第15話 背中のぬくもり(前)

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第15話 背中のぬくもり(前)

JR日暮里駅から谷中へ向かう緩い登り坂を、隆司は父親に手を引かれて歩いていた。隆司が小学2年の春だった。 上野動物園で遊んだ帰りだったので、隆司は上野駅から日暮里駅の2駅を電車で座っただけなのに寝てしまい、今は寝ぼけ(まなこ)で手を引かれている。 坂道を登り切り『夕焼けだんだん』への下りに差し掛かったときに父親が声を掛けた。 「隆司、まだ眠いのか?」 「・・・うん」目を擦りながら答えた。 「よし、おぶってやろう!」 父親は、そう言って腰を降ろした。 隆司は父親の肩から首に掛けて後ろから抱きつくように父親の背中に乗った。 隆司を背負って父親は立ち上がった。 『夕焼けだんだん』に向かう坂道からは、街並みに沈む夕陽が美しく見えた。 「隆司、シュークリーム買おうか」 『夕焼けだんだん』の石段を降りながら、父親が声を掛けた。 「うん、食べたい・・・」小さな声が返ってきた。 「『がようし(谷中の洋菓子店)』がまだ開いていたら、買って帰ろう」 返事はなかった。 隆司は父親の背中で寝息を立てていた。 ・・・・・・ (10年後) 「隆司、どこへ行くんだ。隆司!」 隆司は当座の着替えを入れたボストンバッグだけを持って、明け方に谷中にある家を出た。隆司が17歳の初夏だった。 物音に気が付いた父親が起きてきて、玄関先から声を家を出たばかりの隆司に掛けたのだ。 「かあさんの事なら、謝る。悪かった。だから戻ってこい。話をしよう」 その言葉に隆司は(いら)ついた。『何故、謝る。あなたは実に常識に沿って行動しただけだ』 でも、その事が隆司の苛立ちの原因でもあった。 2週間前、体調が悪く入院していた母親が亡くなった。隆司が看取(みと)った。父親は海外への出張中で間に合わなかった。 そもそも隆司は母親が入院したのに、父親が2ヶ月もの海外出張へ行く事には反対だった。 父親も「そうだな。誰か代わりの人を頼もう」と言ってくれていたのに、結局は出張に行ってしまった。 高校生の隆司にも、父親がその時、会社の仕事が大詰めを迎えていたのは何となく判った。しかし、父親のいない間、自分だけが母親と相対するのが不安だったのだ。 『結局は仕事を選択したんだ』と不満を持っていた。いや、本当は『仕事か家庭か』のような下らない(と隆司は思っていた)事を言うつもりなどなかった。しかし、母親の容態が悪くなるに従い、その不安から、次第にその『くだらない』と思っていた理由に逃げて行き、やがて不満は愚痴になり、憎しみになっていった。 隆司は毎日、母親の見舞いに行った。母親も隆司の姿を見るのを楽しみにしていた。あるとき隆司が「お母さんがこんなに苦しんでいるのにお父さんは非道い。恨んでやる」と父親を非難した。 母親も「ほんと、非道いよねぇ」と同調すると思いきや、隆司をきつく叱った。 「隆司、あなたはお父さんに感謝こそすれ、恨むなど絶対にしてはいけない。お父さんに謝りなさい」 母親は、隆司が父親を誤解して恨まないようにしようと、父親を出張へ送り出した時の事を話した。 「出張を()めると言うお父さんに私が言ったの。『仕事してこその男、だから、私のことは気にせず、私のためにも思い切り仕事をしてきて下さい』と。それを聞き、お父さんは出張に出かけたの。お父さんは、自分の為じゃない、家族のため、あなたのために仕事をしているの」 さらに、驚くべき事を告げた。 「あなたは、お父さんの本当の子供では無いの。お父さんは隆司のいる私と結婚し、あなたを実の子のように育ててくれた。あなたは私の宝物、そのあなたを大事にしてくれるお父さんに、私は感謝の気持ちしかない。だから、隆司も感謝して。お父さんに謝りなさい!」 隆司は事実を知ったショックと、母親の自分への態度に苛立って、無言で病室を後にした。 次の日、母親の容態が急変した。慌てて駆けつけた隆司に母親は「お父さんと仲良くしてね。お父さんを頼むね」と言い残して亡くなった。 容体が急変したときに連絡したので、父親も急いで戻って来たが、間に合わなかった。 母親の遺体の傍らに座り込む隆司に父親は「すまなかった」と謝った。隆司は何も答えなかった。いや答えられなかった。 通夜の夜、ひとり母親の遺体にすがり泣く父親の姿を見た。父親がどの様な気持ちで自分を育てていたのか、判らなかった。あの人(母親)の子供だから、あの人がいたから可愛がっていただけなのか。その時の隆司には、血縁の無い自分を育てる理由が判らなかった。 それから葬儀関係も落ち着いた2週間後、隆司は家を出ようとしている。『この人と一緒に暮らす理由は無い』そう思ったのだ。 黙って出て行くつもりだったのに、見つかってしまった。 声を掛けられて、『うるせえ!!』と返すような理由も、そして性格でも無かった隆司は強い口調で言った。 「僕は大丈夫です、お父さん。だから探さないで下さい」 そう言って、路地の先にある、まだ明け方で人のいない谷中銀座を通り、夕焼けだんだんの階段を上り、日暮里駅に向かった。 ・・・・・・ (さらに10年後) 「ダメです」恋人屋本舗の事務所で拓也が言った。 「お前に()いてるんじゃ無い。由佳ちゃんに訊いてるんだ。由佳ちゃん、どうだろう」中村(恋人屋本舗の所長)が言った。 「ダメです」拓也がまた言った。 「だから拓也に訊いてるんじゃない」 「ダメです。彼女はスタッフじゃない」 「いつも、色々手伝ってくれている。今回は報酬もしっかり出す」 「それは、内勤(事務処理やビラ配り)的な事で、実際のスタッフとしての配役は無理です」 「でも、以前、お前の恋人役で伊香保まで来てくれたじゃ無いか」 「恋人役じゃ無く、本物の恋人です。だから、問題無いんです。今回の依頼人の人妻役なんて絶対にダメです」 「あ~、なんだ、単なる嫉妬かよ。男の焼きもちなんてみっともないぞ」 そう言ってから、もう一度由佳に向かって言った。 「由佳ちゃんダメかな」 由佳は拓也が必死になって断っているので、嬉しいような困ったような表情で言った。 「お世話になっている所長さんの頼みなので、引き受けたいのは山々なんですが・・・、拓也さんの気持ちを考えると・・・」 「世話してんのはこっちだ。いつも由佳は無給で手伝ってるじゃないですか」拓也が言った。 もちろん拓也と由佳が、今こうしていられるのは、昔、所長が助けてくれたという事を、拓也も理解している上で言っている。 「まあ、遊びに来たついでに手伝っているだけだから・・・」由佳が言った。 「由佳ちゃん、拓也を甘やかしすぎだぞ。そんなに拓也の言う事を聞く必要は無い」中村が言った。 「いえ、拓也さんはいつも私の言う事を何でも聞いてくれるんです。そんな拓也さんが、これだけ嫌がっているなら、それぐらいは聞いてあげないと・・・」 「なあ、拓也、これは人助けの為なんだ」 「人助け以外の仕事なんてやってましたっけ。そんな仕事ならみんな(所員)やらないでしょう」 「それもそうだが・・ふう、参ったな」中村がため息をついた。 「実は・・・」それから、中村は時間をかけて今回の依頼内容を説明し始めた。 依頼人は28歳の『菅谷隆司(すがやたかし)』という男性だった。宇野茉莉花(うのまりか)さん、という大学生に300万円を渡しに行くのを、妻役で手伝って欲しい、という依頼内容だったので、仕事としてはとても単純で、確かにスタッフではない由佳でも問題無く出来そうだった。 菅谷隆司には特殊詐欺(オレオレ詐欺)の掛け子をしていたという前科があった。 ただ、逮捕は警察に踏み込まれた訳では無い。 隆司が自首したのだ。組織の情報を調べた上で自首し、警察はその情報を元に、隆司が所属していた特殊詐欺組織の東京の東半分を壊滅できた。 東半分だけになったのは、所詮、掛け子ではそれ以上の情報収集は難しかったからだ。 「所詮と言いますが、掛け子でよくそこまで調べられましたね。普通は自分がいるエリア(たとえば区レベル)だけでも情報は得られないでしょう」と拓也が言った。 「うん、会ってみれば判るが、かなり頭の良い人だ。掛け子として優秀だったんだろう。幹部にも信頼されていたようだ」 「何故、自首したんですか?」 「そのあたりは自分で訊くといい」拓也の気を引くように中村が仕向けた。 話しを聞く間に拓也も興味を示し、しぶしぶ、中村の申し出を了承した。ただし、拓也も『訪問時以外は一緒に行動する』という条件を付けた。 「仕方が無いなぁ。依頼人にその条件を説明するよ。あまり邪魔するなよ。それと、お前は無給だぞ」 2日後、拓也と由佳は隆司と段取りの打合せを、恋人屋本舗で行った。中村(所長)は「どうせ由佳ちゃんにくっついて拓也がいるんだから、任せるよ」と打合せには同席しなかった。(それだけ、所長も恋人屋本舗の仕事について、拓也を信頼していた) 依頼内容は、事前に中村から聞いていた通り、王子にある宇野茉莉花の家を訪ね、亡くなった茉莉花の祖母(芳子)に借りていたお金だと言って、300万円を渡すだけのものだった。 ただ、何故わざわざ夫婦役で行くのかが解せなかった。 「どうして、夫婦(役)で行くのですか?」拓也が訊いた。 「僕が自首したのは、茉莉花ちゃんがまだ中学生の時です。とても仲良くしていました。自首すると逮捕されて会えなくなるので、その前にお別れに行きました。まさか、『逮捕されるので』とは言えないので『フリーター(と言う事にしていた)だったが、九州で就職できることになったので、結婚して東京を離れる』という理由にしたのです。今回は、東京に戻ってきたという設定です」 隆司は茉莉花を『ちゃん』付けで呼んだ。よほど親しかったのだろう。 「300万円は、どういう設定なのですか?」 「その時、僕にお金があまりなく、引っ越しと結婚の事を生前の芳子さんに相談した時に300万円を貸してくれた。それを返すという設定です」 「300万円借りたのですか?」 「実は芳子さんが特殊詐欺で盗られたお金です」 「あなたが盗ったの?」由佳が訊ねた。 「いえ、でも僕がついうっかり孫(茉莉花)の留学を祖母が応援している』と漏らしたのがターゲットになった原因です」 隆司は、『飛鳥山公園を散歩していた芳子さんが転けたのを、たまたま助けたのが切っ掛けで知り合った。何故か、芳子さんが隆司を気に入ってくれて家へ遊びに行くほど仲良くなった。そこに茉莉花ちゃんがいた』と説明した。 「茉莉花ちゃんはお母さん、お婆さん(芳子)の三人で暮らしでした。男手の僕は重宝したのかも知れません。とても仲良くしてくれました。茉莉花ちゃんも僕を『お兄ちゃん』と呼んで慕ってくれました。芳子さんは元々持っていたお金に年金を切り詰めて蓄え、250万円ほど預金を持っていたようです。それを盗られたのです」 自分のうっかりした一言が詐欺の切っ掛けになり、茉莉花の留学資金を盗られてしまった。ちょうど今年辺り、茉莉花は留学を考える歳だ。だからそれに間に合うように利息と考えた50万円を加えて300万円を渡したい、という事だった。 「ところで、何故、自首したのですか?」 「え?」少し隆司が驚いたように言った。 「それに、そもそも何故詐欺グループに入ったのですか?」 拓也が訊くタイミングを見計らって、言い出せてなかったのに、由佳が躊躇無く、ズバッと訊いた。 「妻役ですので、色々知っておいた方が良いと思いまして・・・」 「そうですね」そう言ってから続けた。 「特殊詐欺が悪いことだと判ったからです」 「それまでは、悪いこととは思わなかった?」拓也が訊いた。 「はい。法律的に違反している事だとは認識していました。でも、真の正義は自分達にあると思っていました。自分たちは強欲で若い人達の犠牲の上で、優雅に暮らしている年寄りからお金を奪い、(貧しい)我々に富を再分配しているのだと。まあ、幹部から朝礼ごとにそう聞かされていましたし」 「だから、コソコソ行動することも無い?」 「ええ、さすがに人に喋ることなどないですが。それに詐欺と言っても、僕のいたグループは、表向きは会社を装っています。もちろん登記などしていませんが、見せかけのHPも作っているし、名刺も持っていました。時々、普通の会社勤めをしているのかと勘違いするほどです。電話をかける事務所もあります。そこへ掛け子が10名ほど出勤するんです。全員スーツ姿ですよ。8時45分から朝礼があって、その時に服装もチェックされます。電話を掛けるだけで人と会わないのに何故、と思うでしょう? 服装が仕事の質を左右するという考えなんです。ダラしない服装で、しっかりした電話の受け答えは出来ない、と言われていました。今から思えば、自分たちの仕事に引け目を感じさせない為のユニフォームだったのかも知れません。9時から業務(電話掛け)を開始し、12時から昼休憩、18時に業務終了。部屋を片付けて帰宅です」 「へえ~」 「僕がいた部署は、足立区と葛飾区担当で事務所は北千住にありました」 「それが東京中にある」 「関東中です。東京は23区を7つに分けて、それぞれを部と呼んでいました。それに武蔵野市や多摩地区を合わせて10の部を統括して東京事業部と言ってました。関東一円に、4つの事業部があり、事業部は常務が、部は部長が管理していました。特殊詐欺では幹部を金主とか番頭と言うらしいですが、僕がいた組織は会社のようにしていましたね。部長は『掛け子』、『受け子』兼『出し子』を管理しています。掛け子と、出し子を兼ねた受け子は絶対に直接接触しません。部長だけがその両方を知っています。ただ、受け子が対象者(詐欺のターゲット)に接触する時、掛け子とイヤホンで携帯電話を繋ぎっぱなしにします。電話を掛けた時の内容は事前に受け子にレクチャーしますが、万が一、想定外の展開になったときでも話に矛盾が生じないように掛け子が、対象者と受け子の会話を聞きながら、受け子に携帯を通して情報を提供します」 「結構、しっかりとした仕組みですね」感心して拓也が言った。 「そうですね。しっかりと組織化されていると思います。なので、余計に自分たちが悪いことをしているという意識が希薄になる。掛け子の給料は15万円の基本給に自分が担当した詐欺が成功した時には特別手当が加算されます。僕は成績が良くて毎月25万円~35万円程度の給与になっていました。部の中では一番です。遅刻や欠勤、早退もチェックされますし、有給休暇もあります」 「恋人屋本舗よりもよほどしっかりしている」拓也が感嘆の声をあげたので、由佳が笑った。 「掛け子はともかく、受け子(出し子)は使い捨てのアルバイトでしょう?」 「そういうところ(集団)もあるようですが、僕がいた組織では30歳~35歳ぐらいのベテランが専属で対応していたようです。だって、20歳にもならない若造がスーツ着ても似合わないでしょう? 直ぐに怪しまれますよ。掛け子10人に対して、受け子はせいぜい2人の割合です。そんなに、毎日、仕事が上手く行く・・・ああ、つまり詐欺が成功するとわけでは無いので、その程度で十分です」 そして「受け子は1回7万円の報酬です」と隆司は付け加えた。 だとすれば、週2~3回働けば、月56~84万円程度の収入になる。1回3時間程度の実働だろうから、時間で考えれば、朝から夕方まで拘束される掛け子よりも、割の良い収入だ。まあ、その分、リスクも高いのだが。 「う~ん、凄いなあ。でも、どうやってそのような優秀な人材を集めるのですか?」 「サイトで募集などしません。有象無象(うぞうむぞう)の人が集まりますし、そこから情報が漏れてしまいます。専門のスカウトがいるんです。色々な所に出入りして、機転が利いてモラルが低い、()わば、小賢(こざか)しくてお金に困っていそうな人を誘うんです。僕はコールセンターでアウトバンド(営業的な電話をする役割)のバイトをしていて、その内容を居酒屋で愚痴っていたときにスカウトされました」 隆司は家を出て以降、ネットカフェを転々としながらバイトなどで2年半ほど食いつないでいた。そんな時に声を掛けられたのだ。詐欺組織に入って、アパートも借りられて生活も安定した。 詐欺組織は、拓也や由佳が思っていたイメージとはかなり異なった。高度に組織化された専門集団だ。これなら、普通の老人なら、気を付けていても騙されてしまうだろう。 そして、隆司は自首した経緯(いきさつ)を話し始めた。 ・・・・ その日も朝礼から始まった。その日は常務が来る日で、常務の訓示から始まった。 「いいですか皆さん。今、80歳代の人は支払った年金の約5倍の額を受け取ります。35歳ぐらいの歳でほぼ同額、皆さんの年齢なら支払った額が戻ってくるかどうかも判らない。つまり、今の老人の生活を私達が支えているのです。もちろんお年寄りは大事にしなければいけない。でも、今のお年寄り、日々何をしていますか? 少し体調が悪いと、いや悪くなくても病院へ行き、本当に熱を出して苦しんでいる子供達の診療の邪魔をしている。その治療費も我々の税金や保険料が使われている。暇だから朝から喫茶店に入り浸ったり、バスツアーに参加している。平日の美術館は老人で溢れている。スポーツジムも若い人よりも老人の方が多い。そんな優雅なお年寄りの生活を、なぜ生活に苦しんでいる私達が支えなくてはならないのか。でも、政府は(選挙の)票が欲しいから、老人達の言いなりだ。じゃあ、我々世代はどうすれば良いのか。結局は自分たちで、何とかしなければいけない。我々の使命はそんな豊かな老人から、今、生活をしなくてはいけない我々への所得の再配分です。まさに我々がやっていることは、我々労働者階級の富裕層への反乱、革命なのです。我々こそが、世の中を公平な世界に変えるのです」 そしてテーブルに置いていた分厚い本を手しにして言った。 「もし、時間があれば労働者のバイブル、マルクスの『資本論』を読んで下さい。そこに詳しく書いています。さあ、今日も頑張って目標を達成しましょう」(筆者註:資本論にそのような事は書かれていません) 常務の訓示を聞く度に隆司はやる気が出て、電話掛けに精を出した。 実際には常務は資本論を読む振りをしていただけで、読んではいない。おそらく読んでも理解できない。資本論が共産主義思想の根幹になっていると言う事はみんな知っているので、格好をつけていただけだ。だが、隆司達は『さすが常務』と関心していた。 その日の昼休み、2千円程度はするであろう豪華な弁当が常務からみんなに差し入れられた。こういう些細なことで仲間意識や組織への忠誠心を作り出すのだ。 隆司が休憩室で弁当を食べていると、常務がやってきて話しかけた。 「隆司君と言ったね。なかなか優秀だと、部長から聞いているよ」 「いや、まだまだです」 「最近なにか良いことはあったかい」 そこで、仲の良い茉莉花の家へ、ケーキをお土産に遊びに行って、とても喜ばれた話しをした。 「以前の俺だったら、とてもケーキなど買えない。これも仕事をさせて頂いているおかげです」と感謝を伝えたのだ。ただ、その時、うっかり、茉莉花が留学したがっているという話してしまった。 「留学かぁ。お金が必要だなぁ」 「そうだと思います。母親のパートとお婆さんの年金で暮らしているので、とてもそんな余裕があるようには見えないのですよ」 「では、隆司君が少しでも助けてあげられるように頑張らないとね」 「はい、頑張ります」その時、隆司は本当に留学費用の一部を助けようと思っていた。 でも、常務は隆司とは別の考えがあった。 お金の無い家が留学をさせようとしているなら、必ず貯金をしているはずだ、と考えていたのだ。 資産家は日頃から言い寄ってくる人が多いので、騙しにくい。あまりお金を持っていない人の方が騙しやすい。でも、騙しても盗るお金が無い。だから、何かの目的で貯蓄している余りお金に余裕の無い人が一番ダーゲットに適している。 常務は(王子がある)北区を担当している部に指示して、茉莉花の祖母を詐欺に掛けたのだった。 隆司が久しぶりに茉莉花の家に遊びに行くと、芳子が寝込んでいた。 芳子は単に「ちょっと体調を崩しただけだから・・・」と言った。 おかしいと思い、茉莉花を問いただすと特殊詐欺の被害に遭った事が判った。それから一気に気落ちしてしまったらしい。 孫の夢のために長年頑張った貯蓄を奪われた事もショックだったのだが、それよりも自分はしっかりしているから騙される訳が無いと思っていたのに騙されてしまったショックの方が大きかったようだ。 「最初に話しを聞いたときには、酷い詐欺グループがあるものだ、と怒りを覚えていました。自分たちは、違うんだ、と」 「茉莉花ちゃんは、留学なんていいから早く元気になって、と励ましていたけれど、結局3ヵ月後に肺炎で亡くなりました。肺炎は老人にはよくある病気です。ただ、気落ちして体力が落ちていたのでしょう」 「それから1ヵ月ほどしてからの事です。なんと芳子さんからお金を奪ったのは自分たちの組織だと判ったのです。部長が口を滑らせました。常務が僕の話を聞いて、他のチームに指示したのです。その日は常務が巡回してこない日でしたので、僕は部長を問い詰めました。僕達のやっていることは正義ではないのか。なぜ、芳子さんのような人からお金を奪うのだと。彼は答えに窮して本音を吐露しました。『きれい事を言うな。お前もその金を貰っているのだろう。要は取れる奴から取るんだ。お前に渡したリスト、全員富裕層だと思ってるのか』と言いました。僕は富裕層リストだと思っていたので、驚きました。その瞬間気づいたのです。自分たちの行為は正義では無い。自分が給与として受け取っていたお金は、奪われた人達の思いを叩きつぶしたお金なのだと。そう思うと、全然、使えなくなった」 「もし、常務なら上手く僕を言いくるめたでしょう。幸運(ラッキー)だったのは部長だったこと。彼は本音を僕にぶつけた。だから真実に気がついた。部長は僕が大人しくなったので、納得したのだと安心していました。部下が喰って掛かったなど、部長として汚点ですから、常務にも報告はしなかった。それも幸運でした。もし、報告していたら、常務は僕を監視したでしょう」 「それから僕は、組織の情報を必死に収集しました。出勤時、スマホやあらゆる私物はロッカーに入れてから部屋に入ります。部屋から出るときは、身体検査を受け、メモひとつ持ち出せません。情報管理は徹底していました。だから僕は必死に覚えました。リストに載っている名前、誰が誰に電話をしているのか、そして部長や常務の電話や会話の内容、行動パターン、それら見たモノ聞いたモノすべて記憶し、事務所を出てからメモしました。 そして、常務の来る日を調べ上げて、その情報を持って警察へ行きました」 「だから、東京の東半分を壊滅できたんだ」拓也が言った。隆司の刑期が掛け子の割に短かったのは、自首した上で壊滅に協力し、反省していることを裁判所が認めたからだ。 「今は法律事務所に勤めているとか」 「ええ、3年前に出所してから、法律事務所、といっても弁護士は2人だけですが、そこの事務員として働いています。300万円はそこの給与から貯めました。刑務所では法律の勉強をしていました。今もしています。ああ、法律の勉強の前に、資本論は読みましたよ」と少し笑って言った。 「(前歴があるから)弁護士にはなれないのに何故?」 「弁護士になるつもりなどありません。それに司法試験など受からないでしょう。少しでも困っている人を助けたい。そのお手伝いができているだけで十分です。やはり法律を勉強していると、弁護士のお手伝いも効率的です。僕なんかを雇ってくれた事務所に感謝しています。実は中村さん(所長)は裁判の時に僕の弁護をしてくれたんです。国選ですが」 『そうだったのか。だから、なんとか協力しようとしてたのだ』拓也は納得した。そして、気になって訊いた。 「組織に報復されませんか?」 「そうですね。その心配はあります。でも彼らも割に合わないことはしないでしょう。もし、殺人などしたら罪の重さは詐欺どころでは無い」 確かに、そうだが自分ならやはり怖い、と拓也は思った。 「僕は自首する前に茉莉花ちゃんの所へ、別れを言いに行きましたが、『芳子さんが亡くなった原因は自分にある』とはとても言えず、九州での就職、結婚というウソを言った」 「『お婆ちゃんが亡くなって寂しいのに、隆司兄さんまでいなくなるのか』と攻められました」 「何故、結婚すると?」 「彼女が何となく好意を持ってくれているのは判っていました。思い上がりかもしれませんが・・・。でも、僕にその資格などない。もし、好意を持ってくれているのなら、傷つけずにそれを裁ち切りたかった」 話しが終わると、午後3時前になった。 茉莉花の家には、今日の夕方訪問することを伝えている。 訪問時のやり取りを、少し打合せをしてから、日暮里で羽二重団子を手土産に買い、京浜東北線で王子に向かった。電車は空いていて、並んで座ることが出来た。 電車の中で由佳が思いついたように訊いた。 「今の仕事では、逮捕歴を隠していますか?」 「いえ、今の事務所には全て話しています。日常でも、自分から喧伝(けんでん)することは無いですが、必要な時には隠さず話しています」 「何故?」 「隠していても良いことはありません。もちろん偏見はありますが、それは自業自得です。それよりも、隠していたらバレた時に収拾できなくなる。それよりは、知って貰っていた方がいい」 「そうですね。僕もその方が良いと思います」拓也が言った 「でも、茉莉花ちゃんにはウソをつくのですか?」由佳が言った。 「・・・」それには返事が無かった。 拓也がフォローした。 「それは流石(さすが)に言えないだろう。それに目的は茉莉花さんと付き合いを再開することではない。お金を受け取って貰うことだ。その為にはウソも必要だろう」 「それも、そうですね。ごめんなさい」由佳が素直に謝った。 今回の由佳はなかなか厳しい。自分が恋人屋本舗のスタッフとして動いているという自覚があるのだろう。 電車が王子に着いた。 隆司は『よし!』と気合いを入れるように立ち上がった。 第15話完 後半につづく
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