規凱

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規凱

 ぼんやりとした意識の中で目を開けると、藁が視界に映った。 「……藁?」  見慣れない光景に一瞬呆けたけど、それは藁葺き屋根だとすぐに分かった。 「……私?」 「起きた?」  やわらかい声に振り向くと、長い髪を二つに束ねた女の子がいた。見た感じ、小学生の高学年くらいの年齢かな。彼女は着物姿だった。  でも、私が知っている着物とは少し違っている。  なんていうか……ラフな感じだ。  着物は肌襦袢や長襦袢などを着て、着用するけど、この女の子は一枚の着物を直接着て、打掛を羽織るといった感じだ。  打掛っていうよりは、半纏に近い。  そして、袴を半ズボンにしたようなものを履いている。 「ここは……?」 「ここは爛のはずれ、岐附との国境沿いの町よ。って言っても、町外れの貧乏屋敷だけどね」  女の子は生意気な感じで言って、肩をすくめた。  私は、目をぱちくりさせた。 「今……爛って言った?」 「ええ。そうよ」  不審そうに首を傾げる女の子をよそに、私は完全にフリーズしてしまった。だって私、倭和にいたはずなのに……。 「お姉さん、一人で倒れていたけど、どうしたの?」 「私、倒れてたんですか?」 「ええ。家のすぐそばの川原に倒れてたのよ。裏にあるわ」  女の子は後ろ向きに指を指した。 「あたし、行き倒れに遇ったのなんて初めてだわ」  女の子は少しだけおかしそうに笑って、すぐに表情を硬くした。 「ごめんなさい。失礼だったわね。……強盗にでもあったの?」 「いえ、強盗っていうか……殺されかけたというか……」 「え!?」 「あっ、いえ、そんな大げさな感じでもなく!」  彼女の仰天ぶりに、なんだか悪い気がして、私はつい小さな嘘をついてしまった。けっこうな大事だったんだけど……。 「国境沿いって言ってもこの辺はとんと平和だから。あたし、町からも出た事ないし、犯罪にも遭った事ないのよ。だからちょっと、びっくりしちゃった」 「でも、あの、三年前まで戦争してたんだよね?」 「ええ。でもこの辺の人間にはあまり関係がなかったわ。ここって、黒海側なの。それも端のね」 「黒海?」 「えっと、倭和側の海を白海(はくかい)って言って、その反対側を黒海って言うの」 「へえ、そうなんですか」 「ええ。白海側は怠輪が攻めてきたりしたし、千葉側の国境の町は被害が多かったみたいだけど、この規凱(きがい)は端も端だから、結構平和なのよ。あたしが生まれるちょっと前は色々あったみたいだけど」  含むように言って、あっと声を上げた。 「ごめんなさい! 喉渇いてるわよね、今お水持って来るわ!」 「いえ、お気遣いなく……と、言いたいところだけど、お願いできるかな?」 「ええ。今持ってくるわ」  ニカッと笑って女の子は板の間を降りた。  見渡してみると、この家は昔の日本の家という感じだった。  歴史の教科書で見るような、茅葺屋根の家。それ程大きくなく、土間の台所と段を隔てた十畳ほどの居間と、障子で仕切れる六畳程の続き部屋があるだけの、質素な家だ。 「ご両親は?」  台所で桶から水を湯のみに注いでいる女の子に声をかけると、彼女は明朗に答えた。 「死んだわ」 「え?……ごめんなさい」 「あっ、気にしないで! あたし両親の顔知らないの。あたしが赤ん坊の頃に亡くなったんだって。今はお爺ちゃんと二人暮ししてるわ。お爺ちゃんが私を育ててくれたの。だから別に、寂しくなんてないのよ。私には家族がいるもの」  彼女は誇るようにそう言って、明るく笑んだ。  強い子なんだなぁ……。 「ところでお姉さん、お姉さんは学校(テコヤ)に行った事がない人なの?」 「え?」  渋い声(魔王)が頭でテコヤを学校と訳した。  学校か……。 「あたし、学校には普通に行けるものだと思ってたけど、違うんだって最近習ったの。ここの城主様が良い方で、子供達みんなが学校に通えるようにしてくれただけで、学校に通えない子供達はこの爛だけでもたくさんいるんだって先生が言っていたわ」  そうなんだ。みんな行けるわけじゃないのか……。でも、なんて答えればいいんだろう?学校は行ってたけど、この世界の学校じゃないし。 「えっと……」  戸惑っていると、女の子は少しバツが悪そうに頬を掻いた。 「黒海や白海を知らないなんて、そうなのかなって思ったんだけど、もしかしてあたし、失礼な事言ったかしら?」 「ううん。全然」  私が笑み返すと、女の子はにこりと笑った。  そのとき、 「ただいま」  台所の引き戸が開いて、お爺さんが顔を出した。片足を引き摺りながら、戸を潜ろうとして、盛大に足を枠に引っ掛けた。 「おわ!」 「危ない!」  思わず叫んだ。その瞬間、お爺さんは空中でぴたりと止まった。後ろからぬっとのびた手が、おじいさんの襟首を掴んで転ぶのを防いでいた。  腕の持ち主が、ひょいと顔を覗かせた。 「大丈夫か、爺さん?」 「……アニキ?」 「ん?」 「アニキだ!」  花野井さんこと、アニキは私に気づいて表情を緩めた。 「嬢ちゃん?」 「アニキ!」  私は駆け寄って、アニキの腕をすがるように掴んだ。 「良かった! 会えて! 無事だったんだね! だけど、ここって爛なんだって。私達、どうしてここにいるの?」  捲くし立てた私を見下ろして、アニキは首を捻る。 「さあ? 俺も分からねぇな。白矢(ハクシ)が気を失って落下する直前までは記憶にあるんだが……。あいつも分からねえって言ってたしな」 「あいつ?」 「ああ――」 「ここがお爺さん家っすか」  明朗な声と同時に、アニキの肩から恐持ての男が顔を覗かせた。 「翼さん!」 「ゆりちゃん! いやあ、無事だったんすね!」 「翼さんこそ! 良かったです!」  わあっと、感激しながら二人で手を取り合うと、庭から何かが嘶く声が聞こえた。  翼さんとアニキを掻き分けて覗き見ると、庭の一本すっと伸びた木にシンディと白矢が手綱を結ばれて二匹仲良く並んでいた。  ……いや、仲良くはないのかな。  白矢が懐っこく寄って行くけど、シンディは冷たい目で見て距離をとるという事を繰り返していた。  終いには、シンディに威嚇されて白矢はすごすごと距離をとって蹲ってしまった。 (ラングルって、大人しい竜なんだよね?)  アニキがシンディは気高いとか、気位が高いとか言ってたけどここまで気が強いとは……。なんだか、笑えてしまう。  さすがシンディ、クロちゃんの騎乗翼竜なだけあるわ。 「シンディは、この町の外れの森にいたんすよ。俺もその森で気づいて、偶然会ったんす」 「そうなんですか」 「俺どころか、隊長以外には懐かなかったんすけど、ちょっと心細いんじゃないっすかね、俺にも少しなら撫でさせてくれるようになったんすよ」 「へえ」 (……あれ? 翼さんの言い方だと、何日も一緒にいたみたいじゃない?)  私は一抹の不安を覚えた。 「えっと……倭和にいた時から、どれくらい経ったんでしょう?」 「俺は目を覚ましてから三日っすね」 「俺もだ」 「え!?」  翼さんとアニキはあっさりと答えた。  それってつまり、私は丸三日寝てたってこと? それとも、時間にずれがあるってこと? 「お姉さんは三日寝てたのよ。言わなかったかしら?」 (言ってないよぉ!? 先に言ってよ!)  心の中で突っ込んじゃったけど、私はほっと一息ついた。  ただでさえ意味が分かってないのに、時間にずれなんてあったらなんだか怖いじゃん。 「起こそう起こそうと思ってたんだけど、なんだか幸せそうに寝てるから起こせなくって」 「……それは、なんかすみません」  寝るのが好きだ好きだとは思ってたけど、そこまで寝なくっても良いんじゃないかな、自分よ。 「でも、三日もこの町にいたんですね。アニキも翼さんも」  そのおかげで会えたから良いんだけど、なんで三日もいたんだろう? 私だったらとっとと家に帰るけどな。  私が何気なく見ていると、アニキと翼さんは苦笑していた。私は訝しがりながら首を傾げて、話題を変えた。 「アニキはどこで目が覚めたんですか?」 「俺は、街の路地裏だったな。白矢も一緒だったんだ」 「へえ」 「目覚めたその日のうちに、街の中で花野井さんと会ったんすよね」 「ああ」 「へえ……」  そうだったんだ。  それにしても……なんか、二人とも様子がおかしいような?  この三日間の話題を出すと、そわそわしてるんだけど。  何かあったの? 「この男どもはな、お嬢さん。花街で豪快に遊んどったぞ」 「ああ! こら、爺さん!」 「裏切り者ぉ! 助けてあげたっしょお!?」  花街……って、なに? 「えっと……? 繁華街ってことですか?」  私が首を傾げると、みんな一斉に目を丸くして私を見た。 (なに?……なんか、変なこと言った?)  女の子まで、びっくりした顔をしていた。そして、彼女は呆れたようすで言った。 「花街っていうのは、色町のことよ」 「色町って?」 「だからぁ、女遊びをする街のことよ。芸者や踊り子を呼んだり、春を売る女がいたりする街のことよ。まあ、そっちの方がメインね」 「……春を売る?」 (……それってつまり、売春? 遊女ってこと!?)  驚きながら振向くと、アニキも翼さんも気まずそうに、へらっと苦笑を浮かべていた。 (最っ低!)  私が軽蔑の色を浮かべながら睨むと、二人は顔を見合わせて、さらに苦笑した。 「お姉さん、なんにも知らないのね。あたし心配だわ。お姉さんみたいにほやっとしてると、人攫いに攫われて、それこそ女郎屋に売り飛ばされるわよ?」 「え!?」  年下の女の子に本気で心配されてしまった……。それもショックだったけど、 「人攫いなんて物騒なのが、この世界にいるの?」 「いるわよ」  当然というように女の子は頷いた。 「この町では城主様が治安維持に勤めてくれているから、滅多に人攫いなんて出ないけど、他の町では犯罪が横行してるのよ。気をつけないとダメよ、お姉さん」 「そ、そうなの?」 「そうよ。先の戦いで爛は荒廃したの。未だに治安は戻ってないんだもの。美章よりも復興されてないんだから」 「そうなんだ」  美章と言えば、クロちゃんは無事なんだろうか? 自分を天才と豪語してやまないクロちゃんのことだから、大丈夫だとは思うけど……。  翼さんを窺い見ると、一瞬だけ心配そうな顔をしていたように見えた。 「岐附もまだ物騒だって聞いたわ。国主の問題で、中々町の復興や治安維持に手が回らないんだって」 「へえ……」  相槌を打ちながらアニキをチラリと見ると、アニキは平然とした様子でいた。  アニキは軍の人間だからあんまり政治には係わり合いがないのかも知れないな。 「千葉はやり手の文官がいて、復興作業は順調だって聞いたわね。まったく、戦争を仕掛けてきておいて、自分たちはのうのうと復興するなんて、やんなっちゃうわ!」  やっぱ、爛の人は千葉の人をよく思ってはいないんだな……。責めはしないけど、なんだか複雑な気分だ。 「それにしても、お爺ちゃん。この人達誰なの?」 (えっ!? 今更!?)  女の子は翼さんとアニキを指差した。普通に話してるから、私と同じように拾ってもらったのかと思ってたよ。 「ああ。ワシが絡まれていたところを助けてくれたんじゃよ」 「もしかして足もそのときに?」 「いや、これは元々じゃよ。お嬢さん」 「あ、そうなんですか。すみません」 「謝る事ないわよ。花街で女に見惚れてコケたのよ。それで捻挫したの。本当、いい年してなにやってんだか!」 「お爺さん、花街に行ってるんですか?」  結構なお年なのに、若いな……。 「花街で働いてるのよ。お爺ちゃん」 「あっ、そうなんだ!」 「芸者やってるの」 「え? 芸者って女の人がやるんじゃないの? 踊ったり、謳ったり三味線やったりする人だよね?」 「違うわ。芸者っていうのは演奏する人のことで、女もいれば男もいるわ。でも大抵若くない男ね」 「……そうなんだ」  やっぱ、色々と違いがあるんだなぁ……。 「それって、岐附や美章でも同じなんですか?」  ふとした疑問が湧いたので、アニキ達に尋ねた。  すると、二人は少し言いずらそうに、 「大抵同じだな」 「そっすね。でも、功歩、瞑、永はちょっと違うみたいっすよ」 「へえ……。知ってるってことは、二人とも自国でも行ったことあるんですね」 「……そりゃ、まあ、な」 「……っすね」  二人はお互いを見合って、へらっと笑いあった。 (……男って!)  呆れた思いでいると、アニキが急に声色を変えた。 「嬢ちゃん。月鵬見なかったか?」 「月鵬さんですか? いえ。私は今さっき目が覚めたばかりなので」 「そうか……」  口調から、心配が窺えた。  すると今度は翼さんが、 「じゃあ、隊長のこともしらないっすよね?」 「……はい」 「そっすか」  心配そうに節目がちになる。  花街に行ってても、心配はしてるんだ、一応は。  この様子じゃ、他のみんながどうなったのか知らなそうだな……。  訊いても雰囲気を重くしてしまうだけかも知れないし、話題を変えよう。 「これから、どうしますか?」 「俺は岐附に戻る予定だが……」 「俺は美章に帰ります」  はっきりと答えた翼さんとは違い、アニキはなんだか歯切れが悪い。 「どうしたんですか?」 「ん? ん~まあ、ちょっと問題があってな」 「そっすよねぇ……当初の予定だったら良かったんすけどねぇ」 「……?」  腕を組んでしきりに首を捻る二人。私が怪訝に眉を寄せると、翼さんが私を手招きした。駆け寄ると、翼さんが私の腕を掴んで外へ引き出した。 「なんですか?」 「実はっすね……」  耳打ちしようとすると、アニキが翼さんの肩を掴んでそれを制した。そして指を庭の方に押し出して、合図を送る。  翼さんが頷いて、私を連れて庭の隅まで連れてきた。  アニキも後からやってくる。アニキと翼さんは顔を見合わせた。 「俺、入国証(ゲビナ)ねぇんだわ」 「え?」  アニキのどこかあっけらかんとした声音に、翼さんが深々と頷いたけど、私にはまったく意味が分からない。ゲビナ? なにそれ? 「それ、なんですか?」 「そっか、知らねぇのか」  アニキと翼さんは少しだけ驚いて、翼さんがズボンのポケットから木の板を取り出した。 「これの事っすよ」  その木の板はひし形をしていて、真ん中に、美章国――王都凛章――双陀翼。と彫られていた。双陀翼の部分が赤色で、美章国は黒。王都凛章の部分が金色で塗られている。 「これが入国証ですか?」 「はい。国によって形は違うっすけど、大きな町に入る際や、他国に渡るさいにも必要になるんすよ」 「へえ。じゃあ、岐附は全然違う形なんですか?」 「岐附の場合は、美樹(ミジ)の形に似てるな」 「そうなんだ」  美樹っていうと、私の世界で言う紅葉に似てるから、紅葉形の入国証か。なんか可愛らしいな。  あれ? っていうか、入国証がないと国を渡れないってことは……。 「じゃあ、アニキは岐附に帰れないってことですか?」 「そういうことだ」  それって、つまりは、入国証を持ってない私もどこにも行けないってことなんじゃない? 「どうしよう……。入国証って手に入らないんですか?」 「しかるべき処置を取れば再発行は可能だ。だが……」 「それが出来ないんすよね」 「ああ」 「どうしてですか?」 「俺達は不法入国をしたんすよ。どうして爛にいるのか分からないけど、入国証を持って入国したんじゃない限りは不法入国扱いっす。再発行するにはいつ爛にやってきたのか、申告しなきゃいけなくて、申告すれば、当然調べられるんす。申告しなければ再発行は行ってくれませんから、言わないわけにはいかないんす」 「そうなんだ……」 「で、俺は考えたわけよ。入国証を持ってる翼は普通に通るとして、俺は警備が手薄になる夜を待って、強行突入しようかなって」 「え?」 「俺は止めたっすよ?」 「だがよ。それしか方法はねぇだろ?」 「あるような気もするっすけどねぇ」 (なんでそんなに暢気なんだ、あんたら)  どことなく軽いノリの2人に呆れてしまう。 「んなこと言って、お前、酒場でノリノリだったじゃねぇか。良いぞやったれ~! って」 「そりゃそうっすよ。面白そうっすもん。俺関係ないし」 「まあな。確かに面白そうだろ? 岐附に入っちまえばこっちのもんだからな」 「そうっすねぇ。国境越えちゃえばオールOKっすもんね」  んなわけないでしょ! 「指名手配されちゃいますよ?」 「そこなんだよな」 「ええ。問題はね」  軽く頷き合って、二人は私を見据えた。 (え? なに?) 「嬢ちゃんに会う前だったら、憲兵を全員すり潰して通ろうと思ってたんだけどよ」 「ええ、ええ」  翼さんが深く相槌を打って頷く。 「そうすれば、目撃者もいないですから、指名手配犯になる事もないっすもんね。だけど、ゆりちゃんにそんなの見せるわけにはいかないっすからねぇ」 「そうなんだよなぁ」  二人とも軽く言って、う~んと唸る。 (すり潰すってなに? もしかして……殺して通ろうと思ってたってこと?)  怖くて訊けないけど、今初めて、アニキが元山賊だという感じがしたわ。 「他に手に入れる方法はないんですか? 例えば、私の入国証を作ってもらうとか。事情を説明して」 「なんて?」  きょとんとした顔でアニキが訊き返した。 「なんて? えっと、それは、普通に、私は異世界から着たので入国証がなくって、発行して欲しいって」 「信じると思います?」  これは翼さんだ。  翼さんはちょっと嘲笑気味に眉を吊り上げた。  異世界からきたって信じるかって……?  そりゃ……。 「信じませんね……」 「でしょ?」  私だって、異世界から着たなんて人がいたら、バカにすると思う。 「でも、じゃあ、殺されかけたって説明すれば良いんじゃないですか? それで、私が魔王だって言えば、信じてもらえるかも」  そもそも、あの襲ってきた人達は誰なんだろう?――ふと、そんなことが過ぎったけど、今は話題を変えられそうもない。私は二人を見据える。  二人は困ったような顔をした。 「多分な。爛でそんな事を言えば、捕まるぞ」 「え?」 「岐附で俺がそう言えば、嬢ちゃんの入国証も手に入るだろう。だが、爛ではそうはいかねぇな」 「爛はねぇ……魔王に対して良いイメージを持ってない国っすからねぇ」 「そうなの?」 「子供のうちって、親に昔話を語ってもらうってことがあるでしょ?爛では魔王は悪者に描かれて語られるせいで、良いイメージはないんすよ。魔王は不浄のエネルギーってのが、爛人の意見っすね」 「岐附でもそう思ってる奴は多いぜ。半々だな。いずれも、親からの物語の言い伝えによるものだから本気で信じてるやつなんていねえけど。俺はその物語自体、大人になるまで知らなかったしな」 「へえ……」  いずれにしても、魔王だと言っても、信じてもらえることじゃないわけか。 「それに、爛は千葉と怠輪に国をめちゃめちゃにされたからな。お伽話だとしても、その力を欲しがる奴はいるだろうよ。そしたら、嬢ちゃんはそいつらに捕まっちまうってわけだな」 「そうですねぇ。下手したら俺らは捕まって処分されちゃうかも知れないですね。どう考えても、邪魔ですからね」 「そんな……!」  そんなことには絶対させられないし、利用されたくもない。 「じゃあ……どうしますか?」  私は二人を仰ぎ見た。  アニキと私の入国証はない……とすれば、どうなるのだろう。  ずっと爛に留まるか、強行突破をするのか……。  道は二つに一つしかない。 「もう一つ、方法があるっちゃあるんすけどね」 「おい!」  翼さんが何かをぽつりと呟いて、アニキがそれを制した。 (もう一つ?)  私がきょとんとしていると、アニキは苦笑して翼さんを後ろに振向かせた。 「またその話か」 「花野井さんって、珍しいっすよね。裏社会の人間なら誰でもやってることっしょ?」 「俺はもう山賊じゃねぇよ」 「……花野井さんって、優しいっすよね」 「うるせえ!」  アニキの照れたような小さな怒声が聞こえて、アニキははっとしたように振り返って私を見た。 「何の話ですか?」  裏社会とかなんとか言ってたけど。 「秘密」 「そっすね。内緒っす」  私は首を傾げた。  でも、ま、いっか。裏社会なんて、物騒だもん。関わりたくない。 「ところで、アニキは入国証どうして無くしちゃったんですか?」 「ああ、入国証は月鵬に預けてあるんだよな」 「ああ、それで……。じゃあ、もしかしてクロちゃんも翼さんに預けてあったりとか?」  そんなことになったら、クロちゃんも大変だ。  もしかしたら、雪村くんも風間さんに預けてあるのかも知れない。雪村くんって抜けてそうだから、しっかりものの風間さんが管理しているってことも十分ありうる。  毛利さんは、その点、なんか大丈夫そう。 「いえ。隊長は絶対そういう事はしません。ああ見えて、自分の分はきっちり自分で持つ人です」 「そうなんだ。なんかちょっと意外ですね。クロちゃんって、お水とか持つのも部下に持ってもらってそうだったから」 「ああ。ありえないっすね」 「そうなんだ」 「隊長は基本、誰の事も信用してないっすから」 「……」  ちょっとだけ衝撃的だった。  あんなに仲が良さそうな二人なのに、信用しないなんて……。翼さんの言い方からは残念そうだったり、悲しそうな感じが見受けられなかった。  そのとき、明るい声が響いた。 「ま、でも俺の事は大分信用してくれてますけどね! 俺だけには、水やら荷物やらを持たせますし?」 「……それってただのパシリじゃねえの?」 「いや、違いますよ! 隊長の場合のみ、信頼なんす!」  自信満々に言い放つ翼さん。  そんな翼さんには悪いけど、私もそれはただのパシリだと思う……。  私達はお互い目が合って、一斉に笑い出した。  ひとしきり笑って、一瞬の沈黙が訪れる。 「……で、どうしましょうか?」  問題は振り出しに戻った。
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