68人が本棚に入れています
本棚に追加
/78ページ
第1章 幼い頃。
母の中で私の幼少期の印象で残っているのが、米びつを常に確認していた姿のようです。
「お米がもうすぐ無くなるよ。」
と母にお知らせしているような子供でした。
当時は団地の1階住まい。
父はよく仕事のあとにパチンコ、スナックなどにいき、帰ってくるのは深夜だったように思います。この当時の父とどんなコミュニケーションをとっていたのか、写真でみる以外に記憶がありません。
母が早朝に新聞配達に行く準備をしていたのですが、父がまだ帰ってきてないそんなこともよくありました。
私には2つ離れた弟がいます。この当時はまだ1歳?2歳?それぐらいでした。
泣いている弟を私がなだめてた記憶もあります。
そして母は申し訳なさそうに新聞配達に行くのでした。
ごはんの記憶。
味噌汁に具がない。これはよく覚えています。
窓ガラスが割れていても修理ができず、段ボールを貼り、近所の子たちに「お前の家、貧乏やろ。」と言われたりもしてました。
近所のお友達におやつを買いにいこうと誘われても、お金がなかったようで、行けない私を母が不憫に思ったのか、小麦粉に砂糖を入れて、あまり美味しくないホットケーキをよく食べたように思います。
当時は保育園に弟と通っていました。
母は夕方も新聞配達をしていたので、保育園のお迎えがいつも遅れがちでした。
徐々に園児の人数が少なくなっていくと、先生の機嫌が悪くなるのです。
先生というのはどこもそうなのだろうか?保育園だからか?と今となってはいろいろ考えますが、子供時代はそんな考えもなくただただ合わせて生活している感じでした。
お昼寝の時間なんてものがあったが、眠たくなくても布団から出るなという雰囲気を子供ながらに感じてました。
寝てる園児を横目におやつを食べてた先生、寝ないと睨まれる。舌打ち。
寝たふりをしていました。
園長先生が先生のおしりを蹴飛ばしていたのも強烈に覚えていました。
そんな保育園でしたが、壁には白雪姫や小人の絵が描いていたり、好きな男の子なんかもできて楽しかった思い出もありました。
いまでは、その保育園も2個目ができるほど大きくなったようです。
最初のコメントを投稿しよう!