三章:本当の自分

31/52
40人が本棚に入れています
本棚に追加
/240ページ
 ◇   ◇   ◇ 菖蒲達に恵流との邂逅を伝えてから数時間後。七色はまた見慣れた病院の景色に降り立ち、胡散臭い笑顔の恵流に出迎えられていた。 「やぁやぁ、今日も昨日ぶりかな? そろそろちんまいバナナさんに違和感がなくなってきたや」 「あたしは違和感しかありませんが。自分にも、貴方の姿にも」 「バナナさんは意地っ張りな所があるからなぁ。でも、そのうち慣れるよ」 「また知った風な口を……そもそも、慣れたくありません。思い出が汚れます」 恵流は、七色の過去に登場している男の子の姿を取っている。重ねたくない気持ちは未だに強い。 「あはは。仮に僕がもしシロくんだったとしたら、今のバナナさんも結構な勢いで思い出を汚してる事を自覚して?」 七色が辛辣なのは恵流にとっての日常だが、思い出の男には想像の埒外であったに違いない。 「万が一。いえ、那由他が一そうだったとしても、今さら取り繕った所で遅いです。それはお互い様でもあります」 七色の恵流に対する評価は既に失望が塗りたくられて、激情によりこんがり焼かれている。恵流にとっても恵流を敵視する七色が常である。 「表面上の美醜に執着はしていませんから、あたしに不都合はありませんが」 「確かに、お互い様だね」 七色自身が口にした意見だが、改めて恵流に一緒くたにされるのは喉に魚の小骨が詰まったような不快感があった。恵流は狙ってやっているのだろう。本当に嫌な相手だと七色は思う。 「……それで、今回は何をするか決めているんですか?」 だから七色はさっさと話しを進める事にする。せめてもの抵抗か、雑談に興じるような間柄ではないという線引きだった。 「前回の僕の過去語りでバナナさんに確認したい事がなければ、この病院を見て回りたいと思ってる。近況報告でも聞きながらね」 「あたしからは特に。不可解な点ばかりで手の付けようがないという意味です」 「途方に暮れちゃうよね。今の状況もだけど」 「散策は、脱出の手がかり探しですか」 「それも当然あるんだけど……」 「煮え切らない返事ですね。記憶探しでもするつもりですか? この場所の記憶は欠片もないと断言していたのは貴方でしたよね」 それは、恵流が七色の思い出の男の子に足りえない最たる要因の一つだ。現状をより厳密に言うなれば、容姿以外に共通点が見当たらない。 「そうだよ。全く記憶はないんだ。ここでこうして君と向き合っていても、何かが喚起される気配なんて微塵もない。僕は、この場所を知らない。それは間違いない」 「回りくどい言い方は好きません。あたしの不興を買うのは百害あって一利なしだと思いますが?」 「そう思うから、言い淀んでるんだよ」 「妙ですね。もし口にしない方が得策な内容だったら、貴方なら最初から匂わせるような真似をしません」 話した方が有利に働くなら一切合切の迷いもなく打ち明ける。不利になるのなら、そもそも口に出さない。話術の基本中の基本だ。奸智に長けた恵流が初歩的なミスをするとは考え難い。 「……これは、インチキだ。この僕がそう思うほどの裏技めいた手法だ」 神妙に心情を吐露する恵流だったが、七色は感情の機微に乏しい顔で器用にきょとんとして言う。 「いつも貴方が取っている行動と何が違うんですか?」 「そうだね。僕はいったい何を迷っていたんだ」 おかげさまで恵流は簡単に吹っ切れた。その躊躇が何処から生じたのか、そんな疑念に気づかないふりをする。 「バナナさんの話を聞いて、僕が自分をシロくんかも知れないと言い出したのには、根拠と言うにはあやふやだけど一応の理由があったんだ」 そう丁寧に前置きして――。 「これまで二つの真実に至った時、計ったように僕は自分の過去に纏わるかも知れない夢を見た。その両方に――病院という舞台で病床につく”妹らしい人物”がいた。その会話の中で、そこで知り合ったっていう友達の存在も出てたんだよ」 ――ズルをした。 七色は知っている。それくらいの付き合いはしてきた。こういう時に、恵流は噓を吐かない。
/240ページ

最初のコメントを投稿しよう!