第四章:一度しかない自分の人生を怒りで満たさないために◆一.まず、赦せない自分を赦そう

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第四章:一度しかない自分の人生を怒りで満たさないために◆一.まず、赦せない自分を赦そう

◆まず、赦せない自分を赦そう  まず、死にたい自分を赦そう。  そして、死ねない自分も赦そう。  最後に、赦せない相手を赦せない自分も赦そう。  自分で意識出来ているにしろ出来ていないにしろ、『死にたい』自分になった原因が、人生のどこかで起こっているはずなのだ。  大抵の場合、自分自身が何か失敗をして責任を取りたいというような贖罪の気持ちからよりは、誰かに理不尽な扱いを受けたとか、何か酷い言葉や暴力で傷つけられたからこそ、そしてその傷がまだ癒えていないからこそ、死にたい自分の心から抜け出せなくなっているのではないだろうか。  また、もし自分自身のした事が赦せないのだとしても、長い間死を望むほどに苦しんできたのなら、これから善行を積むなどして自分を赦せる道を探しても良いのではないだろうか。  その理由が解って、必要以上に自分を責める必要が無い事が理解できても、長年の思い癖はなかなか抜ける物ではない。自分に出来る範囲で、少しずつで良いのだ。  私自身も、今でも死にたい気持ちになる事はある。  具体例は書けないが、死にたい原因になった相手やそれを思い出す出来事などに出くわすと、今でも数時間から数日、死にたい気持ちに襲われることはある。  それでも、以前ならほぼ毎日死にたいと思っていたのが、数日や数時間に短縮できるようになったのだ。考え方やショックを受けた出来事は変えられなくても、気持ちを切り替える癖をつける事はできる。  時には『死にたい』自分のままでも、生きていっても良いのだ。  また、もし自分の人生の中でこれという明確な死にたい理由が無かったとしても、現在の『人間』、『人類』そのものの在り方に、疑問を持ったり、罪悪感を感じている場合もあるだろう。  人間や人類そのものに絶望する、その気持ちも非常に良く解る。  世界的なパンデミックが起きた今現在でさえ、暴動やクーデターを起こし、弱者を踏み台にして暴力で権力を得ようとしている人間もいる。正直、私はもう少しマシな人類の選択を期待していた。せめてこの世界的なパンデミックが終わるまでだとしても、世界的な停戦協定を結び、軍事に使用される経費などを感染症や貧困からの救済に向ける方向に動くべきだと、今でも思っている。  そうでなくとも、虐待やイジメすら無くならない世の中なのだ。  気に入らない相手や意見の合わない人間は誰でもいるだろうが、必要以上に相手の尊厳を貶めたり、肉体や心を病むまで痛めつけて追いつめる必要などどこにもないだろう。  理性でそれが止められないのなら、人間はすでに動物以下の存在だと、私は思う。  だが少なくとも、そこに疑問を感じることが出来る人間、そういう現実に傷つける人間こそ、死なずに生きてほしい人たちなのだ。そういう人達なら、仮に自分を犠牲にしてでも、弱者や人間以外の存在、動物や植物を守る存在になれる可能性がある。  繰り返して言うが、だからこそ、この世界に絶望できるほど心の美しい人は、むしろ生き残ってしかるべき存在だと思うのだ。  そして、人として決して赦すべきではない相手もいる。  どんな綺麗ごとで塗り固めようとも、赦されない罪はある。  自分自身も含めて、誰かを恨んだり、憎んだりしていないと生きていけない時期もあるのだ。  時には、お酒や薬で心をごまかしたり、自分を傷つける事によってようやく自分を保てるという事もあるだろう。  誰かや何かに怒りや恨みを抱えている時よりも、それらも全て自分が悪いのだ、理不尽な出来事や酷い相手に自分は負けたのだと思い込んで、何もかも諦めて無気力になっている時の方が危険なのだ。  例えば、転んで骨折して足が痛い時、自分が傷ついているのはとても解りやすい。  だが、もっと大きな怪我、神経を切断してしまうような大きな事故にあった時には、自分が傷ついているかどうかも解らない事がある。  心もそれと同じで、自分で気付いて乗り越えられる程度の怒りや憎しみ、苦しみもあれば、気付かないうちに自分ではどうしようも無いほどに痛めつけられている事もあるのだ。  体の傷なら目に見えるが、心の傷は他人からはおろか、自分自身でも見えない。  だからこそ、自分自身が「今はもう何も感じていない」、「誰にだって日々、我慢していることくらいあるはず」と思って気にかけないでいることが、心が麻痺するほど致命的な傷になっているのかもしれないのだ。  悲しい事に現実では、そんな風に自分を害した人間や、どう考えてみても悪人だが、産まれついての立場や地位の高い人間、声が大きく嘘を堂々とつける人間の方が持てはやされ、成功しているかのように見える事もある。  そんな時は、まさに『神に見捨てられた』ような気がして、自分が惨めで、この世に存在しない方が良い存在なのではないかと感じるときもある。  それでも自分自身や、自分よりもっと弱い存在に当たっても、解決しないどころか、それを行動に移してしまった時にこそ、本当に生きている価値のない人間になってしまう。  赦すか赦さないか、仕返しするかしないかは別として、自分自身の人生において、死にたくなった根本の原因である本当に赦せない相手を特定しないと、怒りの矛先をどこに向けて良いのか解らないまま苦しみ続けることになるのだ。  まずは、自分にとって最も赦せない相手や物事を、はっきりさせよう。  そして、もしいつか自分の痛みが、他の誰かの痛みや苦しみを救える程度にまで緩和されたなら、自分の痛みに気付けない程傷ついている、その人たちを救うために手を差し伸べよう。  出来ないのなら、そういう痛みを理解して、共感するだけでも良い。  経験しようのない他人の人生や他の生物の一生だが、私たち人間は、それを想像して思いやる事が出来る。それが、私たち人間のさらなる進化に繋がる最高の能力なのだと、私は信じている。  怒りや憎しみの心さえも、攻撃するだけでなく、世界を変えて、自分と他者を守るために使えるのだ。
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