キャサリン

7/25
28人が本棚に入れています
本棚に追加
/25ページ
ドイツ人女性秘書、クラーラ・シュミット。年齢十八才。彼女は今、ゲシュタポ少佐のエルンスト・ゲルハルトと向き合っている。クラーラは、彼の何気ない世間話という体裁を取った尋問に晒され、そしてついに正体を露見させてしまったのだった。 クラーラ、彼女はドイツ人。熱烈なナチ党員でもある物理学者ディーティンガーの秘書兼愛人。だが、それは捏造された偽りの身分だった。彼女はイギリス人なのだった。実は彼女こそが、キャサリン・アーチャーという名の、齢十六才になる英国秘密情報部員なのだった。ゲシュタポ少佐ゲルハルトが血眼になって探している敵国イギリスの最重要スパイ。すなわち、彼女こそが【暗号名蜂鳥】なのだった。そして原子爆弾の開発計画の断片に関わっている物理学者ディーティンガーもまた、敵国イギリスに魂を売った穢らわしき裏切り者なのである。 ディーティンガー博士。そして秘書のクラーラを名乗る十六才の女スパイ、キャサリン・アーチャー。二人の生命は、今や風前の灯だった。 ゲルハルト少佐は、武装親衛隊兵士に声高く命令を発した。 「諸君、建物内を捜索せよ。そして売国奴のディーティンガーを発見次第直ちに拘束するのだ」 そして、クラーラことキャサリン・アーチャーに向き直って言うのだった。 「君の戦争は今、終わったのでは無い。全てはこれからなのだよ。今日の良き日の出来事は、ただの始まりに過ぎない。過酷な試練の始まりだ。これから貴様に、ゲシュタポの恐ろしさを教えてやる。本物の地獄というものを見せてやる。祖国万歳。総統万歳!」 ゲルハルト少佐のピンと伸びた右手は空高く真っ直ぐ掲げられた。キャサリンは、何も言わずにその右手の向こうの青空に想いを馳せた。 想いは遠く時を駆け抜け、去年の六月の誕生日へと飛んだ。それはキャサリンの、偽りなどではない本当の誕生日だった。
/25ページ

最初のコメントを投稿しよう!