、墓地の清掃の仕事をされていたとか、墓地を待ち合わせ場所にしていたとか、お墓を抜けた先に待っているとか、その先に職場があって近道だから通っていたとか、考えてみれば可能性は色々ある。  実はなんということのない理由に過ぎず、気にするだけ時間の無駄なのかもしれない。けれども、もうちょっと言いようがあったのではないか、という気もする。たとえ子供だったとしても。  そう思うと、ついつい考えてしまうのだ。     
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