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変化
予定通り、翌日から弦は月島スポーツプラザに通うようになった。朝六時半に起きて、七時ちょうどに家を出る。施設に着いたら券売機でチケットを買って、地下二階の温水プールに向かう。
先客がいる時もあれば、いない時もある。どちらにせよ混んでいることはなく、一人で一レーンを貸切状態で使える。だいぶ体が鈍っていて、一回につき、クロールで二十五メートル泳ぐのが精いっぱいだった。だが、泳いだあとの心地よい疲れが気に入った。それに、肩こりの改善にもなった。就寝前の筋トレとして、腹筋三十回、背筋五十回を己に課した。水、木、金、土、と四日間この習慣を続けることができて、自分で自分を褒めてあげたい気分だった。
土曜日の夜――二十三時を数分過ぎたときだった。ベッドの上で筋トレをしている最中、突然スマホが鳴りだした。発信元を見ると、久しぶりに日比谷からだった。
「ちょっと久しぶりだな。連絡遅くなった。明日、朝八時からテニスだからな。西葛西のテニスコート、予約取ってるから」
「え?」
「西葛西駅で七時四十五分に待ち合わせしよう」
「え、ちょっと待ってください」
さすがの弦も、日比谷に一方的に決められ、来るのが当たり前のように話されてカチンときた。それに、九時間後にテニスをすることになるなんて予想していなかった。明日も朝、いつものようにプールに行こうと思っていたのに。
「日比谷さん――いきなりそんなこと言われても困ります。俺はてっきり――テニスはナシだと思ってました。全然連絡が来なかったから」
せめて今日の夕方までに連絡があれば違っていたかもしれない。もう寝ようとしている時間に、明朝の予定を入れられるのが不愉快だった。
「は? 土日どっちかテニスしようって約束してただろ」
「そうですけど。もう少し早く連絡が欲しかったです」
「仕方ねえだろ。こっちは水曜から中国に出張してたんだよ。一時間前に家に帰って来たばっかりなんだよ」
――そんなの俺の知ったことじゃねえよ。
と、言い返したいのをぐっと堪えた。
「じゃあなおさら、明日は家でのんびりしていたらどうですか。疲れてるんでしょ」
冷静な返しを、と思ったのに、皮肉混じりの物言いになる。不覚にも。
「あ――お前の話し方、ほんとイラっと来るな。俺のことなんて一ミリも心配してねえのに、さも気遣っているような――正直に言えよ。明日テニスするのが面倒なんだろ」
その通りだ。明日は朝プールで泳いで、昼は近くのラーメン屋で豚骨ラーメンを食べて、あとは部屋でまったり過ごす――そういうプランがすでに出来上がっていた。だが、日比谷の言葉を肯定したら負けな気がした。
「違います」
「だったら来るよな? 面倒じゃないんだろ」
勝ち誇ったような声で言われ、弦はしまった、と思った。あっちのペースに乗せられてしまった。
「楽しみにしてるからな」
念を押され、弦は「はい」と答えるしかなくなった。
電話が切れたあと、弦は深呼吸を繰り返し、気持ちを立て直した。
――まあ、たしかに、約束はしてたからな。
筋トレを再開し、きっちりノルマをこなしてから眠りについた。
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