一 雷切

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一 雷切

 今で言う九州の福岡県北部の地域が“筑前国”と呼ばれていた時代。  時は天正四年(1576年)。  アジア大陸の明国や朝鮮、ヨーロッパの南蛮との貿易で栄えた港町・博多より北東の位置に、小高く広大な山群……立花山がそびえ立っていた。  古代よりクスノキが生い茂る立花山は七つの峰を持ち、井楼(せいろう)山、北西に松尾岳、その西の白岳と、全ての峰付近に瓦葺きの屋敷や櫓(やぐら)、土塁(どるい)が築かれている。  立花山全体を要塞と化した山城は筑前最大規模。この地に築かれたので立花山城と称されており、九州屈指の難攻不落の堅城として知れ渡っていた。  最高峰の井楼(せいろう)山には、その名の通り一際高い井楼櫓が建てられている。そこで見張り番をしていた者が、どんよりとした灰色の雲が覆われている空を見上げていた。  雲間からゴロゴロと鳴る音に気付き、一雨が来る気配を感じ取ると、櫓下に居た者へ「一雨が来そうだ。女中たちに教えてやれ」と伝えた。  一方、立花山城の本丸にある評定の間では、外の曇天のような重々しい雰囲気の中、城主と重臣たちによる評議が行われていた。     
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