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百日目の姫君 1-1
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リノリウムの床を反響する足音に、咲山飛鳥(さきやまあすか)は顔を上げた。
「いつもごめんね、清人(きよと)さん」
緊急病院の廊下の薄暗い蛍光灯が、三澄清人(みすみきよと)の長身をうっすらと照らしていた。白髪が入り始めた前髪を上げている。目尻が下がった優しげな顔立ちは、飛鳥をいつも安心させてくれた。黒いコートと紺のタートルネックのセーターを着た清人は、高校の制服姿の飛鳥の横へ細長い手足を折り曲げるように腰を下ろした。
「未来(みらい)は大丈夫?」
「あいかわらず。抑制剤のオーバードーズで胃のなか洗浄してもらってる」
緊急外来の受付には人の往来が絶えなかった。飛鳥はオメガの父親が発情抑制剤の過剰摂取で緊急病院へ来ることに慣れていた。未来は息子にいつも心配をかける父親だった。ふつうの家庭だったら逆だろうと飛鳥は思う。
「清人さん、顔色悪いけど、風邪引いた?」
気遣わしげな飛鳥の問いに、清人はため息を漏らすようにふっと息をついて笑った。
「貧血気味なんだ」
「清人さんも家でご飯食べればいいんだ。二人も三人も作る手間は同じなんだから」
父と同じ年齢の清人の肩をいたわるように叩くと、飛鳥は制服の肩を震わせた。清人が席を立って黒いコートを脱ぐと、コートを飛鳥に渡した。
「飛鳥まで倒れたら大変だから、着ろよ」
「ありがとう」
飛鳥は清人の大きなコートを着ながら、自分のコートを持ってこなかったことを後悔した。出かける前は身体が火照ってだるかったので、コートを着てくるのを忘れてしまったのだ。
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