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エピローグ
ぱたぱたと廊下を走る音が近づくにつれ、ヨルンは微睡みから覚めていく。
その顔は、春風のような声を思い浮かべて、自然と笑顔になった。
「ただいま、戻りました!」
カウンシル執務室の扉を開けて、ユウリが元気よく飛び込んでくる。色がついていたら黄色いであろう嬌声を上げながらナディアが突進してくるのをひらりとかわして、ユウリはそのまま真っ直ぐにヨルンの横たわる長椅子へと向かい、彼の膝の上にちょこんと座った。
「きぃぃぃぃいっ! 羨ま悔しいぃぃぃぃっ!!」
「うるさい、ナディア」
「おかえり、ユウリ」
ナディアの雄叫びにうんざりとしたツッコミを返すユウリを愛おしそうに外套で包んで、ヨルンが額に口付ける。くすぐったそうにして、ユウリはお返しとばかりに、幸せそうな笑顔でヨルンの頰にキスをした。
「ああ……羨ましい……憎らしい……」
「……ユウリが大人になっちゃった」
ナディアがさめざめと愚痴る横で、その様子を眺めていたリュカが、哀しそうに頰を膨らませた。
「真っ赤になって照れていた、俺の可愛い妹はどこに行ったの!」
「ナディアちゃんは仕方ないとして、リュカ様も、いい加減大人になってくれないかしら」
さらりと毒を吐くヴァネッサに、ユウリが笑う。
キッチンからは、ワゴンを押したレヴィが出てくるところだった。
「お帰りなさい。ナディアに強請られて、丁度お茶菓子をお出しするところですよ」
「わあい! 久しぶりにレヴィさんのお茶飲みたいです!」
ソファに座って、満足げにカップを傾けるユウリに、ロッシと机で作業するユージンが声を掛ける。
「久しぶりのトラン村は、どうだった?」
「あ、えーっと、村長が死にかけました」
ざわつく一同に、ユウリが笑いながら説明した。
四大王国中央庭園でのスピーチを終えて、ほぼすぐに、ユウリは《始まりの魔法》を使って帰省していた。
各種新聞ですら数週間遅れで纏めて届けられる《辺境の地》トラン村には、画像投影機なんて洒落たものはない。
つまり、歴史的スピーチの映像を見ることなく、彼女が《始まりの魔女》であることをまだ知らなかった村長は、夕食の席でそれを告げられ、驚きのあまり食べかけのパンを喉に詰まらせて、危うく昇天しかけたのだ。
「あの顔は、見ものでした」
「結構酷いな、お前」
ロッシに突っ込まれて、あはは、と笑うユウリは、その後村長に言われた言葉で泣きそうになったことは黙っておいた。
——ようやく居場所を見つけられて、良かったの
記憶も無く、爪弾きに遭いながらも、ずっと踠いていたユウリを知るからこその、優しい言葉だった。
頭を撫でられて見上げると、吸い込まれそうに美しい銀色に、漆黒が映っている。
彼も、自分の瞳に映る銀色を、同じ想いで見つめてくれているのだろうか。
「今度、ヨルンさんも一緒に行きましょうよ」
「そうだねぇ」
「ユウリ、こんな派手なのが《辺境の地》なんかに降り立ったら、村長、今度こそ本当に天国に行っちゃわない?」
「あ、ありえるかも……」
リュカに同意するユウリに、少しムッとした顔を向けて、ヨルンが唐突に思い出したように言う。
「あ、そういえば、父上が早急にフィニーランドに遊びに来いって」
「ス、スヴェン陛下が!?」
「うん。母上が、先にユウリに会ったこと根に持ってて、口聞いてくれないんだって」
「ふぇ!?」
素っ頓狂な声を上げて、固まったユウリに、ヨルンは無邪気に、いつにする?と問いかけている。
例え義理の両親にあたるのかも知れなくても、国王陛下と王妃に会うのは緊張する。
「母上、毎日でもお披露目パーティーするって張り切ってるよ」
「そんなこと言われたら、余計行きづらいですって!」
「いい加減、腹を括りなさいな」
苦笑するヴァネッサに、ユウリはうう、と呻き声を上げて、覚悟を決めたようにヨルンを見る。すっかり眉尻の下がってしまった彼女に、煌めく銀色の下から輝かんばかりの笑顔が向けられた。
「ちゃんと、幸せにするから」
「!!」
遂に真っ赤になって固まってしまったユウリに、ヨルンが笑いながらキスをして、リュカが面白くなさそうに、やっぱり可愛い妹じゃん、と呟いた。
それを眺めながら目を細めたユージンに、眉ひとつ動かさないロッシが聞く。
「分析は終わったか?」
「ああ。このレポートと……」
窓から差し込むみずみずしい初夏の光を浴びて、机に置かれた機械時計がキラリと光っていた。
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