堕ちる姫

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「…弘徽殿(こきでん)中宮(ちゅうぐう)様は、本当にそう思われていらっしゃるのでしょうか。」 枝桜(えだざくら)文様の小袿(こうちき)を着せてもらった梦月(むげつ)は、主上(おかみ)に手を取ってもらいながら、ゆっくりとその場に着座した。小袿の下の白薄様(しろうすよう)(かさね)がはらはらと美しく広がり、ただ座っているだけだというのに、梦月の姿は気品に満ち溢れている。 梦月は(うちき)の裾に視線をやりつつ、小さく首を傾げた。 「中宮様は無理をしていらっしゃるのでは?」 「…だとしても、(ちん)がそれを中宮に指摘する事は無い。」 重々しく、しかしはっきりと言い切った主上。梦月が思わず顔を上げて「何故?」という視線を主上に向けると、主上は僅かに険しい表情を見せた。 「何故なら…もしそれで『無理をしている、本当は辛い』と中宮に言われても、朕はそれを受け止めるだけの感情を彼女に持ち合わせていない。」 …誠実、故に残酷。 主上は、中宮に対して恋愛感情を全く抱いていない。そのため、もし中宮に「辛い、悲しい」と言われても、それに対して主上は応えることが出来ないのだ。抱き締めて慰めたいとも、中宮と子作りに励もうとも思わないのに「無理はしていないか?」と声を掛けるのは、(かえ)って無責任である。 主上は視線を落とすと、仄暗い顔をした。 「…実のところ、朕は中宮が苦手だ。」 「苦手とは…しかし幼少の(みぎり)から共に過ごしていらっしゃったのでしょう?」 そしてそのまま添臥(そいぶし)を務め、春宮妃(とうぐうひ)として後宮に上がった弘徽殿の中宮なのに、主上に「苦手だ」と言われてしまっては、余りにも立場が無い。 驚く梦月を他所に、主上は小さく項垂(うなだ)れる。 「中宮は幼い頃から常に正しく振る舞う女子(おなご)であった。その上、朕より三つ歳上。優しい姉というよりも教育係のような存在で、朕にとっては常に気の張る相手であった。」 …確かに、同い年の女子(おなご)男子(おのこ)でさえ、女子(おなご)の方が大人びて見えるというのに、それが三歳も年上ともなれば、その差はもっと大きく感じられたことだろう。 その年上の姫が殊更(ことさら)品行方正で、教育係のような役割まで果たしていたとなれば、恋心が芽生えるのは難しかったかもしれない。
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