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「すみません、ちょっと出掛けてきます」  土埃で汚れた身体をシャワーで流し昼食を済ませた進次郎は、いつも通りある場所へと向かう。この一年、余程のことがない限り続けている。 「……今日も行くのね。早く会えるといいわね。――今夜はお鍋だから、夕飯までには帰っていらっしゃいね」  高倉も起きていて、昼食は4人で摂った。翔の好物だというオムライスは、ダメもとでも頑張ろうと思う進次郎の背をそっと押してくれるような、そんな優しい味だった。 「進にいちゃん、頑張って!」 「気を付けて行って来いよ」  毎度のことだが、高倉家は全員が進次郎に優しい声を掛けてくれる。まるで、自分もこの家族の一員のような錯覚に陥ってしまいそうだ。  どこに行くのにも肌身離さず持ち歩くバックパックの内ポケットには、例の紙袋が入っている。中の箱を開け、そこから慎重に宅配便の送り状を取り出し住所と部屋番号を確認する――否、そんな面倒なことをしなくても、休日の度に訪れているのだから、既に進次郎の記憶の(ひだ)にはインプットされているのだが。  高倉の店は、新宿三丁目駅から徒歩数分の小さな割烹で、住まいは池袋駅から徒歩15分。古い住宅街の一角にあり、高倉の実家だが両親は既に他界しているらしい。住み始めてからこのかた、進次郎はターミナル駅まで歩くことを日課にしている。他にもバスや地下鉄という移動手段もあるが、運動不足の解消を兼ねてのことだ。  殆どが立ち仕事の料理人は、意外と体力勝負である。翔との野球練習も然り、進次郎は日々の生活で体力の維持に努めている。  池袋から長谷川の住む赤羽は、埼京線に乗ってしまえば8分ほどで到着する。  目的地に向かうため駅前から細い路地裏に入ると、小さな飲食店が所狭しと軒を連ねる。歩いていると、様々な料理の匂いに鼻孔を(くすぐ)られ、料理人の端くれとしてはいつでも興味深く感じる。しかし目的が違うため、往路では決して気を逸らさない。さらにずんずん歩いていくと、10分ほどで15階建てのマンションに到着する。エントランスに入り、集合郵便受けで【1106 長谷川】というプレートを確認し、大きく息を吸い込んでからそれをフーッとゆっくり吐き出し、テンキーで部屋番号の【1106】を押す。画面で番号が間違っていないことを確認した後、いざ呼び出しボタンを押す。  ――プルルルル……プルルルル……プルルルル……  ――プルルルル……プルルルル……プルルルル……  また、今日も会えないのだろうか?  ならば、いつ会えるのだろう?  しばらく待っても応答がないので、陰鬱な気持ちでマンションのエントランスを後にする。  その直前、手帳に【長谷川優太様 また来ます。 丸山進次郎】とだけ書き込み、それを破いて半分に折ったものを郵便受けに投函する。これも毎度のことなので進次郎の手帳はスカスカだし、もしも帰宅していないのだとしたら郵便受けの中は同じ文面のメモだらけなのではないかと、少しだけ心配している。  再会出来ない帰路は、いつでも足取りが重い。  夜遅くまで張り込んでいたい気分だが、以前マンションの住人に不審がられて警察を呼ばれ、職務質問を受けてからは短時間で離れるように自重している。  往路では興味深く感じる料理の匂いも、気分が落ち込んでいると鼻孔も擽られず、全ての意欲が失せてしまう――既に一年近く通っているのにもかかわらず、進次郎はこの界隈で一度も食事をしたことが無いのだ。
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