第16踏 刺客襲来

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(助かった……) 望月さんは無事だ。 すぐに立たねば、そう思うが、足腰が震えて立てない。 一歩間違えば、大切な者を失っていたかもしれない恐怖。いや、実際にその一歩を間違えており、それでもなお望月さんが生きていたという安堵、それらが混ざり合い、私は身体の震えが止まらない。 望月さんは冥府刀を拾い、私の方に目を向け、それから手の平を男に向けた。 「タイム、していいか?」 「構わねえよ。姫を立たせてやりな」 「どうも」 望月さんは私を振り返った。 「も……望月さん」 「ああ、助かったな。理由がなんであれ、儲かった」 「私……立てません」  「夏奈子、安心しろ。相手は裾踏姫に手出しをしないと約束している。だから、夏奈子は何も恐れる事はない。安全だ」 「…………」 この期に及んで、どこまで鈍感な男なのか。 (一度、本当に死なないと治らないのかもしれない) 望月さんの死を己の中で一瞬でも肯定した事で、辛うじて裾の上から這いずり出る程には恐怖が薄れる。 「私は、それが怖いのではありません。望月さんのことが……」 「俺?俺の事なら大丈夫だ。結局は無事だっただろ?」 「分かってます。分かってますが……」 「夏奈子」 望月さんは私に向かって手を差し出した。 私は望月さんの温もりが確かめたくて、その手に手を重ねる。 望月さんはしっかりと握り返し、私の目を真直ぐに見つめた。 「夏奈子は男が右に動くと分かったのか?」 「はい……いいえ、正確には裾踏姫の動きを見ていました」 「そうか、だからか」 「なぜ、私でも分かったのに、望月さんは逆に動いたのですか?」 「俺には男が左へ動いたように見えたんだ。今思うと、あれはフェイントだった。完璧なフェイントだ。騙された」 「でも、望月さんは鬼のフェイントを見破った事があります。鬼の方がよっぽど動きが速いのに、なぜ、ただの人間のフェイントなんかに……」 「そこが自分でも不思議だ」 「でしたら、望月さんも裾踏姫の動きを見ていてください。そうすれば騙されません」 「そこだ、そこも不可解だ。なぜ、あの裾踏姫は男の動く方向に動けた?」 「どういうことですか?」 「夏奈子、俺が今まで敵にフェイントを使った事があるか?」   「いいえ、あっ!」 私は、望月さんが何を言いたいのかが分かった。 裾踏姫を背にする者にとって、フェイントは賭けと同じだ。敵を騙す事も出来るが、背後の裾踏姫をも惑わす事になる。 もし、望月さんが戦いの中にフェイントを織り交ぜたら、私はそれに騙され、満足に裾を踏む事が出来なくなるだろう。 だが、あの男はリスクの高いフェイントを使い、姫は難なく裾を踏んだ。 それこそ、舞踏レベルの訓練と経験を積まなければ出来ない事だ。 しかし、あの女の子がそれ程の経験を積んでいるとは思えない。どう見ても私と同等か、わずかに上くらいだろう。   「あの二人、事前に打ち合わせをしていたのでしょうか?それとも、男が後ろの姫に何か合図を出したとか?」 「分からない。だが、それを看破しなければ、あいつらには勝てない」 強敵だ。 違った意味で、舞踏に匹敵する技の持ち主である。 (無い) これ以上、戦いを継続するという選択肢は私の中には無かった。  敵の技を看破する前に、望月さんが殺されるのは明白だ。 「望月さん。降参しましょう」 私の手の中で、望月さんの指がピクッと反応する。 嫌われる事を覚悟すれば、望月さんからあらゆる選択肢を奪い、私と同じ選択肢を選ばせる事は容易い。 「もう、この戦いにおいて、私は裾を踏みません」 恐らく、美奈さんならば、望月さんの選んだ選択肢を信じ、背を押すどころか蹴り飛ばす勢いで一緒に突き進んで行くはずだ。 だが、そんな裾踏姫は一人いれば良い。そんな裾踏姫ばかりでは望月さんが死ぬ。 「俺は京子を助けたい。京子を章介のもとに帰してやりたい」 そう言った望月さんの瞳を、私は見る事が出来なかった。  きっと、私に対しての落胆、失望を浮かべているに違いない。  私が顔を上げられずにいると、「夏奈子」と望月さんの声がした。  恐る恐る顔を上げると、そこにはいつもの優しい瞳があった。 「まあ、奴が降参を受け入れてくれるといいんだがな」 「良いのですか?」 「降参の事か?今は夏奈子を信じる。たぶん、俺より夏奈子の方が状況は見えていると思う。俺と違ってフェイントにも惑わされなかったしな。気にするな。というか、普段から一つしかない唯一無二の自分の命を託してるんだ。それに比べたら、方針を託すくらい何ともない。結構、前でボサっと立っているようで、俺は俺で」 「知っています」 「そうか。まあ、あとは降参を受け入れてくれるかだな」 私は声をひそめて「大丈夫です」と言った。 「あの男は不意討ちにも目くじらをたてませんでした。それに、望月さんの命も助けた。結局は甘い男、甘ちゃんです。今からでも降伏を受け入れるはずです」 「だといいがな」 「きっと大丈夫です」 私は男に向き直った。 「申し訳ありませんが、降参してもよろしいでしょうか?」 「いや、そんな下手に出られても、甘ちゃんまでしっかり聞こえてたぞ。まあ、降伏を認めてやる。俺だって無闇に人なんか殺したくねえ。ただし、条件つきだ。冥府刀と浴衣をよこせ。後ろから斬られて、やっぱり甘ちゃんだったと笑われたくねえからな」  私が促すまでもなく、望月さんが前に出る。 「いいだろう。ただ、京子は傷つけないでくれ。これはこちらの絶対条件だ」 「当たり前だ。人質を傷つけてどうする?それに、俺は裾踏姫と女は傷つけない主義だ。さあ、冥府刀と浴衣をよこせ」 「分かった」 望月さんは刀を床にガチャと放り、腐泥門が消えた床の上を数歩後ろに退がって浴衣の肩口に手を掛けた。 その時 三階に悲鳴が響き渡った。  京子さんの悲鳴だ。 それは恐怖や驚きを表す悲鳴ではなく、明らかに苦痛から発せられた叫びであった。 (男の仲間がいる!?) 程度は分からないが、京子さんが負傷したのは間違いない。 そして、悲鳴に気を取られたのが私のミスとなった。 この悲鳴を聞いて、望月さんがじっとしているはずがなかった。 私が裾を踏んで止めようとした時にはすでに遅く、望月さんは滑り込む様に床の冥府刀に手を伸ばしていた。 男は男で、男にとっても悲鳴はイレギュラーだったらしく、気を取られた隙にやすやすと望月さんに刀を拾わせてしまう。 「おい!やめとけ!」 「うるせえ!」 望月さんが怒声を上げる。 「落ち着け。仲間が誤って傷つけたらしい。俺が行ってくるから、あんたは武装を解いてここにいろ」 「俺がこの目で確かめる!」 「行かせてやりたいのは山々だが、この部屋からは出せねえ。敵をノコノコと自由に歩かせたら、俺の立場が無くなる。分かるだろ?」 「だったら、無理にでも押し通る!」 「俺とまた戦うか?次は待った無しだぜ?あんた死ぬぜ」
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