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第二百十話 客来の予兆(7)
ルグイラという国は思っていたより乱れているらしい。
そんな噂が立ち始めていた。
――というのも、二通別の書簡が届いたからだ。一通は「手違いなので使者の秘書官には帰国してもらう」とあり、もう一通には「急で申し訳ないが、相互理解を深めるために、春までレジスの文化や学問などを学ばせてほしい。何ならレジスの留学生も受け入れる準備がある」という意味の内容であった。
これは一体どういうことだろう。
さっそくシュクロに問いただしたものの、どちらかが偽物か、何かの手違いではないかという、誰でも予想できるようなことしかいわない。
「レジスのことを学ばせろ」といっているのは当の使者であり、「帰国させる」といっているのは、使者とは別の人物だという。シュクロによれば両者とも間違いなくルグイラでは立場のある人物であるようだ。
それから連日の会議である。
どうも様子がおかしい。このままルグイラの人間を置いておくのは危険だという人々と、使者本人がレジスに留まらせて欲しいといっているのだから国へ帰せば面倒が起こるという人々で毎日侃侃諤諤の大騒ぎである。そこへあちこちに散らばっていた間諜からの情報も次々と入り、結論は二転三転とせわしない。
余計な話し合いが増えたおかげでラヴォート殿下もシェイルもエリッツも連日忙しい。それなのに渦中の人物は朝になるとシェイルの執務室にお茶を持って現れ、くつろいでいる。
「シュクロさん、自分の部屋でおとなしくしていた方がいいんじゃないですか」
エリッツもだいぶ慣れてしまって、諦めの境地に達していた。あんなに鬱陶しかったシュクロは日替わりの案内役とセットで風景になりつつある。目障りには違いないが、本人が主張するようにルールはちゃんと守っているようだった。そうなると元来おおらかな質であるエリッツはイライラしていることに疲れて、どうでもよくなってくる。
「やだね。あそこ、退屈なんだもん」
「今日は、それ、何をしているんです?」
シュクロは執務室の応接で何か書き物をしている。エリッツが判読できない文字なので、ルグイラの文字かもしれない。見ていると毎日いろんなことをしている。
「レジスのことを書いてんの」
それはつまり密書か。エリッツは文字をじっと見つめる。全然わからない。
「レジスは城の敷地内でヤギを飼っていて、書記官は子ヤギの愛らしさに夢中」
そんなことを嘯きながらサラサラとペンを走らせている。本当にそんなどうしようもないことを書いているのか。どれだけ目を凝らしても異国の文字が読めないのでわからない。下手なことを言って読めないことをバカにされるのも嫌だった。語学ができないのはエリッツのコンプレックスでもある。早々にあきらめて、シュクロを無視したままシェイルに朝の挨拶をしに行く。
いつも通りの簡単な朝の挨拶の後、シェイルがエリッツの方へ書類を差し出した。
「もう忘れているかもしれませんが、あのクルヴァルが王室御用達に決まりましたよ」
あのお店の名前が書かれた紙面に「承認」と印が押され陛下の署名が入っていた。やはり一口で食べられるクルヴァルの方だ。
「ほんとだ! よかった」
シェイルと城下をデートした日がずっと遠く感じる。とにかくこれ以上仕事が増えなくて助かった。しかしシェイルの顔はあまり晴れない。
「それと一緒にこれが」
承認の書類の後ろにもう一枚書類が重なっている。シェイルはエリッツが読みやすいように書類を入れ替えてくれた。
「これは、どういうことですか?」
レジスの文字なので、もちろんエリッツも読めるし内容もわかる。ただなぜそうなるのかわからない。
「苦肉の策というやつでしょう。何かが起こっているらしい国の人間を城内に留め置くのも危険、しかしぞんざいに扱うのも危険。それならば、しばらくの間、丁重に遠くへ行ってもらおうということでしょう」
そこまではいいが、なぜその指示がこちらに来ているのか。
「陛下ですか?」
「もちろんです」
「なぜシェイルなんですか?」
「監視をつける名目がつくれるからだそうです」
書面の内容はシュクロを連れてしばらくレジス国土を観光してくるようにという指示だった。場所等は事前の申請、検討、決裁の工程が必要だがある程度は任せるとある。また丸投げ案件だ。
異国人のシェイルに振る仕事ではないと思うが、捕虜であるシェイルに監視をつけるという名目でシュクロのこともついでに見張れるので都合がいいという意味か。
「まさか春まで……?」
「いえ、これはルグイラの内情がもっと詳しくわかるまでの時間稼ぎらしいので、そんなに長くはないはずです。それにレイミヤ様の部下はルグイラに留学させられるそうなので、こちらはまだマシな方といえます。わたしがレジス城下からお菓子を取り寄せていることをきっちりと調べあげる部下ですから、きっとルグイラの情報もうまく持って帰ることでしょう」
何か妙なことを根に持っている。要するに使者からの書簡の方を信用することにしたわけか。
「ルグイラが今どうなっているのかよくわかりませんからね。間諜たちの報告では、表面上は何事もないような様子ですが、水面下ではやはり何かあるようです。あっちの方が危険で面倒くさい仕事になるでしょう」
確かにそうだ。すでに風景のようになっているシュクロとレジス国内をめぐるのと、よく知らないうえに何かが起こっているらしい異国に行かされるなら断然前者の方が気楽で安全だ。
「え!」
ふむふむと紙面を眺めていたエリッツは急に声をあげた。
「これはもしかして旅行ですか!」
「ええ。仕事ではありますが、そうなります」
エリッツは上目遣いでシェイルを見あげる。
「あ、あの、おれは?」
「当然、わたしについてきてもらいます。出先でもできる仕事はやりますからね」
ついに念願のシェイルと一緒に旅行。じわじわと喜びが胸に広がる。またエリッツはうれしくなって、にこにこしてしまう。
「へー、観光旅行? 俺は別にここでごろごろしててもいいんだけど」
そこへ当のシュクロが部屋の戸口までやってくる。書類や資料の多いシェイルの部屋は当然立ち入り禁止なので、案内役も戸口にぴったりと張り付いていた。男二人が戸口をふさいで、何とも息が詰まる。
そうか。旅行とはいってもシュクロがいるのだ。邪魔なことこの上ない。
「シュクロさんが嫌なら、おれたちだけで行きますからその辺でごろごろしていてください」
エリッツはついつい願望を口にしてしまう。
「エリッツ、目的と手段がごちゃごちゃになってますよ」
シェイルは書類を机でとんとんと整えて立ちあがる。
「さて、どこか行きたいところはありますか?」
「いや、だから俺は――」
シュクロは面倒くさそうに口を開くが、それをシェイルは静かに遮った。
「ご心配なく。レジスの牢よりは手薄かもしれませんが、わたしの監視役がたっぷりとついてきますから、そこまで危険ではないですよ」
いつもふてぶてしい態度のシュクロが、めずらしく目を白黒させている。エリッツも意味がよくわからない。
「ご希望ならリギルにもついてきてもらいましょうか。腕前はよくご存知でしょう」
シェイルは特に何でもない様子で書類を片付け、山積みになっている仕事に取りかかる準備などをしている。
「厳重に警備されたレジスの牢に入りたかったんでしょう?」
あまりにシュクロが呆然としているからか、シェイルはさらにいいそえる。
「残念ですが、レジス国王陛下は一筋縄では行きません。牢に入りたそうにされると、このように逆のことをされます。今後は気をつけた方がいいですね」
そういえば、シェイルもエリッツもどうにかしてシュクロにクルナッツを食べさせてやろうとしていた。どうやらいろいろと裏目に出てしまう質らしい。
「シュクロさん、牢屋に入りたかったんですか?」
異国の街中であんな暴れ方をすれば、通常、牢屋といわずとも拘束は必至だ。もちろん逃げられないように警備も厳重になるだろう。
シュクロは言葉を失った様子でシェイルを見つめている。エリッツはその視線を遮るようにわざわざ立ち位置を変えた。減るものではないかもしれないが、長時間シェイルのことを見るのはやめてほしい。
「牢屋とか、拘束とか、そういうのが好きなんですか?」
「はぁ?」
呆然自失の状態からようやく息を吹き返したかのようにシュクロは声をあげた。
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