7 「み」

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「はい。いないんすか?」  いるに決ってる。現に名前を呼んでいた。どんな子? 髪は長い? 短い? おしとやか? 可愛い? 美人? 優しい子、だと思う。きっと飛び切り優しい子。郁に釣り合う優しい子。  じゃあ、その子と――。 「恋人、みたいな人」  キス、とか。 「いないんすか?」  して――。 「い、いませんよー」  いないでいたらいいのに。 「恋人なんて作る暇もないです。仕事、楽しいし、忙しいしで、もうてんてこまいなので」  え? なんで、今、いなかったらいいのにって、思った? 誰に、何が? 誰が? 「あ、ありがとうございます! あの、ハンコ、伝票に押しましたので」 「え、あっ! 相馬さん!」  誰がいないといいと思った? 何が、なかったらいいと、思った?  そのハテナマークに対する答えの輪郭がぼやけた状態から、今、しっかりした線になりかけて慌てて逃げ出した。頭を振って、目をぎゅっと瞑り、その輪郭を力任せに消し殴った。  何、考えた? っていうか、なんでそんなに気にしてんの? 何を、僕は。 「文?」 「っ!」  その声に飛び上がった。門のところ、制服姿の郁がいたから。紺色のニットにもう三年生なのにネクタイを適当に首からぶら下げて、走って横切る僕に目を丸くしている。 「どうした?」 「……ぁ」 「文?」 「おかえりなさい、えっとー」  そこに置き去りにしてしまった成田さんが追いかけて来て、郁に対しニコリと笑った。 「……どーも」  郁が低い声でそう雑な挨拶をする。成田さんはその挨拶にすらニコッと笑って大人の対応をしてくれた。 「い、郁、早かったね」 「そう? いつもどおりでしょ」 「あ、そう? そっか」  いつもどおりだけれど、いつもどおりでいいの? 彼女を送らなくていいの? み、の付く名前の彼女。  でも、その、彼女の気配すら見せてはくれない。元からたくさん話すほうじゃない。りょうちゃんと違って、郁はどちらかといえば寡黙だ。でもたった二人っきりなんだから、話してくれてもいいのに。それともわからないから? 「成田さん、ありがとうございました。また注文の時はお願いします」 「はーい。それじゃあ、また」  わからないって思ってる?
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