前章

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眼鏡の端を何かがかすめていった。 大崎にはそれの正体が何なのかはいやになるほど分かっている。が、目は無意識にそれを追いかけてしまう。  満開を迎えた桜が一斉に花を散らしている。レンガ敷きの通路はいつもの赤茶けた錆色からベビーピンクへと色を塗り替え、柔らかい春の光の中で優しく輝いている。質感を持つその色に触れたい。大崎の足が一瞬止まりかけた。が、今の自分の状況を思い出し足を動かす。   暢気に春を楽しんでいる場合じゃない。既に約束の時間より20分も遅れている。それもこれも講義の時間がいつもより10分。ついつい他の何かに気を取られてしまう。今この瞬間も、新しく設置されたカフェテリア脇のオブジェに目を奪われて歩みが止まりそうになっている。   その理由は薄々気づいている。が、大崎は敢えて無視を決め込んだ。この男は他人よりも一回りでかい図体とは裏腹に、蚤の心臓なのだ。そんな大崎が足を地面につける度、足元の花びらが舞い上がった。 
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