第1章

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 結衣はもっとストイックでミステリアスな人間かと思っていた。どうやらかなりちゃっかりとした、現金な性格のようで、私は面食らった。それでもなぜか笑って許せる。愛嬌というのはこういうことを言うのか、と感心すらした。  私は放課後、校内から誰も居なくなると、音楽室に行って結衣のピアノを聴いたり、結衣に勉強を教えた。結衣は私に「熱情」について説明してくれた。「熱情」はルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン作曲。正式名称は「ピアノソナタ第二十三番ヘ短調作品五十三」というらしい。そしてピアノソナタというものはピアノによる独奏で、原則から外れる作品も多いが、三曲から四曲から構成されている。私の好きな「熱情」は第一楽章のアレグロ・アッサイを指している、ということがわかった。  結衣は「熱情」を弾く。その代わりに私は結衣に三角関数を教えている。図形とかグラフとか目で見てわかるものは解きやすいんだけどね、と結衣は苦笑してみせた。確かに三角関数の初歩である加法定理につまずいていて、私が図形を書きながら説明すると、すぐに飲み込んだ。結衣の数学を解く集中力は目を見張るものがある。きっとそれはピアノの練習で培ったのだろうと、私は思った。サラサラとノートの上にシャープペンシルを走らせる音すら、結衣は音楽にしていた。 「なんで結衣は一般棟でピアノを弾くの?」     
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