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坊ちゃんの歩み ( キュリオ談 )
「いいですか坊ちゃん。本日のお相手様を逃せば、もう後がありません。ですから、くれぐれもくれぐれも! 必ず成功させて下さいね!」
「分かっている」
神妙に頷いているが、本当に分かっているのか。
不安と疑念が離れない。
というのも、数を重ねること数十回。
その全てをぶち壊しているのは他でもない。坊ちゃん自身だからだ。
お見合いに向かう背に、成功を念じて見送る。
が、そこはやはりというか。
僕の期待、使用人の期待、領民の期待をあっさりと砕いてくれた。開始5分……という最短記録で。
怒って出て行く令嬢の後から、遅れて出て来た坊ちゃんの頬には真っ赤なもみじ……一体何をしたんだ!
「キュリオが女性を褒めろというから褒めただけだ。じゃあ叩かれた。なぜだ?」
「……えぇぇーー、ちなみに、何と?」
「乳牛のようだと言った。豚のような足首だとも」
瞬間、使用人一同の冷たい視線が僕に突き刺さる。
ああ、失敗した。坊ちゃんに普通は通じないことを忘れていた。
ここは一年の大半を雪で閉ざされる過酷な領地。人が住むのに適していない為、発展することもなく、広大だが自然がそのままに残されている。
人手不足の上に雪崩れなどの災害、獣害、寒さゆえの流行り病が毎年、毎月のように発生し、そのせいで坊ちゃんの両親も坊ちゃんが幼い時に命を落としていた。
そう、つまり。
坊ちゃんは物心がついた時から、災害や疫病の脅威に晒され、生死の境を彷徨い、かつ保護すべき大人達は領地の対処に追われるという生活状況だったので、極端なほど人と接する機会、社交を学ぶ機会を逃していた。
坊ちゃんに悪気はない。本気で褒めたのだろう。
乳牛は張った乳ほどミルクが出るし、豚の足首は肥えた身体の割に妙に細っそりとしている。
長い付き合いだからこそ分かるそれは、今日初めて会った令嬢に通じるはずがない。乳牛や豚など言われては、侮辱と取るのが普通だろう。
最悪だ。
成功を祈り過ぎるあまり間違った助言をしてしまった。坊ちゃんの代で歴史ある伯爵家が途絶えてしまうのか。しかもそれが、僕のせいで。
頭を抱える。
このままでは坊ちゃんの両親に顔向けが出来ない。
亡くなる寸前、坊ちゃんを頼むと託されたのに!
はああ、と深い息を吐く。
もう、この手しかないだろう。
「坊ちゃん。次の夏季に王都に行きますよ。人の機敏には疎いですが頭はいいですからね、年老いた領民に代わって若い坊ちゃんが商売に出るんです」
「……別にそれは、構わないが……」
いきなりどうした? と、怪訝な表情をしているが、計画全てを話す訳にはいかない。絶対に嫌がるに決まっているから。
こうして僕は、本当の目的を黙ったまま坊ちゃんを王都に連れ出すことに成功した。
共に 21歳。
僕は甘くみていた。
そこから更に10年の年月がかかることになる。
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