第1章 夢

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 よく夢を見る。  闇夜に忽然と一点の光が煌き、その眩い塊は恐るべき速さで拡大し迫って来る。世界中が昼間のように明るくなり、真っ白になった。天が割れるような大音響を、そのとき確かに聴いた。でも、次の瞬間にはまったく何も聴こえなくなり、音の闇に閉ざされたまま光の残滓だけが踊っていた。  居並ぶ天使が天に向かってラッパを吹く図を、あの時なぜか思い浮かべた。それはカソリックの幼稚園でもらったカルタにあった絵で、神の降臨を示唆している、と教えられた。  あたり一面に光が満ちあふれた時、恐怖は感じなかった。ただ、何かが起きたことはわかった。光の向こうから母が呼びかけた気がして必死で眼をこらすと、眩しさと苦痛のためまぶたが重くなり、最後の光とともに母の面影は消えていたのだった。  安井絵理子はベッドで天井を見上げながら、今しがた見た夢を思い返そうとする。  いつも同じ夢を見るのだが、時が経つにつれ詳細が微妙に変化した。光の塊はますます車のヘッドライトに似てきたし、天使が吹くラッパの音は衝突に伴う不協和音に重なる・・。  絵理子は二十二歳になった。事故に遭ったのは十歳の時だから、早くも十二年という年月が流れ去り、その間にあの一瞬の記憶を自分で無意識に補填し、解釈し直してしまったらしい。 「絵理ちゃん!」  あの時聴こえた母の声は若々しく弾んでいて、悲痛な叫びではなかった。  あれは絵理子をともに連れて行こうと、母が呼びかけてくれた声だったのではないだろうか。あの光に満ちていた世界はひょっとして天国で、あの時母の手をつかんでいたら、きっと自分も今頃母と一緒に向こうの世界に渡っていたのかもしれない。 「死んじゃ駄目だ!」  おぼろげな記憶の奥底から男が彷徨い出て近づいて来る。白い光に照らされて、悲壮な翳をたたえた蒼白い顔で。いや、彼は暗い闇の中に立ちすくんでいたのかもしれない。あの人影を思い起こそうとするたびに、昔の事故の記憶は少しずつ遠のき、乳濁色に霞んでいく。  鈍い痛みが脚を襲い、絵理子は布団の中で右脚をまさぐり、手の平で膝の下をしばらくマッサージした。
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