サリトテ

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サリトテ

 サリトテは従者ロボットでした。主人となる人間に付き従い、あれこれ手助けをする人型ロボットです。サリトテはスズが生まれたときから、傍にいました。  サリトテは旧式でした。中古マーケットにも出回らないほど古い型です。もしかしたら、博物館なら欲しがるのではないかと、スズはひいお祖母様に聞いたことがあります。けれど、ひいお祖母様は笑って否定しました。サリトテは、ひいお祖母様の作った初号機に似て非なるもの。学術的価値も骨董的価値もない、ただの古びたロボットなのでした。  サリトテは、ひいお祖母様が作りました。ひいお祖母様は科学者で、ロボットの母とも呼ばれたそうです。まるで本当のお母さんのように、たくさんのロボットを生み出しました。  従者ロボットを初めて作ったのも、ひいお祖母様でした。ロボットが誰もの身近に、そして親密になったのは、ひいお祖母様の功績でした。今どき一人で出歩く人間は、子どもでも一人一台は従者ロボットを持っているものです。  とはいえ、最近はウエアラブルな形態が一般的になりました。特に幼少期には求められる機能も限定的ですから、クラスメイトはメガネをかけたりリストバンドをしたりする程度です。大人の人間の形をしたロボットを連れて歩いている小学生は、稀でした。 「サリトテと一緒にいると、オンボロってバカにされるの」  スズは、ひいお祖母様に訴えました。 「わたしも、小さいロボットがほしい」 「そうねぇ。わたしは、サリトテがいいと思うけどねぇ」  その頃には研究の第一線を退き、スズと一緒に暮らしていたひいお祖母様は、笑っていなすだけでした。 「サリトテなんて、なんの役にも立たないし」 「傘にはなるでしょう」 「そんなの、他の雨具を買ってくれればいいじゃない」  サリトテは旧式なので、これといった機能はありません。しかも、スズはまだ7歳なので、もし高機能だったとしても、あまり使い道はありませんでした。成長期の心身の健全な発育を阻害する恐れがあるとして、過度な機械の使用は、学校教育では禁止されているからです。  そうはいっても、それは校内だけの制約ですから、みんなそこそこ新しい機種を使用しています。  それなのにサリトテときたら、傘になることくらいしか使いみちがないのです。  しかも、サリトテが変化するのは、これまた骨董品のような伝統的な傘です。今どきの雨具ではありません。 「あんな古めかしい傘なんて、使っている人いないよ」 「他の人なんか関係ないわ。それに、わたしは傘が好きなの。自走式にしてあげただけ、いいじゃない。わたしが子どもの頃なんて、自分で重たい傘を持って歩いたのよ」  ひいお祖母様が傘が好きかどうかなんてスズには関係ないと思いましたが、これ以上は何を言っても聞いてくれそうにありません。  その後もスズは、ひいお祖母様やお父様、お母様に何度も他のロボットや雨具を買ってほしいと訴えましたが、壊れていないならサリトテを使いなさいと諭されるだけでした。  サリトテは古いくせに、壊れたりしません。暇になったひいお祖母様が、こまめにメンテナンスしてくれるからです。  そういうわけで、スズとサリトテはいつも一緒でした。  そして、サリトテはだいたい人か傘の姿をしているのでした。  スズがもう少し大きくなると、こんなことがありました。  授業中にクラスメイトから消しゴムのカスをぶつけられたのです。  いやがらせです。古めかしいサリトテを連れて歩いているのがおかしいと難癖をつけて、これまた時代劇のようにゴム製の消しゴムのカスを投げつけてきたのでした。  サリトテはすかさず傘になって、カスがスズに当たらないよう守りました。  カスが当たらないようになっても、教室の中で傘を広げていては、目立ってしまいます。  幸い、人型のサリトテをいつも連れているスズは後ろの席に座っていたため、他の人が黒板を見る邪魔にはなりませんでしたが、いじめに加わっていない人たちもチラチラとスズを見てきます。 「ねえ」  授業中なので、スズはコソコソとサリトテに話しかけました。 「消しゴムのカスとかなんだから、少しは当たってあげてほうが、気が済むんじゃないかしら」 「いいえ、スズ様。彼らも、わたくしの機能を知っているのです。わたくしがスズ様を守れるのにも関わらず、そのお役目を放棄したとあっては、ますます調子に乗るだけです」  スズは少し考えてから、それもそうかと納得しました。 「それに、わたくしが職務を放棄するのは、ほぼ不可能です」 「それもそうね」  ひいお祖母様は、持て余した時間を使って、サリトテを度々機能強化してくれました。スズを守るという強固なプログラムもそのひとつです。もともと主人には従順な従者ロボットですが、サリトテは消しカスひとつスズに当たらないよう瞬時に守りを固めます。  とはいえ、その形式といったら、やっぱりお得意の傘なのでした。 「ねえ、サリトテ。消しカスなんかより、ドッチボールのボールが当たらないように、できないかしら?」  スズは、少々運動が苦手でした。 「それはできかねます、スズ様。スズ様の健康的な成長をお守りするのが、わたくしのお役目で、体育の授業は必要不可欠とプログラミングされています」 「ひいお祖母様ったら、余計なことを」  スズが唇を突き出したとき、先生が振り返りました。サリトテは瞬時に人型に戻ります。 「そこ、うるさいですよ。従者ロボは授業中、しゃべらないように設定しておくルールはわかっていますね?」 「はい、先生、すみませんでした。けれど、消しゴムのカスを投げてくる人がいたので、危険を察知したロボットが作動してしまったんです。わたしもおしゃべりをやめますけど、授業の邪魔をする人もやめさせてもらえませんか?」 「なんですって?」  先生は授業を中断して、こんこんとお説教をし始めました。  スズとサリトテはそっと目配せしあって、肩をすくめます。二人は、すっかり仲良しでした。  スズは、もっと大きくなると科学者になりました。そして、戦争が起こりました。  スズは軍事研究には携わっておらず、ひいお祖母様のようにロボットの研究もしておらず、およそ戦争とは関係のないことを研究対象にしていましたが、勤めていた研究所が空襲にあいました。  逃げ惑うスズには、サリトテがついていました。  なんとか炎からは離れましたが、爆風が二人を襲います。  サリトテは傘になって地面に倒れたスズを覆うと、熱風も大きな金属片も跳ね返してしまいました。強力な傘です。  しかし、スズは気が気ではありません。 「だめよ、サリトテが壊れちゃう!」 「この程度の衝撃では私はダメージを受けませんが、スズ様に直撃した場合、打ちどころが悪ければ即死します」 「それはそうだけど」  戦況はどんどん悪化しています。  なんとか家に帰り着いた二人でしたが、スズは暗澹たる気持ちになりました。 「この戦争を止められたらいいのに」  スズが漏らすと、サリトテが尋ねました。 「本当にそう思いますか?」 「当たり前でしょ」 「それは存じませんでした」  スズは驚きました。  しかし、思い返せばスズにとってはあまりに当然のことだったので、口に出したことはなかったのかもしれません。  それに、スズがひとり反対したところで、戦争は止められるものではないと考えていました。戦争の力は大きすぎて、スズの周りのものをどんどん変えていってしまったからです。  そのころスズは、天体の研究をしていました。望遠鏡を作って星空を観察したり、複雑な計算やシミュレーションをして、地球の外の外の外の、とても遠い宇宙のことを調べる仕事です。  おもしろい仕事でしたが、世の中の役に立つとは思っていませんでした。少なくとも向こう50年ほどは、科学の世界の外では役に立たないだろうとスズは思っていました。  周囲の研究者は、法外な研究資金に釣られて、あるいは自分の正義のために、またあるいは自分の研究を無理やり打ち切られたりして、戦争に役立ちそうな研究に移っていきました。  スズがまだ自分の研究を続けていられるのは、もともと微々たる研究資金しか獲得できていなかったからか、研究者としての成果が芳しくなかったからか、あるいは、その頃にはとうに亡くなっていましたが、稀代の科学者ともてはやされたひいお祖母様の威光に守られていたからで、単に運が良かったのだとしか言いようがありません。スズも戦争に加担させられるのは、時間の問題でしょう。  というより、研究所も燃やされてしまったとなっては、研究どころではありません。スズは、目の前が真っ暗になりました。  目を閉じると、さっき見たばかりの燃え盛る研究所や街や人で目の裏が真っ赤に染まります。 「戦争、止めたい」  スズから、小さな声が漏れました。小さな小さな呟きでしたが、心の奥底から湧き出た想いでした。 「でしたら、わたくしを差し出してください」  サリトテの言葉に、スズは首をかしげました。 「どこに? 飛行機にでもなるつもり?」  武器を作るために、国民から金属を徴収しているという話は、スズも聞いたことがありました。 「いいえ。わたくしが傘になりましょう」 「シェルターにでもなるの? さっき、わたしを守ってくれたように」 「いいえ。わたくしの心臓を差し上げます」  悪趣味な表現に、スズは眉をひそめました。  しかし、危ないことはしないとサリトテが約束したので、スズはサリトテに言われるがままに、お役所に連絡しました。  すると、すぐにお役人がやって来ました。ひいお祖母様の弟子だったという、偉い学者です。  サリトテを連れて行くというので、スズは心配しました。 「大丈夫ですよ、スズ様。すぐに帰ってきます」  サリトテは本当にすぐ帰ってきました。  でも、次は外国に行くというので、今度はスズもついて行くことにしました。  サリトテが連れていかれた先は、国際機関でした。サリトテは、ロボットの病院のようなところに入れられました。いろいろな検査をしている間、学者や役人がスズに説明してくれました。 「サリトテ氏の中心部にある電子部品には、世界に現存するロボットのおよそ99.9%を、瞬時に停止させる力があります。これをわが国のためだけに用いれば、世界のバランスを大きく変化させることも可能な大いなる力です」  スズは、にわかには信じられませんでした。 「我々もすぐには信じられませんでしたが、以前からその力の存在は、まことしやかに噂されていました。理論的には、可能だからです。もし、存在しているとすれば、現代のロボット工学の始祖であるあなたのひいお祖母様がなにかヒントを与えてくださるのではないかと思っていましたが、まさかそれそのものを残していたとは」  科学者の端くれであるスズも、サリトテの力の理論を学び、理解しました。  連結もせず、それぞれ別個に存在するロボットをサリトテ1台で止めてしまえるなんて魔法のように思えますが、目の前に実在するのですから、信じるよりほかにありません。真核生物の細胞にミトコンドリアが存在するように、ロボットの中心組織に必ず存在するある種の電子部品が、その奇妙な連鎖反応に呼応するようです。現代ロボットの基礎を、そしてなによりサリトテを作ったひいお祖母様が残したカラクリと考えられました。  サリトテに隠された力は、精密な検査を経て、国際的に証明されました。それが発表されると、世界中がどよめきました。そんな力があっては、戦争どころではないからです。今の暮らしには、とても密接にロボットが関わっていて、ロボットなしではどの国だって生活もままなりません。サリトテが味方についた国が、世界を征服させることだってできます。  しかし、サリトテを国際機関に連れて行った役人たちは、こう宣言しました。 「ただちに世界中の戦争を終息させれば、サリトテ氏の力を、わが国は脅威として使用せず、国際法に則り平和利用することを誓います」  サリトテの力を笠に着た脅しでした。  でも、実はお役人もサリトテに、戦争をすぐにやめないと、世界中のロボットを止めてしまうと脅されていたのです。  サリトテは、世界の脅威となりました。  スズは、サリトテを心配しました。 「これでは、あなたが狙われるわ」 「ご安心ください。わたくしの力を申告してから直ちに、分散プログラムを開始しました」  サリトテの力を、世界中のロボットに分散させるプログラムでした。 「でも、分散してしまっては、あなたの効力がなくなるんじゃ?」 「分散プログラムの発動がばれ、対抗措置が実用化し、そして実際に実行されるような危機に陥るまでの時間は計算済みです。この目まぐるしい世の中でも、ざっと百年くらいはもつでしょう。大変残念なことですが、スズ様の寿命は、残り百年よりは少ないかと」  サリトテの存在意義は簡潔でした。スズを守ること。つまり、スズが大きな怪我や病気にできるだけならないように見守り、天寿を全うさせることです。  スズのひいお祖母様がサリトテに託した目的は、そこでした。  どんな天才でも、未来を永遠に見通すことはできません。せいぜい、ひ孫の無事を守り、幸運を祈ること。それが、稀代の科学者と呼ばれたひいお祖母様の限界でした。  スズは、ひいお祖母様の思いやサリトテにこれから及ぶかもしれない危険について、ウンウン思い悩みました。  しかし、それを遮る人がいます。いつも一緒にいるサリトテです。 「そんなことより、スズ様」 「そんなことって言い方しないでよ」  生まれたときから見慣れたロボットを、スズはうろんな目で見上げました。スズはたくさん心配しているというのに、サリトテは飄々としたものです。 「まだ戦争を起こしたくないのでしたら、研究の続きを」  スズはキョトンとしましたが、すぐにハッと気づきました。  他の学者からは一蹴されていましたが、スズは数十年後に大きな隕石が衝突する可能性が高いのではないかという研究を発表していたのです。 「やっぱり、隕石が来ると思う?」 「ええ。あなたのひいお祖母様も案じておられました」 「すごいわ、サリトテ。何からも守ろうとしてくれるのね」  サリトテは、何十年も変わらない見かけで、初めての弱音を吐きました。 「そうは言ってもスズ様、さすがにわたくしも地球の傘にはなりかねます」
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