◆二.精神的にも物理的にも距離を置ける避難場所を作ろう

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◆二.精神的にも物理的にも距離を置ける避難場所を作ろう

◆精神的にも物理的にも距離を置ける避難場所を作ろう  子供の頃の私たちはある時期まで、親や先生と呼ばれる存在、その他多くの大人たちは、みんな立派で正しい存在だと思ってはいなかっただろうか。  それこそ『神様』のように、絶対的な強者で指導者で保護者として。  しかし個人差はあれど、小学校の高学年頃から中学生頃になれば、どうやら全ての親や先生、大人たちが立派で嘘をつかない存在では無いという事に気が付いてゆく。  だがその一方で、親には衣食住を、教師には成績や内申書などの、生存や人生に関わる重要な事は握られており、逆らえばそれらを取り上げられてしまうかもしれない恐怖を感じ始める。  そして親や教師らを含む心無い大人の中には、個人的な欲望を満たすために嘘や暴力で子供を脅し、傷つける輩までいるのだ。  もちろん圧倒的多数の大人が、良い人か普通の人なのだろうが、そういう人ほど馬鹿にされたり、我慢をしているように見える。  誰が悪人で、誰が善人なのか、どうやって見分けたら良いのだろうか。  気が付けば良いとされる『真面目に正直に』という世間のルールも表面的なもので、実は汚い事をして美味しい思いをし続けるクズも世の中に一定数存在するし、下手をすれば上層部にそんな人間が集まっている国や会社も恐らく少なからずある。  何よりも、必ずしも『心から愛し合っている両親』から子供が産まれてくるわけではなく、自分という存在も、全面的に世界から肯定されているわけではない事に気が付いてしまう。 「愛せないのなら何で産んだんだ? 何で造ったんだ?」という疑問を持ちながら、答えを聞くのも怖くて、いたたまれなくなる。  自分ではどうする事もできない矛盾に気づき、それでいてそこから逃げる事もできない。  そういう葛藤を抱え始めた時期を、第二『反抗期』と言うのだと私は思う。  さてそこからどんな大人になってゆくか。それには大きく分けて3パターンあると思う。  A.それが『現実』なんだと、諦めて受け入れる者。  B.自分の力でその理不尽な状況を変えてやる、と決意し行動する者。  C.みんな悪い事をしているのだから、自分だってそうして良いはずだと開き直って悪事を働く者。  社会的な構造のようでもあるが、子供の頃のクラスのいじめ問題など、誰でも似たような心理状態は経験した事があるのではでないかと思う。  そこからさらに大きく二分すると、自分が子供だった時にどう感じていたかを覚えていて、子供も一人の人格ある人間だと意識できる者と、大人になったとたんに自分が子供だった時の事を忘れて、子供は“子供だから”という理由で人間以下の扱いをしてしまう者に分かれると思う。  周囲の大人が後者ばかりだったとき、子供は「本当に自分が産まれてきて良かったんだろうか」と感じてしまうのかもしれない。  私たちが絶対に避けなければならないのは、もちろん『C.みんな悪い事をしているのだから、自分だってそうして良いはずだと開き直って悪事を働く者。』である。  自分自身がそうなってもいけないし、そういう人間の行動を許してもいけない。  なぜなら、善意の人間が食いつぶされて、この世界全体が生きとし生けるもの全てにとって、ますます『生きているだけで苦痛』な地獄のような場所になってしまうからだ。  AやBにも世間体やお節介、勘違いした善意の押し付け等で迷惑を被る事もないとは言えないが、後述する無神経さから心を守る切り替えの術などを駆使して、自分を守っていこう。  ちなみにCの言う“みんな”は、彼らにとって都合の良い“みんな”であって、けして数の上で多いわけでも世間的な統計の大多数でもない。はずだ。と思う。そう願う。  とにかく、『自分がしてはいけない事をしている』という自覚がないため、外面だけは良いし、むしろ自分は正しい、自分を怒らせた○○が悪いのだ、という考え方をする。  これが身体的な暴力や、心を傷つけられて毎日死を願うような精神的な暴力だった場合、あなたは無理せず、出来るだけ早いタイミングでその相手と距離を置く必要がある。  序章でも書いたが、その現場が家庭でも仕事でも学校でも、証拠集めは重要だ。  まず身内や信頼できる相手に相談するだけなら必要ないかもしれないが、法的に守ってくれる第三者機関が関わってくるとなると、いずれ証拠は必要になる。  携帯で録音やスクリーンショットを撮っておくにしろ、ノートなどの紙媒体に日記としてつけておくにしろ、うっかり消去してしまったり、もみ消されてしまわないよう、コピーは必須だ。  ネットに接続できる状況ならば、無料のブログやクラウドなどを利用して複数に予備保存しておくこともできる。  ネットで相手の実名を公表して世間に訴える事も可能だが、事実であっても相手から名誉棄損で訴えられることもあるし、裁判になった時に慰謝料の額を減らされることもある。同姓同名のまったく関係のない人物に迷惑がかかる場合もあるので、出来れば避けた方が良いと思われる。  証拠を集めたら、家庭内暴力や傷害といえるような暴力的ないじめなら、迷わず警察や保護施設等、法的に守ってもらえる機関に相談しよう。  例えばDV保護命令の申し立てをするにも、事前に女性相談センターなどに相談に行っておかなければならないようだし、その後に証拠の資料も必要になるらしい。  詳しくは都道府県やその時の条例によって変わるかもしれないので、とにかく一度は相談に行くか、調べてみてほしい。  会社なら上司の上司やコンプライアンス部、学校なら担任、スクールソーシャルワーカー、校長、県の教育窓口等、まずは自分が相談しやすい人から、その上の立場にいる人、公で相談を受け付けている専門機関など、複数に連絡をとる事も大事だ。  たまたま最初に相談した相手がこちらの話を大袈裟だと信じてくれない、事を公にしたくないからもみ消したいという人間だった場合、複数の相談実績を残しておくことは、あなたにとってプラスになるはずだ。もちろん、その時の相談内容も、録音するなりして、証拠として保存しておこう。  調べてみたのだが、現在では定員オーバーで保護シェルターに入れないこともあるようだし、保護申し立てをするにも、手続きがすぐに済むわけでもなさそうだ。  警察も、家族間の暴力ではなかなか動いてくれないこともあるようで、どうしたら被害者が本当に救われることになるのだろうと、心を痛めている。  簡易な手続きだけですぐに逃げ込めて、なおかつ安全に守られる施設や団体が、もっと必要なのではないかと思う。  例えば保護命令が出たのなら、免許証のような物が発行されて、見せるだけでホテルなどに無料で最短でも三泊程度はできる(料金はあとで施設側がまとめて国や自治体に請求できる)等、身近な宿泊施設などにすぐに逃げ込めるシステムを作るなど、何かもっと便利で早い避難場所を提供できないだろうか。  一定の使用料を決めておいて、国や自治体と契約した近隣のアパートの空き部屋や空家を利用できるようにするなど、何かもっと出来ることがありそうなのだが……。  本来は加害者側が拘束されて何らかのカウンセリングや心の治療を受けるべきなのだろうが、それも今の法律では難しいのだろう。開かれていて、なおかつセキュリティの高い居場所を被害者の人たちに用意出来たら良いのだが……。  傷ついて生きてきた人たちなら、そういう施設を管理するにしても、その人たちをそれ以上傷つけたりしないだろう。  クラウドファンディングなどで避難場所を作ってあげられるかもしれないし、もし良いアイデアがあれば、ネット上でどんどん発信してほしい。せめて多くの人が声をあげて問題提起していけば、政治や法律を変えるきっかけくらいにはなるかもしれない。  次は自分自身がそこまで波風を立てたくない場合に出来ることを考えよう。  逃げたくても逃げられない状況もあるし、あと数か月から数年待てば、相手から離れられるという状況もあるだろう。  一緒に暮らしていて、無視すれば相手が怒るという場合でも、例えば『勉強する』『宿題する』『資格をとる』等、今自分が頑張れば今後相手のためにもなりますよという態度で、やんわりと距離をとって出来るだけ一人の時間と一人の居場所を確保するのはどうだろう。  それでもどうしても嫌いな相手、一緒にいると死にたくなるような相手だが、必ず関わらなくてはならない、毎日のように一定時間顔を合わせなくてはいけないという時には、ユーモアとスピリチュアルが役に立つ。
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