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父の思い
「あ、うん、もう寝るとこ。テストが近いから早寝しなきゃね」
どうも嫌な予感がする。
「大島さんはもう寝てる。今日も何もしてくれなかったよ。父さんが言うのが正しいのかなあ」
俺は反射的に起き上がっていた。
電話の相手は父親だろう。親子でいったい何の話をしているのだ。
「コラ!」
俺が顔を出すと良紀は「声が聞きたいって言ってるけど」と電話を差し出してきた。
仕方なく電話に出る。
『すまんな、うちの良紀が』
「いやまあ、いいけど」
『それはそうと、やっぱり男の子は駄目か?お前ならいけそうかと思ったんだけど』
「何の話だよ?」
今朝くれたメールとは調子が違いすぎていて、俺は面食らった。
『俺は許可出してんだ、あんまりお前のこと好きだって言うから。で、良紀に聞いたら好きだって言われたみたいだし、いよいよ俺もお前のお父さんになるのかなと思ったんだけど』
「なるわけねぇだろ!それが嫌だから……」
『ふふーん』
今井の余裕ぶった笑いが聞こえてくる。
この親子の間で、俺はどういう扱いになっているのだろう。
『俺のことが気になって良紀に手が出せないってわけか……。それはまずいな』
全然まずそうではない口調だが、一応悩んでいるようだ。
「だいたい、俺みたいないい加減な男に大事な息子を任せるなんて、お前どうかしてるぞ」
と、そこまで言って、昨夜の良紀の話を思い出した。「父さん結構大島さんのこと好きみたい」というアレだ。
今井はしばらく考えたふうで、こう言った。
『絶望的に駄目人間だったら、息子を預けたりしない。見も知らない鼻ピアスに刺青の男よりは、お前が恋人って方がいいかなって思ってんだよ』
つまり、大事な息子だからこそ、気心の知れた俺に任せたいってことか?
「俺んちは託児所じゃねぇ。子供が虐待されていいのか?」
どうも今井には覚悟が足りないような気がしたから、脅しをかけてみた。
しかし堪えたふうではなかった。
『いずれ他の誰かが虐待するだろう。お前だったら、あんまり痛めつけたりしないだろうってな……。とにかく毎日毎日、良紀からのメールでお前のことばっかり聞かされてうんざりしてんだよ。寝顔が可愛いとか、食ってるとこが好きとか。そんな知りたくない情報、俺には迷惑なだけだし』
「付き合ってやれよ、息子とのコミュニケーションだろ?」
『……で、お前、ほんとに好きか?』
冗談めかしていた話が急に、深刻なものになった。ここで「好き」と言っても「嫌い」と言っても俺は辛い思いをすることになる。
「好きだけど……」
良紀は隣でじっと聞き耳をたてている。
本人を前にして、嘘でも嫌いとは言えないだろう。
『正直、お前はだらしない男だよ。未だに結婚してないのがその証拠だ。でもうちの良紀、真面目だろ?家事も得意だし金銭感覚もきっちりしてる。唯一、男好きってのが変わってるだけだ』
「そうだな」
『良紀はしっかりしてるけど、ちょっとお人好しなとこがある。恋愛なんかだと、どっかの遊び人に騙されてボロボロになるみたいなの、簡単に想像できるじゃないか?それ困るよな?』
「まあね……」
恋愛はするだろう。相手が善人ならいいが、そうとばかりも限らない。今井の心配は俺の心配でもある。
『お前だから嫁にやろうと言ってるんだ。あいつがいればお前も競馬でスッカラカンになったりしないだろうし』
つまりこれは苦渋の決断というやつなのだ。
俺が絶句していると、良紀が電話を奪い取った。
「父さん、大島さんとずっと一緒にいていいの?」
電話口から声が漏れてくる。
『ああ、いいぞ。お前には親の愛情も充分与えてやれなかったからな。大島がお前を泣かすようだったら、いつでも報告してこい』
良紀はそれを聞いて涙ぐんでいる。
俺は自分が情けなくなりつつも、今井の深すぎる懐に感謝するしかなかった。
許可が下りたから早速、なんて気にはなれなかったのだが、良紀が俺のベッドに入ってきた。
退路を断たれ、良紀を追い出す口実はもうない。
「経験ないんだろ?それに試験前だっていうし」
とりあえずキスだけ、と顔を近づけた。
ギュッと目を閉じている良紀がいとおしくて、額にくちづける。
「また、お預け?」
見上げてきた二つの瞳にはきっと、俺しか映っていないのだろう。
父親的愛情と性欲がせめぎあい、言葉が出てこなかった。
「ごめんなさい。悠太と変なことして」
「え?」
「光夫のことでヤキモチ焼かせたら手出してくるだろうって、悠太が言うから、つい乗っちゃって」
「ああ……」
今日のあれは、そういうことか。
いつも律儀な良紀が食事の支度もしないで出かけるなんて、おかしいと思ったのだ。
「いいけど、これっきりにしてほしいな。大人は簡単に騙せないって分かったろ?」
良紀がうなずく。
「……おやすみなさい」
諦めたのか、ベッドを降りるようだ。
俺は良紀が布団を敷き終えるのを待って、声をかけた。
「こっち来て」
首をかしげて近づいてくる良紀。
じっとみつめると、察したようで表情に緊張が浮かんだ。
初めて触れる頬はすべすべして、それだけで夢心地になれる。
数センチ先まで目を閉じないでいた俺を、良紀も至近距離からみつめ返した。
「おやすみ」
言って、慎重に唇を重ねる。
ふんわりと柔らかな感触は、いつまでも触れていたい心地よさだった。
「……おやすみなさい」
良紀にとってたぶん初めてのキスは、どんなものだったろうか。
これからいくつもの初めてを一緒に体験するごとに、俺の胸は小さく震えるのだろう。
この年でキツイこともあるだろうが、良紀となら楽しんで乗り越えられそうな気がした。
*** END
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