沢天夬 上六

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沢天夬 上六

 - -  ---  ---  ---  ---  ---  占いとは、キリスト教における悪しき法の一つである。  神官に預言を与え、清く正しく人々を導く任務(ミッション)を受け持つ聖霊の、預かり知らない未来予知。  2番目に悪逆な階級(スピリトゥス・メンダキオルム)を与えられるには十分すぎる理由であった。  一方、東アジア……特に中華文化圏における占いは自然科学であった。  厳密には占いに使用される陰陽、それよりさらに分かたれる四象、八卦等は世界を語る理論であり、時の皇帝達がこぞって利用してきたのである。  その中で、沢天夬 上六とは易と呼ばれる占いで出される結果の一つである。  国の民や王に例えられる6本の爻(横棒)のうち、上六だけが柔にして陰(邪)の形をしている。  想像力が逞しいならば、濁流に呑まれて口だけしか出ていない人間のようにも見えるだろう。  そもそも上六の位置は引退した王が、国の道理を導くべき者の場所であり、それは即ち…… ◆◇◇◇◇◇    その日いつもと違った事をしていた。  普段なら気にもしないような、教室の片隅にある万年欠席の、本当に寂しそうな机。  何故この机の持ち主が来ないのか、それとなく聞いたことがあるけど、お決まりの曖昧な顔で『知らない』である。  そりゃそうだ。私だって今この瞬間に気付くまで、存在すら知らなかったのだから。  転校したての私でさえこの有様ならば、どうして『彼女』を知っているのだろうか。  鵜坂七海(うのさかななみ)  彼女がどうしているのか知りたくて、具体的にはクラスの輪に入らずに何をしているのか知りたくて。  ふと覗いた自分のスマホの検索結果に、彼女と同姓の辻占のページを見つけてしまった。  住所も私達の学校の近くで、ドンピシャである。  ついでに言うと、私はかなり運が良い方だと思っている。  道を歩けば小銭を見つけ、適当に書いた数字が数日後に発表された宝クジの1等の番号と一致したり、取り敢えず枚挙に暇が無い。  そんな幸運を噛み締めるように、辻占のページに書かれた自然公園の一角へと歩いていく。  そうすると、友人単位のチャットに新しいメッセージが届く。 『あー暇、マジ暇!○●●とかで憂さ晴らししたい!』  ○●●とは全国にチェーン展開しており、学生に優しいお値段で周知されているカラオケ屋である。  テスト前で誰も付いて行ってくれないのが余程腹に据えかねているのだろう。  だけど今は、そんな彼女の愛らしい駄々っ子には応えられない。 『今日は用事あるからごめんね〜』 『用事って鵜坂の事でしょ?』  そう言われて少しドキリとした。それを見越してか『あんた顔に良く出るからね』なんて続けられる。 『それでさ、あんたには言うけど鵜坂さんはあまり関わらない方が良いよ』 『えっ?なんで?』 『鵜坂に近づくと、数日以内に死ぬって噂。あれマジだよ』 『え〜!うっそだ〜www』 『あたしの中学の時の親友、それで亡くなったから。本当に気をつけてよね』  ……。  …………。  ………………。  それは、とても………………。   ◆◇◇◇◇◇ 「えへへ……来ちゃった」 「……」  濃い茶色のロングストレートと沈んだように大人しいコーデ、更に天を覆う程の木陰の群れが、彼女に神秘性を与えていく。  澄んで、澄み切り過ぎて紅蓮の花を咲かせる程に冷たい淡蒼の瞳が私を射竦めている。  辻占と言うには余りに簡素な、公園にある長椅子にハンカチと竹棒がいっぱい入っている筒。それだけである。 「あなた、定塚星来(しょうづかせいら)さんね。あの、ギャグ補正レベルの幸運の持ち主って噂の」 「そそ! 覚えてるんだ、すっごーい!」 「何しに来たの?」 「そんなのさ、占ってもらいたいから来たんだよ。当たり前じゃん!」  鵜坂さんは、物凄く嫌そうな顔をしているが、そんなのは関係無い。  会えた時点で私の目標の半分は達成されたものである。 「言っとくけど、漠然に占ってって言われても私出来ないから」 「え、いいの? じゃあさ……」 「私の寿命占って」  今でもその時の彼女の顔を覚えている。呆気に取られているようで、呪縛されたように引き攣った表情。  やっとの思いで出会えた同胞が、悪魔ですら可愛く思える程の魑魅魍魎だった時の、そんな感じ。  そこからは淡々と、筒に入った数多くの細い竹棒を2つに分けて、片方を8つずつ置いていく。  それを2回繰り返して、3回目は6つずつに変わる。そうして鵜坂ちゃんがまた私の方に向き直る。 「本来、寿命はタブーなんだけど……そうは言ってられない結果が出たから特別に教えるわ」  そうやって、一枚の紙が手渡される。一番上だけ途中が切れている上に右隣に三角形がある6本の横線。  そうして、漢字だけしかない短い文章が書かれている。 「夬は王庭に揚ぐ、王様に直訴しないといけない程切羽詰まっている。恐らく6日以内」 「そして上六は『无號(泣き叫べず)。終有凶(凶災に見舞われて潰える)。』……変爻しても乾金で金気が免れられない。それに照応する五臓の肺に穴が空く」 「明日貴方は交通事故に遭う」  ………………。  その後、何故か記憶があんまり残っていない。あまりにも笑劇……もとい衝撃的過ぎたのか、現実感が喪失していたらしい。  それこそ、家に帰ったお母さんが心配するレベルであったらしい。 「大丈夫? 本当に心配ならいっぱい『おはらい』するから……」 「いいよ、そんな事しなくたって」 「やっぱり転校した方が…」 「お母さん!」  あれ? この時だけはっきり覚えてる。どうしてだろ。  転校なんていつもの事なのに、私に何か悪い事があればすぐに転校するのに。  本当に転校転校転校転校転校転校、転校転校に次ぐ転校転校転校転校。 「もう寝る」 「星来ちゃん……」  そのままベッドに潜り込むと、ようやく恐怖が追いついてきた。がたがた震える頭の中で、あの宣告を思い出す。  あの真に迫った、空気までピシリと凍りつく威圧感は、否応無く交通事故が真実である事を告げる。  でもこれで分かった。有紗ちゃんが私に噂話と注釈して話してくれた内容はどうやら正しいようである。  だから私は…… ◆◇◇◇◇◇ 「なーなーみーちゃーん!学校一緒に行こうよー!」  閑静な住宅街で、近くを通りかかったご老人がびっくりしている。  因みに、ここが鵜坂ちゃんの家とはまだ決まっていない。地図上であの公園の近くのポイントを適当に指して、こうしつ叫んでいる。 「貴方、近所迷惑よ」 「うわ! びっくりした、本当に当たってたんだ……」 「それよりも不登校の私がすんなりと出てきた事を疑いなさいよ……」 「えぇー! でも絶対学校に行くって思ってたし」  勿論、当てずっぽうである。私はコレを一度も外した事はない。  忌まわしいギャグ漫画補正が、この時ばかりは有り難かった。 「貴方、何握ってるの?」 「えっ……あっ!」  星来ちゃんへ  真っ直ぐ学校に行きなさい  そしたらいい事が起きるわよ 「ごめーん! 七海ちゃんに夢中でゴミ握りっぱにしてたの忘れてた」 「貴方ねぇ……」  そんな他愛もない話をしながら学校に着く。あのすっからかんだった席に七海ちゃんがいて、それだけで何かいい事が起きそうな気がする。  例えば、私が予言したアイスキャンディーにあたりの印字が無く、何も無い所ですっ転びそうになったり。  ギィィィイイイイィ 「っとぉ! すまんすまん、いつの間にチョークが折れてたの気づかなかった…」 「もぉー! 先生ったらードジっ子さんなんだからー!」  そんなごく普通の学生生活を、七海ちゃんと一緒に送っているだけで少しずつ胸が高鳴っていく。  そういえば置いてあった台車の取っ手に胸を強く打ってから、この気持ちが募るようになってきた。  あの微妙に嫌そうで、でも気遣わきゃなんて思ってる『大丈夫?』が可愛くて一生忘れそうにない。  そして、放課後。  七海ちゃんと帰ろうとしていた所を同級生の男の子に腕を掴まれて、廊下まで連れ去られる。  男の子は、恐ろしい表情で冷や汗が止まらない私を睨んでいる。 「おい! どういうつもりなんだよ!」 「どういうって……」 「とぼけんなよ、鵜坂連れて来たのお前だろ? お前のせいで……」  腕を捲った男子生徒は、その異常事態を私に見せつける。  まるで、おはぎのように真っ黒なシミが、腕にべったりと張り付いている。 「お前、知ってたんだよな? あの死神の事を!」  死神とは七海ちゃんの事である。即ち悪い予言しかせず、しかも的中率がほぼ100%。  男の子は更に七海ちゃんがお札を出すのが気色悪いだとか、目を離すとあのシミがあっただとか言い募る。 「ホント……死神なんか……」 「そうね、やっぱり私は来ない方が良いわね」  ふと後ろに、七海ちゃんが立っていた。二の句も継げず、そのまま立ち去っていく。  呆然と立ち尽くしていると、ふと寂しそうな背中を思い出し、居ても立っても居られなくなって追い掛ける。  そうして、あの自然公園の入口でようやく追いついた。 「どうして私を追って来るの?」 「友達だからだよ! まだ2日だけど、これからもっと仲良くなるの!」 「何それ……っ!」  呆れ果てた七海ちゃんの表情に明らかな恐慌が浮かび上がり、ふと『酉』とだけ書かれたお札を取り出す。  何故か、動悸と共に胸がちくちくと痛み出す。だんだん強く…! 「私、やっぱり友達なんか……」 「そんな事ない! 私、七海ちゃんのこ……」  ぅ゙ぐぇげぇぇえええっ゛え゛っえ゛ぇ゙!  わからない、よくわからない。  私が、自分で吐いた血溜まりの上に顔を埋めて、どうして面白気色悪い悲鳴をあげているのか  七海ちゃんが、泣き叫ぶような声で私を呼んでいる。  そうして、すべてがまっくらになった…… ◇◇◇◇◇◇  夢を見た。  嫌な予感を振り切ろうと必死に馬で駆けている途中、刀を持った男に襲われる、そんな夢。  応戦も叶わず、斬り殺される。吹き出した血飛沫が、桜の花のように散っていく。  あの時、助言を聞いていれば。今もこんなに急かさなければ。それにあの時だって……  地に落ちた桜花(血飛沫)は、句でそれでも美しいと詠んでおきながら、後悔と夜闇で穢く濁って見える。  本当に残念でしょうがない。  ああ……あんな事するぐらいなら……!  目が覚めると、病院らしき天井に、目に隈を溜め込んだ母の表情があった。  私の目が開いた事を察知するや否や、号泣して私を抱き締める! 「ごめんね星来ちゃん! 私の考えが甘かったばかりにこんな危険に遭わせて!」  私も、何故か涙が出始める。  医者の説明によると、私は肺を中心に夥しく内出血していたらしい。致命傷クラスのダメージで生還できたのは奇跡だと付け加えた。  原因は胸を強く打った事が大きいと語った。そういえば喀血する前に台車か何かに強く胸を打ったことを話すと、医者は渋面で納得の声を漏らした。  私は、そのままベッドから体を起こして周りを確かめてみる。それまで呆けた顔をしていた看護師が血相を変えて私を再び寝かせる。 「私、もっと頑張ってホロスコープ極めるから! そしたら星来ちゃんの凶兆もっと祓えるから! だから……だから…!」  母が意味不明な事を口走る。周りの人間たちが怪訝そうな顔をしている様子がありありと想像できる。  私だって意味が分からない。何しろさっき医者が言っていた「奇跡」も私が何事もなく体を起こしたことも、全て母の仕業であるのだから。  そう、私のギャグ漫画補正(あり得ない幸運)は、この女の占星術によって成り立っているのである。  なまじ腕が立つ故に、本当に私の不運を消し去ってしまえるのである。  あの忌々しい紙に従えば、私は人間じゃなくなる。  従わなくても、想定内と言わんばかりにギャグ漫画補正が付いてくる。  だから私はクラスで浮き続けた。  ある時は文化祭の劇の主役をじゃんけんだけで射止め、給食が原因となった食中毒事件に遭った時も、私だけが感染していなかった。  こんな風に他の皆が貰うはずだった幸運を何食わぬ顔で掠め取っていく私は、さながら悪い意味での魔女に違いなかった。  クラスから爪弾きになる度に、この女が導き出した星の力で、クラスの皆が相次いで不幸な目に遭った。  それでもいじめが止まらないものだから、これも星の力で何度も転校先を無理矢理選ばされた。  本当に忌々しい  だから、あの時。血を吐いて生死の境を彷徨っていた時、七海ちゃんの泣き叫ぶ理由が分からなかったのだ……  このクソ野郎の呪縛から解放されたのに、どうして悲しいの? 「ごめんね!星来ちゃん!うぁぁああああああん!」 「おかあ、さん……」  本当に、泣きたくなるぐらいに嬉しい。  ざまぁみろ ◇◇◇◇◇◆ 「七海ちゃーん! 学校行こ?」 「……」  暫くの間は、お互い話題が無いまま歩き続ける。それに七海ちゃんとしては罪悪感が残っている。  曰く、七海ちゃんの占いは悪い事だけ的中率が100%なのだという。  でも「貴方は明日死ぬ」と占ってそのまま帰してしまうのは寝覚めが悪いらしく、できる限り詳細に占ってアドバイスしていたらしい。  しかし、詳細に忠告すればする程「その通り」に死んでしまう。クラス中から嫌がられてしまったのはここが原因だと七海ちゃんが語った。 「ねぇ……もしかして、あのお札って方違なの?」 「ちょっと違うわよ……あれは……」  陥星鎮宅という、彼女オリジナルの呪法である。  七海ちゃんの占いは、七海ちゃんですらその対象にしてしまう。その被害から身を守るため、陰陽道を参考に編み出したのだという。  72柱あって人々を災いから守る結界となる鎮宅霊符を、九星八門二十四山二十八宿後天四方卦の合計73字で発動する。  一つ減らすと72柱となり鎮宅霊符となる。そして減らされた字の意味するものが結界内では消えて無くなる。  私が血を吐くときに取り出した符には酉と書かれていた。それは、その字のまんま鳥を意味するものであり、同時に金気を意味している。  自然の一部を封印する呪法が、災いたる金気の充満(喀血)を丁度良く防いだのだと説明を受けた。  私を守ってくれたのだと思い、七海ちゃんにお礼すると、難しい顔をされてしまう。 「ううん、陥星鎮宅は私しか守らない。だから、私は目の前で怨嗟の声を上げて助けを求める人を救えない」  七海ちゃんは私とちょっとだけ同じだったのだ。  目の前の人間を食い物に、自分だけのうのうと生きているのがとても辛かったのだろう。 「でも七海ちゃんは私を救ってくれたよ、色んな意味で!」 「何それ」  七海ちゃんが笑ったのを始めて目にした。  ぽかーんとしていると、顔を真っ赤にした七海ちゃんが、つかつかと早足で先に行く。  私と、七海ちゃん。二人いれば多分、普通の女の子になれる。そうかもしれない。  だから、私も七海ちゃんから離れない。陥星鎮宅が他の人にも効く手段を二人で考えていこう。 「そういえばさ私、今も七海ちゃんが好きなんだけど」 「……ッ!?」 「責任取ってくれる?」 「……夬の綜卦は天風姤よ。これは一人の女を5人で寄ってたかって醜く奪い合う、つまり悪い求婚を意味するものよ。だからノーカン!」 「えぇーほんとー? 破れかぶれじゃないの?」 「うっさい!」 END   あとがき(用語解説) 神通 ①神通力のこと ②川内型軽巡洋艦の2番艦の名前 ③長野県、富山県を流れる一級河川  旧名を売比川、鵜坂川という ④正法念処経に語られる餓鬼の一つ  神通力があり餓鬼道の苦しみから  逃れられるが、他の餓鬼の苦痛の  表情を見続けなければならない 定塚 ①日本の姓名の一つ  富山、東京、北海道に多い ②葬頭川(そうずが)が訛った言葉  即ち、三途の川である
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