1 二人きり

1/1
49人が本棚に入れています
本棚に追加
/15ページ

1 二人きり

 車から降りて、久しぶりに買い換えたSUV車を眺めた。(カーキで正解だったな) 少し山奥に入った直樹の住まいは木々に囲まれており、セルフビルドで建てた木造の家は時間の経過とともに周囲の自然とも溶け込み、素朴で温かみのある雰囲気になっている。  兄の颯介からは相変わらず地味な趣味だと言われたが、彼ののメタリックな大型ミニバン比べるとこれくらいのほうが自分には似合っているし落ち着くと思う。(後で洗車しよう)  玄関に息子のスニーカーがないことに気付いた直樹は今日明日、優樹が修学旅行で居ないことを思い出す。(十二年ぶりか……?) 妻の緋紗と二人きりになるのは、何時振りか忘れるくらい過去のことのように感じる。(洗車はまた今度だな) 銀縁の角ばった眼鏡の位置を人差し指で少し直し、静かに笑いながら直樹はそっと家に忍び込む。リビングをこっそり抜け、台所を覗いた。 緋紗は甲斐甲斐しく食事の支度をしている。四十代になった緋紗は、若いころの中性的でほっそりとした肢体から少し丸みを帯び、ウエストのくびれはそのままに女性らしいS字ラインを描いていた。クリムトのダナエのようだ。 食器を並べ終わった頃を見計らい、緋紗を後ろから抱きしめる。 「ただいま。奥さん」 「あっ。びっくりした。あなた、お帰りなさい」 「今日、優樹いないんだよね」 「ええ。なんか静かね」  直樹と緋紗は結婚して十四年になる。男性不妊症だったのが奇跡的に一人息子に恵まれた。そして小学六年生の息子の優樹は今だに緋紗にべったりだ。  十歳になった時に子供部屋で独りで寝かせようとしたが、いつの間にか二人のベッドに潜り込んでくる。息子が可愛いと思う気持ちと、緋紗との間に割り込んでくる鬱陶しさに時たま不満が湧いてくる。自分でも大人げないが恋のライバルのようだ。緋紗は案外あっさりとしていて一人息子を溺愛している様子がないのが救いだ。(そろそろ好きな女子とかいないのか) 直樹は優樹に早く母親離れをしてほしいと望んでいる毎日だ。  スカーレットオークでできたキングサイズのベッドは広々として二人の憩いの場であり、二人の時間や思いを刻んでいる。このベッドで幾夜愛し合っただろうか。二人のこと全てを知っているベッドだ。  直樹は辛口のマティーニを作り緋紗の作ったグラスに注いでベッドに運んだ。飲みながら緋紗の肩を抱き直樹はつぶやく。 「今日は邪魔が入らないから、ゆっくりできそうだな」 「そんな……」  緋紗は優樹のことを想って少し困った笑顔を浮かべた。 「今夜は優樹のこと、ちょっと忘れて。」 久しぶりに二人きりの夜を過ごした。
/15ページ

最初のコメントを投稿しよう!