幼馴染

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学校に行かなくなって一か月と三週間、何時もなら、お昼間とか夕方に来る福祉課の職員が今日は抜き打ちで朝の六時に部屋の扉を開いた。 もちろん鍵はかけていたのだけれど、いつの間に入手したものか、彼らは合鍵を使って部屋に侵入して来た。 「花山友則君だね。お母さん、どれくらい帰っていないんだい」  正直な人達なのだろう。 彼らはあからさまな憐憫を含んだ演技などせず、正直に、面倒臭いと云う顔で僕にそう質問をした。 「もう、二か月くらい帰って来ていません」  僕がそう話すと、彼らの面倒くさい顔が余計に陰り、一週間の便所掃除を命じられた人の様な顔になる。 「とにかく荷物をまとめようか。君をこれ以上ここに放置することは出来ないから」 「嫌だ、僕はここでいい」  こんな時、子供と云う立場としては母親の事を思うのだろう。 しかし僕は一番に博恵の事を思った。 施設に収容されればもう博恵と会えなくなる。 それは母親が帰らない事よりもお腹が空いて眠れない事よりも何よりも避けたい事だった。 「君のお母さんは暫く戻らない事になったんだ」 「どれくらい戻らないんですか」 「三年、位かな」  つまりそれは、母親が何らかの罪を犯したと云う事だった。 以前にも半年くらい戻らなかった時、僕は施設に入れられた事が有る。 三年と云う事は、今度は実刑判決で刑務所に入ると云う事なのだろう。 「この近くの施設に入るんですか」 「うん、少し、遠いかな、ここから車で二時間くらいの所だよ」  小学三年生にとって車で二時間の距離は致命的だった。 お金なんてどうやっても手に入らない施設暮らし。 そこから車で二時間走る距離。 僕は遥か中国から天竺を目指した三蔵法師を思い浮かべた。 「ここから近くの施設にして下さい」 「すまないね、生憎とここから一番近い施設が、姫路に在るその施設なんだ」  交渉の余地は無い様だった。 今日の職員は今までで一番に慇懃無礼で憐憫の欠片も持ち合わせていない。 早くこの汚物の処理を済ませて帰りたい、まるで言葉で言われている様に彼らの心が伝わって来る。 僕は彼らの戦闘力を測るために彼らを観察した。 幸い、憐憫の量は年齢に比例して減少する様で、この慇懃無礼な職員二人は体脂肪率も高く推定四十歳を越えている。 中年オヤジとはいえ成人男性二人に筋力では敵わないだろう。 僕に勝機があるとしたら、軽量な身体による瞬発力、それに賭けるしかない。 「分かりました、荷物をまとめます」  僕はここに有る一番大きなスポーツバッグにありったけの本を詰め込んだ。 「君、本なら施設にも有るんだから」 「いえ、この本は僕にとってとても大切な本ばかりなんです」 もう幾度となく読み古したその本たちの内容を僕は暗唱できる。 それはつまりこの本たちが僕に対するその役割を終えたと考えて良い。 そんな本たちに僕は最後の役割を与える。 この大量の本が持つ質量による物理的重さ、それによってこの中年オヤジ二人に負荷を掛け、僕の逃走を助けると云う役割だ。  敬愛する山岡荘八先生の「徳川家康」「織田信長」「豊臣秀吉」更に司馬遼太郎先生の「竜馬がゆく」「坂の上の雲」数え上げればきりがない数の本が詰め込まれたバッグを彼らは持ち手を二手に分け二人でそれを重そうに持ち上げた。 「さぁ、行こうか」 「はい」  僕はその本の重さに完全に彼らが機動性を奪われている事を確認すると、彼らの前に出て一目散にあの高台を目指し走り出した。 「おい!花山君!」
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