第3章 誰かのために生きるということ

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     *  光が眩しくて目を細めると、見えなかった影の奥にもピントが合う。  物体が存在するように見えるのは、面に光が当たり反射しているから。それを、私達の目が感覚として捉え脳内で再構築しているのだ、と聞いたことがある。  ただし、人間の網膜も水晶体も年月と共にくすんでしまうので、ありのままの色を識別できる年齢はごく限られているのだそう。  私が見ているこの赤い色の風船は、小さな子が見たら同じ赤に見えていないということになる。  五歳ぐらいの小さな女の子達が、笑いながら芝生でじゃれている。サングラスをかけた大きな体の白人さんや、ランニング中であろう黒人の年配の男性とすれ違った。日本人はなんて細くて小さいのだろう、と感じる。まるで、巨人の国に迷い込んだ小人の気分になる。 「お待たせ」  真央さんがベージュ色のシャツワンピースを風にはためかせながら、両手にサンドイッチと珈琲を持って戻ってきた。  公園のベンチに大きなスカーフをひろげて、そこに座って待っていた私は立ち上がって、遅い朝食を受け取った。 「さぁ、食べましょう。外で食べるとまた、美味しいのよね」  明るい声と、キラキラと輝く瞳。真央さんはとても還暦を過ぎた初老の女性とは思えない美しさがある。品のある口元で豪快にサンドイッチを齧る横顔も素敵に見える。  絵画や家具の買い付けのため、渡米するから一緒に行こうと突然誘われて、着いてきてしまった。 「来て、良かったでしょう?」  真央さんは何度も私に確認する。まるで、小さな子に質問をする保育士の先生みたい。ママも、こうしてよく私達の意思を確認してくれたっけ。 「この国の自由な精神を肌で感じて欲しかったのよね」 「……でも、本当はご夫婦で旅行するはずだったんですよね」  私が今、ここにこうしているのは、真央さんの夫の尊美さんが提案してくれたおかげだ。彼は沢山の絵ハガキや画集をコレクションしており、中でもロックウェルがお気に入りらしい。写真のように描写された独特のタッチは、私も憧れとするところがある。その反応を見た尊美さんが「今回の旅行は恵鈴ちゃんに譲ってあげる」と言い出したのだ。 「彼はとっても優しいの…」  真央さんが尊美さんを思い浮かべているときの顔は、恋する乙女のようで華憐になる。そのうっとりとした瞳を描いてみたいとさえ思わせる。本当に素敵な夫婦だ、とつくづく関心する。
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