第16踏 刺客襲来

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狙われた顎の中でギリっと歯軋りが鳴り、打ち下ろされた柄に敵の切っ先が食い込む。 素早く引かれた切っ先を追って望月さんの冥府刀が唸りを上げるが、二歩下がった裾踏姫に素早く男が続き、唸りは男の鼻先に漂った嘲笑をかすめただけであった。 望月さんの背中は前進の意志を示し、私はそれに応えて足裏から裾を解き放つ。 男は後ろに退きながら刀を振るい、望月さんは前進しながら刀を振るう。 廊下は狭く、双方とも直線的な動きしか出来ない。 私はその直線上を進んでは踏み、呪縛を解いては進むを繰り返す。 廊下に剣撃の音が断続的に響き、私達は廊下を奥へ奥へと移動する。 そして、ある部屋の前に来た時、裾踏姫が初めて横に動いた。 男と裾踏姫は部屋に飛び込む。  私は、今度はすぐに裾から足を退かさない。 罠が仕掛けられている可能性がある。望月さんが安直に部屋へ入るのを止めたのだ。 私の意図が分かったのか、望月さんはこちらを見る事なく「大丈夫だ、夏奈子」と言った。 「望月さん、あの姫、裾を踏むタイミングが絶妙です。油断なりません」 「それなら夏奈子だって絶妙だった。全然違和感がなかった。ところで、夏奈子から見て、あの姫は舞踏を使えそうか?」 「いいえ、たぶん使えません。足の運びが真紀さんとは違います。私と同程度だと思います」 「そうか、助かった。あの男は強い。もし姫が舞踏をマスターしていたら、勝負にならなかった。よし、入るぞ」 「タイミングを教えてください」 私は裾から足を退け、重心を低くして体勢を整える。 「0で入る。いくぞ……3、2、1、ゼロ!」 望月さんは部屋に飛び込み、私はピタリとその後に続く。  罠は仕掛けられていなかった。 罠はおろか、物が何も無く、部屋はかなり広い。 男と裾踏姫はその中央に陣取っていた。 部屋に入ってきた私達を眺め、男がゆっくりと口を開く。 「最初の不意討ちは卑怯だが、まあ、それだけ裾踏姫と息が合ってる証拠だ。俺は嫌いじゃない」 「褒めてくれてどうも。じゃあ、俺も褒めてやる。さすが代々鬼退治をしてきた家系だけある。お前は強い」 「当然だ。小さい頃から血反吐の出るような訓練をしているからな」 「だが、残念だな。お前の強さに裾踏姫がついていけてない。そのメガネっ娘じゃ、俺と互角に戦うのがせいぜいだ」 望月さんがそう言うと、男は低い声で笑う。 「言っただろ?裾踏姫の能力が戦いの全てではないとな。教えてやる」 男は刀を構え、それと同時に裾踏姫は裾の右端の一歩後ろに位置する。 これ以上無いくらい、私から見えやすい場所だ。 (どういうつもり?) その疑念に深く踏み入る間を与えず、男が「いくぜ!」と叫ぶ。 男の掛け声とともに、裾踏姫が動いた。 (右!) 男も右に動いている。 必然的に望月さんも迎え撃つために右を向くだろう。 私はそのつもりで動いたが、望月さんは左を向いた。 (えっ!?) 私はたたらを踏み、望月さんは男に対して側面を無防備にさらす。 男はその側面から斬り掛かった。 望月さんは上体を強引にねじり、さらに手首を歪な角度にまで曲げて刀を脇腹に据え、慌てて向きを変えた私は体勢が崩れる過程で足裏を裾に押し付ける。 男の一太刀は、ほぼ指先で摘んでいる様な状態の冥府刀を床に叩き落とす。 床に激突した鍔の音、しかし、私を本当に絶望の淵へ突き落としたのは、私の掌がポスッと鳴らした小さな音であった。 私は呆然と裾に着いた自分の両手を見詰める。 有り得ない。裾踏姫が裾に手を付くなど有ってはならない事だ。 裾踏姫が裾の上に倒れていては、呪縛を解く事が出来ない。 望月さんは逃げる事が出来ない。 (あ……あ?) 私はゆるゆると眼球を動かし、絶望の淵から仰ぐ。 望月さんの喉元にピタリと当てられた刃。 男がそれを引けば、望月さんは確実に死ぬ。 私は頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。 だが、男は全く動く気配が無い。 「勝利の余韻に浸るのも良いけど、長引かせるのは残酷ですよ」 ギラギラと光るレンズを裾踏姫が中指で元の位置に押し上げながら言う。 眼鏡に映る男の後姿が、首を左右に振った。 「いや、もう一度やろう。これで終わりじゃつまらん。どうして自分が間抜けな負け方をしたのか、俺の『表偽裏真』を理解できないまま死んじまったら、こいつも浮かばれないだろう」 「それって結局、家伝の奥義を自慢したいってこと?」 「まあ、そういうことだ」 「また怒られちゃうわよ。任務を蔑ろにしたって」 「蔑ろにしているわけじゃない。これは実戦訓練も兼ねている。いずれ、石倉一派の主戦力と戦う時が来るだろう。実戦は多く積んでおいた方がいい。これはお前のために言ってるんだぜ?」 「でも、その姫達は舞踏をマスターしてるのよね?舞踏をマスターしていない姫と訓練しても意味がないような気がする」 「お前、そんな贅沢を言える立場か?まだ5匹しか鬼を倒していないペーペーのくせに。今のお前に裾を任せて、舞踏を体得した敵の前に立ちたくねえぞ。さあ、もう一回やるぞ。裾から退け」 「…………」 女の子はブスッと不機嫌そうな顔をして、裾から退がる。 それと同時に男も望月さんから離れる。
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