最終話 青の、あの丘で

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最終話 青の、あの丘で

「アリス」  静かな声色で、名前を呼ばれた。 「うえだ、うえ」  ……うえ?  その声に空を見上げれば、ラグスが下を見て、ひら、と手を振っている。  なんだか、ちょっと前にも同じようなこと、あったなぁ。  そんなことを思いながら見上げれば、ちょいちょい、とラグスが手招きをしている。  そこはお城を囲う城壁の一番外側の場所。  私たち一般市民ものぼれる場所。 「待ちあわせ、下って言ってなかったっけ?」 「そうなんだけどさ、ちょっと上がってこないか?」  俺もちょっと降りるから、とラグスは笑う。 「悪いな、のぼらせて」 「別に構わないけど……どうかしたの?」 「いや、特には用って訳じゃないんだけど。しばらくこの景色ともお別れだしな」 「ラグス、ここ好きだもんね」 「……ああ」  王都が一望できるこの場所は、街の皆に愛される場所で、ラグスの好きな場所。  明日、街を出発する二番隊は、ここ数ヶ月、ずっとバタバタと忙しくしていて、ゆっくりと会話をする機会はあまりなかった。  それでも、時間をみて顔を出すラグスと、少しずつ時間を重ねては来たものの。  やっぱり、いざとなると、少し、いや、本当はかなり寂しい。  そんな事を考えながら、盗み見た横顔は、いつの間にか、すっかり大人になっていて、心臓がドキリと動く。 「ん?」  顔を少しだけ、こっちに向けて、短い声を出したラグスに、「なんでもない」とだけ答えれば、ふっ、と幼馴染は小さく笑う。 「俺がなんでもなくないから、ほら」  両手を広げて笑うラグスの笑顔は、溶けてしまうのでは、と思うくらいに甘い気がする。 「今日は甘やかしてくれる約束だろ?」 「良いなんて言ってないもん」 「はいはい」  渋々、と彼の腕の中に収まれば、ラグスは嬉しそうに笑う。 「俺さ、いつか、アリスのこと抱きしめたまま、こっからの景色、見たいなぁって思ってた」 「……そんなの、言ってくれれば良かったのに」 「ただの幼馴染じゃ、意味ないんだよ」  私の後頭部に顎を乗せながら、ラグスは言う。  後ろから抱きしめられる格好のまま、見る街の景色は、いつもと同じなのに、ちょっと違う気がする。 「なあ」 「ん?」 「そのまま、ちょっと俺を見て」 「な」  に、と呟きながら、くる、と顔を動かした瞬間、ラグスの顔が近い。  と思った直後には、掠めとるかのように、唇が触れる。 「な、ちょっ?!」 「我慢できなくなっちった」  はは、と笑うラグスの鳩尾あたりに、握った拳をぶつければ、殴られているのに、楽しそうに笑っている。 「反省してないでしょ?!」 「してる、多分」  殴った私の拳を、そのまま、握りしめて、ラグスはゆっくりと歩きだす。 「何だかちょっと不思議な感じがする」 「不思議?」 「うん」 「うん?」  私の呟きに、ラグスが首を傾げる。 「私ね、本当に、少し前まで、誰かを好きになるって、どんな気持ちなんだろう、どんな風になるんだろうって、ずっと考えてたの」 「だろうな」  フッと静かな笑い声を溢して、ラグスは笑う。 「わ、笑うけどさ、誰も教えてくれなかったじゃない」  むうう、と頬の熱を自覚しながら、手を握る彼に言えば、ラグスはまた静かに笑う。 「キラキラしたり、ドキドキしたり。胸が痛くなったり、熱くなったり。恋ってすごいね」  きゅ、と手を握る力をほんの少し強めて言えば、隣を歩く幼馴染は「凄い、ねぇ?」と少し首を傾げる。 「まぁ、凄いかどうかはよく分からねぇけど。アリスの言う、それは、俺はずっと知ってたけどな」 「ずっと?」 「ずっと」  視線を合わせたラグスの目尻が少し下がる。 「いつから?」 「いつから……って、お前、それ本人に聞くか?」 「……気になる」  ジッと顔を覗きこみながら言えば、ラグスが「あー……」と言いながら視線をそらす。 「ずっとは、ずっとだ」 「そのずっとはいつからなのかを聞いてるんじゃない」 「……んなこと言われてもなぁ」  空いている手で頬をかくラグスの眉が下がっている。   「気づいたら、だよ」 「気づいたら?」 「そ。もう、いつから、なんて覚えてないし」  そう言ったラグスの耳は紅い。 「気づいたら目で追ってて、気づいた時には、もう好きだって思ってた。それが何時からだったかなんて、もう覚えてない」  階段を降りるラグスの髪が揺れる度に、紅い耳が見え隠れする。 「……も、ぜってぇ言わねぇ」 「何で?」 「次に聞く時は、アリスも言えよ」 「え」  当たり前だろ、そう言ってラグスが段をひとつ先に降りる。 「俺だって聞きたい」  少し長い階段の途中。  頬が熱くなった私を見上げて、ラグスは嬉しそうに笑った。  それから。  階段をおりきって、水路にかかった橋を渡る。  舗装された道を歩いた、と思えば、人の少ない通りを通ったり、水路脇を通ったり。 「どこ行くの?」 「まだ秘密」 「えー」  道を歩きながらに話すことは、東の国境地域のこと、先に行っている隊員から、寂しいです早く来てくださいと手紙が届いていること。  それから、こっちとは何もかもが違うということ。 「べレックス卿のおかげで、財政難も切り抜けられそうって話みたいだしな」 「そか。前にも言ったけど、なにか必要なものあったら手紙送ってね?」 「ん」  ぶらぶら、と手を揺らしながら歩いていけば、「ここ、登るぞ」とラグスが水路脇の階段を指し示す。 「ここって、丘のあたりに出るところ?」 「当たり」  最後の段で、先にあがっていたラグスに手をひかれ、地面へと足をつける。 「ここ越えれば、見えてくる」 「何だろ」 「それまではお楽しみってことで」  に、っと笑った顔は、小さい頃と、変わっていない幼馴染の笑顔。 「よし、着いた」 「着いた、って何」  小高くなっている丘を、ひたすらに登った先で、突然、視界が広がる。 「わぁ………」  あたり一面に広がるのは、水色の小さな花の群れ。 「一面メンジェイスだ」  まるで、水色の海にいるかのように、見渡す限り、メンジェイスの花が咲いている。 「多分、まだ観に来てないんじゃないかって思ってたけど、その様子だと合ってたな」 「うん! まだ、来てなかった!」  いつもとは違う方角から観るメンジェイスの花畑に、きょろきょろと辺りを見回せば、ラグスが静かに笑っている。 「あと少し、歩けるか?」 「大丈夫」 「じゃ、行くか」  そう言って、差し出してきたラグスの手を取れば、ラグスはゆっくりと歩いていく。 「すごいね。私、知らなかった」 「俺もつい先日まで知らなかったんだけどさ。ホークと少し走ってて見つけたんだ」 「へぇ……」  確かに人があまり来ない場所なのだろう。  整えられた花壇と違って、ちらほらとメンジェイス以外の花も混じって咲いているのが見える。 「綺麗……」 「ん」 「海にいるみたいだね」 「確かに」 「あ、でも」 「ん?」  ひょい、とラグスの前に割り込んで、顔を覗き込む。 「ラグスの瞳と合わさったら、本当に海にいるみたい」  空の青と、海の青。  私が一番好きな、色。  じ、っと覗いていた私を見て、ラグスは笑ったあと、おでこに軽くキスを落とす。 「ラグ」 「アリス。聞いて欲しいことがある」 「なあに?」  きゅ、と軽く繋がれた手に、力が入る。  メンジェイスの青と、海の青に、私が映る。 「正直、今回の派遣の帰還が、何年先になるか分からない。すぐに帰ってこれるかもしれないし、数年後かもしれない」 「……うん」 「けど、俺、絶対に副団長になるから」 「……う、ん」 「俺の、俺だけのアリスになって欲しい」 「え……」  そう言ったラグスが、片手を繋いだまま、片膝を地面につける。  その体制のまま、私を見たラグスの瞳が、太陽の光で、キラリと光る。 「俺と、結婚、してくれませんか」 「え……」 「副団長になってから、って決めてたけど、離れてる間に、アリスが誰かに奪われるのなんて耐えられないし」 「え……、と……」 「もう、かなり格好悪いけど、そんなのいまさらだし」 「ラグス?」 「だからさ」  耳まで紅くしたラグスの手が、熱い。 「何回でも言う。俺と結婚して、アリス。絶対に幸せにする。後悔させない」  何かを決めたような、そんな顔。  そらすことの出来ない瞳が、私を捕える。  そんな顔、いつからするようになったの。  見ているだけで、心臓がバクバクしてくる、そんな表情。 「返事は?」 「え、えと、その」 「見てれば分かるけど、アリスの言葉で聞きたい」  片方の空いている手で、顔を隠そうとしたのに、伸びてきた手で、阻まれる。 「ね、言ってよ」  その声は、甘い、甘い、飴のよう。 「よ、ろしく、おねがい、します」  そう答えた瞬間、ラグスの瞳に、星が降ったみたいに見えた。  その青に、捕らえられたのはいつからだったのか。  こんなにも甘い罠にかかったのは、いつからだったのか。 「アリス」  名前を呼ぶ度に、ラグスの瞳に星が降る。  キラキラとしたもの。  陽の光を浴びて、輝いていくもの。  空色の小さいあの花のように。  唇を奪う彼の甘さに、溶けてしまいそうだ。  この恋は飴より甘い。  どうやらこれは、恋じゃなくて、愛、と呼ぶらしい。  どうやら私は、飴よりもうんと甘いツンデレ騎士に愛されているようです。 (完)
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