1.鹿倉奏輔

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1.鹿倉奏輔

東京に出てきて真っ先に思ったのは、思った以上にゴミゴミしていて、空が狭いな、ということだ。 鹿倉(かのくら)奏輔(そうすけ)は、駅から家までの道のりを歩きながら、その狭い空を見上げる。 バイトの面接の帰りだ。 彼はほんの数日前、地元の北海道からここ京王線沿線の某駅のマンションに引っ越してきたばかりで、まだ駅からの道も幾分不安な状態だった。 高校三年の夏休み前だ。 本来なら、受験勉強に本格的に取り組む時期である。 こんな時期に、転校までして親元を離れて東京に出てきたのには、もちろん訳があった。 高校三年間のほとんど全てを費やしたと言っていいバンド活動が、どんな幸運の女神が微笑んでくれたのか、超有名芸能事務所のスカウトマンの目に止まって、メジャーデビューする運びになったのだ。 元々、奏輔はデビューの話がなくても、大学受験をするかどうかは迷っていた。 奏輔の実家は札幌の郊外で飲食店を幾つか経営していて、長男ではない彼は跡を継ぐほどの優秀さを求められることもなければ、職に困ることがあればどこかの店で働かせてくれるぐらいの情けはかけて貰えるはずだから、将来についてそんなに悩むことがなかったのである。 だから、とりあえず転校した高校を卒業してしまえば、高卒という肩書きは手に入るし、バンドが売れなくても逃げ道は残っているし、他のメンバーに比べてかなり気楽な立場だった。 事務所からあてがわれたのは、バンドのメンバー四人で共同生活するように、と築30年ぐらいの4LDKのマンションで、一部屋だけが和室だったものだから、誰が和室になるかで初っぱなから喧嘩になるところだった。 部屋とか環境とか、或いは周りのこと全てに、あまり拘りも関心もないギター担当の大樹(だいき)が、自分が和室でいい、とアッサリ言ったから、いきなりの仲間割れは防げたのだが。 古いし都心からは少し外れているとはいえ都内で、そこそこ広い4LDKだ。 それなりの家賃が発生していると思う。 本来は、デビュー前の、海のものとも山のものともまだわからない原石に、こんなふうに住居から何から何まで揃えてくれるなんてことはあり得ないらしい。 交通網の発達のおかげで、地方在住のままデビューすることも全然可能な時代だ。 それなのにこうして東京に呼び寄せて貰えたのは、なんでも、事務所のお偉いさんらしき人が、彼らは東京で他のバンドに揉まれる必要がある、と自腹でこのマンションの家賃や生活費まで出してくれているらしい。 一体どんな人なんだろうか。 奏輔は、マンションのロックを解除して、エレベーターに乗る。 部屋には、大学受験をするらしい大樹がいるはずだ。 他のメンバーは、東京進出が決まって浮かれきってしまい、大学に行くという選択肢を放り投げてしまった。 今日は、奏輔同様、各々バイトの面接に出かけている。 しかし、大樹だけは違った。 彼は大学受験できる環境を整えてくれることを、東京に出てくる際の条件にしていた。 正直、バンドの中で突出して実力があるのは大樹だけだと思う。 彼はいつも淡々としていて感情が表に出ず、何を考えてるのかよくわからないくせに、背も高くてイケメンで、立っているだけで思わず目が吸い寄せられるようなカリスマ性がある。 そして、ギターも高校生のお遊びのレベルではあり得ないぐらい上手い。 デビューの話だって、大樹がうんと頷かなければなくなるところだった。 事務所がこうして家賃や生活費まで出してでも獲得したかったのは大樹だけで、奏輔や他のメンバーはオマケみたいなものなのだ。 その大樹だけが、デビューという言葉に踊らされずに、きちんと自分の将来を考えて動いている。 そのことに気づかずに盛り上がる他の二人が、奏輔は羨ましくもあり心配でもあった。 「ただいま」 玄関を開け、声をかける。 リビングと襖一枚で隔てられただけの大樹の和室からは、物音がしない。 靴があったから、いるとは思うんだけど。 寝ているのか? 「ダイ?いるんか?」 声をかけてみる。 バサバサッと何かひっくり返したような派手な物音がした。 「ダイ?どーした?だいじょぶ?」 襖を開けるかどうか、奏輔は迷う。 その一瞬の迷いを見抜いたかのように、先に内側からガラリと襖が開いた。 顔の半分に寝皺のようなものをつけた大樹が、ヌボーッと立っている。 「悪い、机に突っ伏したまま寝てた」 その長身だけれども細身の隙間から、和室の中がチラリと見えた。 引出しや棚みたいな余計なものがいっさいついていないシンプルな折り畳み式の勉強机の下に、今跳ね起きたことで落としてしまったのであろう参考書やノートが散乱している。 エッチな本を見てヌいていたのでは、なんて余計な詮索をしてしまった自分が恥ずかしい。 「ソースケ、面接はどーだった?」 大樹は、無愛想な雰囲気がそう見せるのか、寡黙でほとんど喋らないように見られがちだけれども、友達に対してはそれなりに普通に喋る。 「あーうん、一応合否は後日電話って言われたけど、まあ普通にいけんじゃねぇかな…俺、実家の手伝いよくやらされてたから、飲食系はバリバリ経験者だし」 「そっか。すんなり決まるといいな」 そう言いながら、顔でも洗おうとしたのか洗面所に向かう大樹の腕に、突っ伏して寝ていたせいで貼り付いていたらしい紙切れのようなものが、ヒラリと落ちた。 奏輔は、それを拾い上げる。 「何か落としたよ、ダイ」 一枚の写真だった。 それも、隠し撮りしたかのように、被写体はカメラを全く意識していない遠目の横顔だ。 やたらに目を引く派手な外国人っぽいサングラスをかけた長身のイケメンと、恐ろしく対照的に小柄な可愛らしい…男?だよな?が写っている。 二人はまるでデートでもしているかのような親密な雰囲気で、はっきりとはわからないけれども、手を繋いでいるように見える。 うーん?ホモカップル? 「あ」 ギターを弾いているとき以外は、無気力にいつも淡々としている大樹が、一瞬慌てたように見えた。 「……大事なモンなんだ、拾ってくれてありがと」 彼はそう言って、写真を大事そうに受け取る。 そのまま、自室に戻って机の上にそっとその写真を置いた。 大樹本人が写っているわけでもない、友達と言うには長身の男のほうは歳が上過ぎるし、言わば第三者のホモカップル…の写真を、何故そんなに大事そうにしているのか。 なんとなく違和感を覚えたものの、あえて訊くほどでもないので、奏輔はあっさりとその場を流した。 「夕飯どーする?アヤとタモツももーすぐ帰ってくるだろうし、材料買ってきて貰うか…」 彼は実家の店をホールも厨房も人手が足りないとよく手伝わされていたので、いわゆる今流行りの料理男子というやつだ。 作ることも嫌いではないし、手際もいいので、完全にこの共同生活における厨房担当になりつつある。 「ソースケ、俺、餃子食べたい」 「あ?わかった、餃子な…じゃあ、タモツに買い物頼むか」 アヤに頼むと頼んだモン満足に買ってこねぇからな。 奏輔はそう言って、冷蔵庫の中身を眺めながら、必要なものをブツブツ呟き始めた。 だから、大樹がそっと自室の机のほうに名残惜しげな視線を投げたことには、気づかなかったのだった。
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