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『聞いとるか?アイツはやめとけ』
『オレのダチじゃない、幸の相手だよ』
オレは爺ちゃんの淡雪時雨に手を伸ばした。すかさず爺ちゃんの手が、パシッとハエ叩きの早さで攻撃する。
『爺ちゃん、食わないんだろう?オレが食っていいだろう?』
オレは爺ちゃんの目を見た。青い瞳の奥が底知れない湖みたいだ。奥に何が詰まってるんだろう。きっとこれまで食った数々の銘菓が並んでる、なんていうんだろうな。
『だめじゃ。目で食うんじゃない』
やっぱりこう来たな。目でなんか食えるわけない。お化けじゃあるまいし・・・。でも、爺ちゃんは似たようなもんか・・・。この、ブルーの瞳のエトランゼは和菓子が好きなんだから、妙なもんだ・・・。オレは思わず頬の筋肉をゆるめた。同時に口の中に、生唾があふれてきた。今日も元気だ。うまそうな物を見るとついついよだれがたれる。
『何をニタニタにしとるんじゃい?
あっ、バカにしおったな!
お前に時雨をやろうと思ったが、ヤラン!
絶対にヤラン!』
爺ちゃんががんこにいいはってる。
『がんこはお前じゃろうて。自分のを食ったのに・・・。
しかたないのう。パブロフと犬じゃな。ホレ、食え』
爺ちゃんが皿ごと淡雪時雨をオレの前へ移動させた。手も触れずに。念力だっ!
『バカいうじゃない。当然のことだ。
無知な者ほど騒ぎおる。世も末よなあ』
『そんなこというと、もう、和菓子、買わないよ!』
オレは無知じゃあないぞ!パブロフの犬の実験は知ってるよ!
『そういうな、愛する孫よ!
子孫なれば、祖先をだいじにせんといかん。
そうでないと、この家が消える』
『話がそれてる。でも、幸のことは爺ちゃんのいうとおりだね』
オレは爺ちゃんの二個の淡雪時雨を、左右それぞれ三本の指でしっかりつかんだ。もう、爺ちゃんにはわたさないぞ。
『そうじゃろうて・・・』
爺ちゃん、オレの考えを読んでるな。それなら、
『食いたいだろう?ほれ、ほれ』
オレは時雨をベロベロ犬のように舐めてみせた。
『アホ!心を見ずして、人の価値など知れぬ。そういう意味ぞ』
そういって爺ちゃんは縁側の向こうの庭を見ている。
早春の日曜の昼下がりだ。淡い陽射しの下で梅が咲き、桜のつぼみが膨らみを増している。
『もうすぐ花見ができるなあ』
『もしかして婆ちゃんと花見したの?』
オレは時雨を食いながら訊いた。
『何度もな。ちらし寿司を持って、酒も持って・・・』
爺ちゃんは懐かしそうに、中庭と猿田比古神社の境内にある、つぼみが膨らみを増した桜の木を見ている。
『婆ちゃんも、飲むんか?』
『うん、見た目のとおり、姐御だからな』
あの婆ちゃんなら、爺ちゃん以上に飲むだろなあ・・・。
最近、爺ちゃん、なんか寂しそうだ。婆ちゃん、遊んでばっかいる。その分、爺ちゃんがひとりでいるときが多くなった。あの、婆ちゃん!なんて女だ!なんて妖怪だ!
『まあ、そういわなんで、昼飯にしてくれ』
爺ちゃん、また方言使ってる。でも通じてる。
『寂しくても、爺ちゃん、腹は減る。腹が減れば、爺ちゃん、なお寂し・・・』
全部 婆ちゃんのせいだぞ。妖怪婆ちゃんの・・・。
『ちらし寿司、つくるよ』
オレはキッチンへ移動した。
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