或る雪の日の午後に

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 僕はベンチから立ち上がると、項垂れた彼女の背中へ回り、後頭部に付いた小さな蓋を開けた。その表示を見る。燃料はまだ十分にあるようだ。 「……だから早く帰ろうと言ったのに」  或る日、地球は呆気なく滅んだ。僕は辛うじて生き残った。けれど、もうその世界には誰もいなかった。偉い人も、友達も、妹も。ただ、僕と街の風景だけを残して。  僕はあまりの悲しさに、空しさに、憤り、失望した。おかしくなってしまいそうだった。  父は発明家だった。僕は父の書き残した設計図を手当たり次第に漁って、妹そっくりのアンドロイドを作り出した。「お兄ちゃん」に「どうした?」と返せば、会話が出来るように。  けれど、寒さにはどうも弱いのだ。すぐに電源が落ちてしまう。 「早く帰って、あったまろうな」  ストーブの前に座らせておけば、またすぐに再起動するだろう。  僕は彼女の鞄から、ホットドッグ型の水筒を取り出すと、彼女の口を開け、中身の残りを全て注ぎ込んだ。灯油のつんとした匂いに、僕はつい顔を顰めてしまう。  ……灯油、まだあるかな。もうなくなるかな。  水筒をまた元のように鞄にしまうと、僕は彼女をお姫様抱っこして歩き出した。  もしかしたら、僕の他に生き残っている人もいるのかも知れない。その人は、どうやって生きているんだろう。  ごめんな、兄ちゃん、お前が死んだ後にこんなんで、情けないよな。 「……おに……ちゃ……」  ぎこちなく動いたその口から、雑音混じりのその声は響いた。僕ははっとして見下ろす。 「…………どうした?」  僕は目に涙をいっぱいためて、にっこり笑ってから言った。  妹は口を動かしてはいたが、響くのは雑音ばかりだった。耳を彼女の口に寄せて、なんとか聞き取ろうとした僕の耳に漸く届いたのは、ぶうん、という、彼女の眠る音だった。 「……早く帰って、あったまろうな」  振り返ると、妹が落とした雪だるまは降る雪に埋もれて、もうその姿を見つける事は出来なかった。僕は仕方なく歩き出した。  人間がいなくなっても、何も変わらない。朝が来て、昼が過ぎ、夜に包まれ、そしてまた朝が来る。その間に、晴れたり曇ったり、雨や雪が降る。皆、無愛想にやって来ては去り、去ってはやって来るのだ。  もう二度と破られる事のない沈黙に包まれた街に、たった一人の足音だけが、静かに響いていた。
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