第一話

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第一話

一枚のコインの、裏かオモテかと選択を迫られたとする。僕はこういう時、裏でも表でもないそれ以外の選択肢を探してしまう。それは子供のわがままなのか、それとも大人の妥協なのか。 「ただいま」 照りつける日差しから逃れるように、ひんやりとした玄関にカバンを置いた。 8月に入り、ますます蝉の合唱が盛んになって来た。世間はお盆休みでも、ゆっくり休めないのが受験生の哀しいところだ。高校からの帰宅を知らせる僕の声に、返事をする者は無く、シンとした静寂が孤独を知らせる。無言でワイシャツをソファに放り投げ、冷蔵庫へと直行する。確か昨日覗いた時点では、コーラがまだ残っていたはずだ。CMのように、シュワシュワと小気味よい音を立てて、氷に弾ける琥珀の液体。僕は喉にくる刺激を楽しみながら一気に飲み干した。 「ナニ飲んでんのよ」 「!ビックリした!いるなら返事ぐらいしろよ姉ちゃん……」 危うくコーラを吹き出しそうになった。突然背後から話しかけた姉は、Tシャツ短パンで濡れ髪を拭きながら立っていた。 「アタシが飲もうと思ってたのに、勝手に飲むなよバカ」 「蹴るなよ暴力姉!アネハラで訴えるぞ!」 姉は、高校を卒業するまで空手をやっていたせいか、とにかく気が荒い。気分が良くても悪くても、口と同時に手足が飛んでくるので、取り扱いに困ってしまう。 「コンビニ行って来いよ、今すぐダッシュで」 「やだよ外暑いし。自分で行けばいいじゃん」 「……仕方ないなあ。リョータが買いに行かないからアタシはコレで我慢してやろう」 そう言うと、姉は冷蔵庫の奥から缶ビールを取り出し、勢い良く栓を開けた。なんだよ最初っからそっちが目的だったんじゃん。ややこしい。 「そう言やリョータ宛に小包来てたわ」 「小包?誰から?」 「知らない」 「どこに?」 「知らない」 「ナニその分かんないもの見た!みたいな情報」 姉は自由すぎる。優しさとか、思いやりとか、そういう心のクッション的な柔らかさは、オークションに出したに違いない。 「アンタの友達なら見たわよ。なんとかって名前の悪ガキ。杉屋の前で突っ立ってわ」 「あいにく知り合いにナントカさんなんて人はいまセーン ……ゲフッ!」 姉は器用にも、冷蔵庫のドアを足で閉めながら、同時に肘で僕の横腹にツッこみを入れる。 僕は追撃を避けながら、今のクラスのメンバーの顔を浮かべてみるが、近所に住んでいるやつはいない、と首を傾げた。 「いたっつーの!賭けトランプかなんかで問題起こした、杉屋の横のマンションに住んでた」 「杉屋の横……?ひょっとしてオノケン!?」 「そう!それそれ!忘れもしないわあのガキ、初対面の私にカンチョーダッシュしやがって。乙女の肛門に指を突き立てるとか、万死に値するわ!今度見かけたら超殺すし」 たった今まで忘れてたくせに。何が忘れもしないだよ。それと、乙女は肛門とか超殺すとか口に出さん。 僕は姉の愚痴を聞きながら、小学生の時の苦い思い出を思い出していた。 5年生の時、僕には小野賢至という同級生がいた。 オノケンはとても明るい性格で、スポーツ万能、背も高くてクラスの中でも目立つ存在だった。特別頭が良いわけではなかったが、いたずらにかけては天才的で、先生や地域の大人達も彼には手を焼いていた。かと思えば、下級生の面倒をかいがいしく見たり、ボランティア清掃に積極的に参加したりと、真面目で優しい所もあった為、とにかく人気者だった。 同時期、TVかなにかのきっかけで、賭けトランプが流行したことがあった。 オノケンはそれを「お楽しみ会」と名付けて仲間内で遊んでいた。最初は少人数で、1円を賭けるだけのシンプルなルールだった。僕は最初、子供がやるようなギャンブルの真似事なんて、すぐに禁止されるとタカを括っていた。しかしイタズラの天才オノケンは、巧妙に、精緻に、賭けトランプのシステムを改革していった。 まず絶対大人には悟られないようにする。これがまず第1に守るべき絶対のルールだった。子供が隠れてやるような事に、渋い顔をしない大人なんているはず無いからだ。そして金銭のやり取りがバレ無いように、色分けした金券を作ったり、参加費として全員一律の金額を徴収することで、公平感を出したり、勝者を一人だけにする事で優越感を演出。さらにはトーナメント戦、タッグ戦、高額線と次々にイベントを開催した。その効果は絶大で、このブームが始まって1ヶ月足らずで、クラスのほとんどが参加するまでになっていた。 しかし、僕らを夢中にさせたこの「お楽しみ会」は、何の前触れもなく終わりを告げた。 オノケンが突然転校してしまったのだ。
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