Mrs.ルージュ

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◇ 新しい任務につくことになった。 能力的にも技能的にも問題はなさそうだと、上官も同僚も言っていた。それは自分でも思う。だが、自分も上官も同僚も、この任務に彼がつくことを最後の最後まで渋っていた。 その任務に就く前に少し準備が必要だと上官が言うので呼び出された会議室に向かった。 その部屋で数分ほど待っていると、上官が部屋に入ってきた。 一人の女性を引き連れて。 閉じられたブラインドが日光を遮っているため、日中でも控えめに電気がつけられている。 少し薄暗いその部屋に入ってきた彼女は黒いワンピースを着ていた。 だが肩付近がレースのようになっており肌の色が少し透けていたり、スカートにスリットが入っていたり、レースがあしらわれていたりするため重たげな印象はない。 それよりも彼女の印象はその真っ黒よりも、足、指先、耳元で控えめに主張する赤色だった。 アカシは挨拶を済ませてから上官にその女性について訪ねた。 「君の教育指導係と言うべきか、紹介しよう。ミセスルージュだ」 その渾名は時折耳にしたことがあった。 裏に潜っていると、その名前は珍しいものではない。 情報がごった返す裏の社会でも彼女の本名が浮上することはない。 実在することすら実は訝しんでいたのだが、まさか本人と相見える日が来るとは。 「お会いできて光栄だ、ミセスルージュ」 アカシが手を伸ばすと、ルージュは指先に赤の灯る手を出してきた。 「短い間よろしく、ミスターアカシ」 「アカシでいい」 「そう? じゃあ私のことも気軽に呼んで」 「……なら、本名を聞いても?」 彼女はふふといたずらに笑って、解いた手の人差し指を口紅で艶やかに色づいた唇の前にそっと立てた。 「ルージュと呼んで」 会議室から上官が出て行くと彼女は肩にかけていた小さなバックから白い封筒を取り出した。それを受け取り、もう一度彼女を見ると細い指が封筒を指差したのでアカシはその封を開けて中を取り出した。 入っていたのは便箋ではなく一枚の紙。まるで捜査資料のような、情報の凝縮されたものだった。 「挨拶がわりにちょっと共同捜査してだなんて、あの人も無茶苦茶言うんだから」 「これは?」 アカシは紙を少し振る。見たことのない情報が載っていた。 「私独自のルートで手に入れた闇ルートの取引場所よ」 「この情報はどうやって手に入れたんだ」 「あら、それは秘密よ。貴方にも言えないわ」 くすっと彼女は柔和に笑ったが、髪と同じ金色の瞳はむしろ輝きを増したように見えた。 もう彼女のことを聞くのはやめようとアカシは決めた。 ◇ 『聞こえるかしら?』 「あぁ、聞こえてる」 アカシはグローブをぐっと引っ張りながら耳にはめた無線に応じる。 「そっちはちゃんと見えてるのか?」 『もちろん』 ジェケットの内ポケットに手を入れ、銃の存在を確認する。 アカシは現在取引が行われる倉庫の近くに待機しており、彼女はあらかじめ仕掛けておいた隠しカメラで中の様子をどこかで見ているらしい。その情報を逐一アカシに流している。 『取引が始まったわ』 「相手の武装は」 『受け取り側は全員銃を持ってるわ。引き渡す方は、後方2名が銃。他3名はナイフ』 「……まさか」 『そのまさかでしょうね。相手さん、お金も武器もお持ち帰りする気だわ』 贅沢ねぇ、とルージュはどこか楽しそうな声色で。 まったくこの人は、という言葉を口の中で転がしていると、向こうから『それで』と変わらず食えない声色で。 『お一人で大丈夫そう?』 「もちろん」 『あら頼もしい』 「……馬鹿にしてないか?」 『まさか。応援してるわ』 何故だか知らないが、どうも試されているらしい。 人からの評価はどうでもいいが、『組んでもらっている』という立場である以上期待に応えるぐらいはしなければ。 『お勘定が終わったわ』 そんな軽いものじゃないんだが。 内心でそう呟いてアカシはシャッターの隙間から静かに倉庫内に身体を滑り込ませる。用心して締めておかなかったのではなく、これもルージュの小細工らしい。 取引が終わると、武器を金に変えた5人はさっさと退却しようと背を向ける。 それを狙っていた取引相手は懐から一斉に銃を抜いた。 そのタイミングを狙っていたアカシはトリガーにかけていた指に力を込めた。 パン! と乾いた音が倉庫内にこだまする。 居場所が特定される前に、素早く次も同じように銃だけ弾き飛ばす。 『気づかれたわよ』 「分かってる」 両者のリーダーがにらみ合いを効かせながら、他が倉庫内に紛れている鼠を探し始める。 『取引で受け取った武器に手を伸ばし始めたわ』 「……」 受け取った武器は爆弾と大型の銃器だったはず。 『ちょっと目、閉じててくれる?』 「は?」 姿を隠していることも忘れ疑問符を投げると、入り口からころころと球体の何かが転がり込んできた。 爆弾。いや。 アカシは目をつぶり、念のため腕で目に蓋をする。 やがて破裂音が聞こえ、それから目を開け素早く視界を喪失している連中を近接で倒した。 上官に手短に報告と応援を要請したのち、アカシは振り返った。 「……そんな便利なものを持ってるなら作戦立案の時に言ってくれ」 いつの間にか倉庫内に入り込んでいるどころか、片方の勢力を制圧していたルージュはその手にもう一つ先ほどと同じ球体を持っていた。 「ちなみに、それはどこで手に入れた」 「さぁ、忘れちゃったわ。レディは買い物が多いのよ」 ヒールの踵を容赦なく響かせて、彼女は置いていた小型カメラを回収し、肩にかけていた小さな鞄にそれをしまい、耳にはめていた無線をアカシの方に投げた。 それから彼女は白い手袋をはめたその手をひらりと振って、「お疲れさま」と笑みを添えるとくるりと背を向けた。 彼女の硬い足音が遠ざかっていく。 「………」 なんだか鼻を明かされた気分だった。 ◇ 夏手前の日差しがまだ柔い頃合い。少し外にいるだけでもじんわりと汗が滲み出る。 アカシはジェケットを脱ぎ、ワイシャツの袖を七分まで捲った。 それを適当に畳み、小脇に抱えたところで目の前でふんわりと影が揺れた。 揺れたのは、赤だった。 黒色のトップスに、高めのサンダルヒール。そして赤色のフレアスカート。 今日も変わらず耳元と口にも赤が咲いていた。 「待たせたかしら」 彼女はくるりと白い日傘を回した。 格好から察するに、今日の彼女はオフらしい。なんて思ったが、そういえば初対面の時も彼女は洒落た格好をしていた気がする。あの日と同じ鞄を肩にかけているあたり、もしかしたら自分との約束以外に『仕事』があるのかもしれない。となると、その鞄の中にはこの前のように閃光弾が息を潜めていたりするのだろうか。 「いや、今来たところだ」 ふーん、と彼女は少し首を傾けながらアカシに一歩近づくと、肩を指先で撫でるように触った。寄って来た彼女からはこの前感じなかった花の香りがした。 「今日は暑いものね。何か冷たいものでも飲みながら話をしましょうか」 彼女は長いスカートを翻して歩き出した。 「……」 アカシは上着からハンカチを取り出して、今一度汗を拭いてから彼女の後を追いかけた。 彼女はとある店の前まで迷わずに歩くとそこで日傘を閉じた。 窓から中を覗くと、店内の閑散とした様子が見える。 「夕方と休日は混むのだけど、やっぱりこの時間帯なら問題なさそうね」 ドアを開け、出迎えた店員に彼女は指を二本立てながら「一番奥空いてるかしら?」と。 要望通りの席に案内されると、彼女はメニューを開かずに店員に注文を告げた。それから、テーブル脇に立ててあるメニューをアカシの前に差し出す。 なんだか彼女の表情が楽しげに見え、アカシは少々険しい顔をしながらとりあえず手にしていたジャケットを背もたれにかけた。 「……話は聞いてるんだったか? ミセスルージュ」 「えぇ。でもまずその前にその呼び方をやめましょうか」 「急になんだ、ミセスルージュ」 「それよそれ」 赤く彩られた爪先がこちらを向いた。 それから、彼女は左手の甲をこちらに見せつけるようにずいっと前進させた。 「お分かり?」 ぴょこん、とその人差し指が動く。 その付け根にはアクセサリーどころかその跡すらなかった。 「……既婚じゃないのか」 「残念ながら名前が一人歩きしただけよ。変なのが寄ってこないから訂正もしてないのだけど、貴方変なのじゃなさそうだし」 突きつけていた左手が彼女の頬杖に変わる。 「信頼してもらえたようで何よりだ」 「えぇ、信頼してるわ。だからもう少し砕けた話し方しましょう?」 「……」 アカシの眉間に皺がよると、彼女の口の隙間から白い歯がちらりとのぞいた。そして頬杖にしていたその手で口元を抑えると小さくその肩を震わせ始める。 「おい」 そう咎めると、彼女はごめんなさいと言いながら下を向いていた顔を上げ、垂れた髪を耳にかけた。 「無愛想って話を聞いてたけど、貴方意外と分かりやすいわよね」 彼女は少女のような笑みを浮かべる。 「それはそれで悪くないと思うけど、今度の『お仕事』の都合上改変が必要だと」 「……そういうことだ」 また彼女はどこか幼さを醸しながら笑う。 「……そういう必要に駆られたことがないから、女性と馴染む手法を心得ていない」 「手法って、マニュアルがあるわけじゃないんだからそういう考え方してると難しいかもしれないわよ」 す、と笑みを消した彼女はテーブルの端に置かれたお冷に手を伸ばした。 「でも、タブーがあるぐらいだしマニュアルといっても案外差し支えないのかも」 「どっちなんだ」 「それを私とお勉強するんじゃない」 失礼します、と店員が彼女の前にシフォンケーキと紅茶を並べる。それらを一瞥した彼女の視線が自分に向き、貴方は? と訴えていたのでアカシは店員を引き止めてコーヒーを注文した。 おしぼりを開けて、軽く手を拭いた彼女はフォークでケーキを切り分け、小さな一口をその口に運び入れる。 「女性が甘い物好きっていうのは本当なんだな」 「さぁ、どうかしら」 そう呟くように答えると、彼女は何も入れずにそのままの紅茶で口を湿らせる。 「逆に聞くけど、そうね、例えば初対面同然でいきなり激辛で有名なものを食べ始める女を一般の男性はどう思うかしら」 「……」 「概ね、変わり種とでも思うんじゃないのかしら。女は甘いものが好き。それが間違いだっていう気はないけれど。でも大体はそれが似合う女を男は可愛いと思うものよ。私がケーキを食べる理由は大体それ」 「そういうものなのか」 「そういうものなのよ。だから、コーヒーっていうチョイスはそういう意味では正解かもね」 なるほど、とアカシは内心で頷く。 こういう気にされていないと思うような場面でも意識的な選択が必要不可欠ということか。 そして、彼女が抜擢された理由に確信を持った。彼女はそういう『女として』のあれこれを利用してきっと情報を集めているのだろう。自分がこれからつく仕事はそれに近い。 「それなら、ルージュ。貴方の好物は?」 彼女は口の端に僅かに付いた生クリームを指先で軽く拭って満足げな笑みを浮かべた。 「いいわね、そういう質問。相手と距離を詰めやすいから、その答えもちゃんと覚えておくといいわよ」 それから彼女は知っておいて損がないことをいくつか話し始めた。 アカシはまたなるほどと無言で頷く。踏み込ませないようにそうやって話をそらせばいいらしい。届かない距離が刺激的だと何かで聞いたような気がする。 彼女は最後まで紅茶にミルクを注ぐことはなかった。 ◇ カフェを出ると「街を歩きましょうか」と彼女が提案したので、アカシは素直に従った。 迷う様子なく歩き続ける彼女に導かれた場所は女性向けの服やアクセサリーを取り扱っているアウトレットの一角だった。 「荷物持ちの心得でも伝授してくれるのか?」 「そんなの腕力と『まだ買うの?』とか言って飽き性を白状しなければ大丈夫よ。あと中身はあまり詮索しないこと。それと紙袋をぞんざいに扱うのもオススメしないわ」 「……」 それだけ言って伝授とは言わないのか。 ガラス張り同然の店は中の様子がよく見える。殆どが女性だが、引っ張ってこられたのであろう男性もちらほらと見受けられた。 ふと浮かんだ疑問を隣を歩く彼女に尋ねてみる。 「似合うと聞かれたら似合うと答えるのも適正解か?」 「えぇ、でも最適解じゃないわ。そういう時は服を見るんじゃなくて顔色と声色に気を配るの。鏡を見たら女は自分の中で答えを見つけてるわ。それを当ててあげるの」 「……つまり、気に入ってなさそうだったらイマイチだと言えばいいのか」 「棘があってはダメよ。それも悪くはないけどさっきの方が似合うかもね、とかプラスの言葉で上塗りするのよ」 「本音を言った方がいい関係を築けると思うんだけどな」 「本音をぶつけ合った果ての結果が恋人でしょう。貴方の仕事はそうじゃないわ。近づいて情報を入手すること。都合のいい友人、もしくは魅力的な異性でいいのよ」 「なるほど」 「あと」 彼女は静かに立ち止まってアカシを見ながら指を上に向けた。 「ブランドを覚えておくと尚高得点よ」 「それは、なんとなく分かる」 持ち物にはこだわりが出る。 他でもない自分を着飾るのに出し惜しみする人は少ない。社会がそういう目を向けてくるのだから必要に迫られるのだ。その手持ちから相手の情報を読み取るのは自分たちの職業病の一種だ。金目のものに目を光らせるのは何も泥棒だけではない。 話が早いわねと答えた彼女が、はた、と足を止めた。 長い髪と長いスカートを風になびかせながら、彼女は少し考えるように顎の下に手を添える。 アカシは店内を覗き見た。客は一人もおらず、白を基調とした店内に置かれているのはショーケースばかり。入り口の上には『STELLA』と書かれた看板が。 「入らないのか?」 手をそのままに、首をだけこちらにむけた彼女はぱちくりと瞬きをすると、「もう一声」と囁くような小声にいたずらな笑みを添えた。 「……」 艶麗な見た目やそれに似合った仕草と微笑を巧みに身につけて、それとは対極の朗笑も心得ている。それが彼女の素なのかとひとひらでも思ってしまったらそれはもう彼女の思うツボなのだろう。 そんなことを一瞬だけ脳裏によぎらせながら、アカシは彼女の要望に応じてみようとする。 「今日のお礼も兼ねて、貴方さえ良ければプレゼントを贈りたいんだが……」 語尾が収縮する。 言い慣れないし、柄でもない。 彼女は緩くアカシの腕に腕を絡ませて、ふわりと笑いながら上目を遣う。 彼女の耳元の赤を揺らし、口元の赤を艶然に開く。 「あらっ、それは素敵な提案ね」 言質としてとられたなと気づいたのは、彼女のその声が鼻につかない高い声を聞いた時だった。 随分となれた口調だなと感心しつつ苦労を想像しつつ、自分には真似できそうにないと悟りつつ。でも不思議と悪い気はしなかった。 中に入ると彼女は手近なショーケースから覗き始めた。気づけば組まれた腕は解かれていた。 ネックレスやブレスレット、指輪などを順々に見ていった彼女は、最後にピアスの箇所で足を止めた。アカシは特に見たいものはないので彼女の横に並んだ。 彼女が見ていた付近には赤いピアスがいくつも並んでいる。 「赤が好きなのか?」 尋ねると、彼女は頬に手を添えて考え込むように「そうねぇ」と呟く。 「そこで迷うのか。それだけ赤いものを身につけておきながら」 「似合わないかしら?」 「いや、そんなことはない。似合ってる」 「いいわね、その嫌味のない言い方。これからも心がけてみて」 「……了解した」 そうだった、という言い方は嘘に近いが少し忘れかけていた。 彼女はあくまでも『教育係』として知り合ったのだった。 「赤は嫌いじゃないわよ。でも私が好きになった色じゃないわ」 「……というと?」 「私の知人の好きな色が赤なのよ」 あ、そうそうと彼女は何かを思い出したかのように上を見つめる。 「同じものを『好き』って言うのも一つの手よ。試してみて、意識してくれるはずだから」 「抜かりがないな」 「それが今日のお仕事ですもの」 彼女が動くたびに、耳元の赤と足を覆う長い赤が揺れる。 惑わすように揺れる。 「……俺も赤は嫌いじゃない」 気づけばそんなことを言っていた。 彼女は咎めるように顔の横で人差し指を振る。 「俺も、赤は好きだ」 「あら、気があうわねっ、私たち!」 少し頬を赤らめる仕草も、彼女は手馴れたものなのだろう。 ◇ どうやら彼女はこのあと約束があるらしく、細い手首に巻かれた時計を見ながら今日は解散しようかと提案してきた。 どんな相手なのかは知らないが、会う前に化粧を直す必要のある人らしい。はたまたそれが女性としてのマナーなのか、単純にタイミングの話なのかは性の違う自分には分かりかねない。 彼女が今度はいつ会えるかしらと訪ねてきたので、アカシは胸ポケットから手帳を取り出し都合のない日を列挙した。 彼女は忙しいらしく、はじめの4つは即座に謝罪の言葉が挟まれたが、5つめで小首を傾げた。 「ちょっと確認させてちょうだい」 そう言ってカバンからケータイを取り出そうとすると、その端からカランと何かが滑り落ちた。 それはどちらかというと直方体で、親指と中指で摘むのにちょうど良さそうな大きさだった。中腹部あたりに切れ目があり、そこだけ黒かったが他は全身赤い。 「あら、ごめんなさい。ポーチの締め忘れね、うっかりしてたわ」 アカシがそれを拾い上げると、一部以外真っ赤だと思われたそのボディに黒で印字されていることに気づいた。 ローマ字で『corne』と慎ましやかに。 「これは?」 「見ての通り、口紅よ」 伸ばしてきた彼女の手にそれを渡す。 「これでブランド一つ覚えたかしらね」 まさかそのために落としたんじゃあるまいな? そう聞こうとしたら、彼女は明石の向こう側に視線を伸ばしていた。 そこにいたのは黒のスーツに暗い色のシャツを着た細身の男だった。 重たそうな口元はそう簡単には笑みを浮かべないだろう。真っ先にそう思ったのは今自分が気にしていることの一つだからだ。 彼はアカシの前で一礼すると、ルージュに視線を向けた。それから勢いよく口を開けて、思い直したかのように閉じる。 「今はルージュと呼んだほうがいいのか」 「そうなるわね」 「まぁいいや。ルージュ、遅れてるぞ」 「男なら少しぐらい女のこと待ちなさいよ」 拗ねたような声色は果たして演技なのか。 「プライベートなら幾らでも。でも今は仕事だ」 「相変わらず堅い人なんだから」 アカシの後ろにいた彼女が今来たばかりの男の方に歩み寄っていく。 そしてその男の腕に彼女は白い腕をしなやかに絡ませる。 「ごめんなさいね」 柔和な声で我に帰った。 何かに思わず唖然としていた。 「また連絡入れるわ。お仕事頑張って」 「そちらこそ。今日はどうもありがとう」 ふふ、と彼女は楽しそうに破顔する。 「貴方も堅い人ね」 黒に引きつられて揺れる赤をしばらく見つめてから、アカシは歩き出した。 全身黒といっても差し支えのないあの男の首から垂れるネクタイが嫌に目についた。 それは艶やかな赤色だった。 ◇ 翌日。 捜査の人手が足りないからとアカシは上司に命じられ、犯行現場に足を運んでいた。 連絡を受けてすぐ向かったからか、まだそこには遺体が置かれたままだった。 白い手袋をはめて捜査を開始する。 遺体の持ち物、遺体の不審点。そういったものがないかを念入りにチェックする。 それから周辺に何か事件の痕跡となるものがないかを探す。 「……」 ふと、それが目についた。 主張の激しい色だったからだ。 それはどちらかというと直方体で、中央に細い黒い線が入っている以外は全身が赤色をしていた。 4面すべてを確認すると、そこには『corne』という文字が入っていた。 「……」 アカシはケータイを取り出した。 あの男と去って以来、彼女からの連絡は未だない。
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