◆三.スピリチュアルな考え方と、笑いを取り入れよう

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◆三.スピリチュアルな考え方と、笑いを取り入れよう

◆スピリチュアルな考え方と、笑いを取り入れよう  私はずっと、自分が『失敗作』のような気がして生きてきた。  それはこの世界で人間として生きること自体が酷く間違っているような、「自分がここに居ても良いんだろうか?」というような、日常的な不安であり違和感だった。  幸いにも、そもそもなぜこんなにも自分自身が嫌いで常に死にたい人間になったかという根本原因が解ってから、日常的な『死にたい』気持ちはほとんど消え失せたが、そうなってみて初めて、たとえ自分が『失敗作』だったとしても、作られた側としてはどうしようもないのではないかという事実に気が付いた。  例えば、プラモデルや人形を作った人間が出来の悪い作品を作ってしまったとして、その作品に向かって、「お前は失敗作だ!!」とキレたり怒りをぶちまけていたとしたら、異常なのはその作品自体ではなく、キレ散らかしている制作者本人の方だと思う。  同じように自分の両親がもしあなたに対して、「お前は失敗作だ」「産まなきゃ良かった」「作るつもりじゃなかった」「お前さえいなければ……」等の暴言を吐いたとしても、それはあなた自身の罪ではなく、制作者である親の罪である。  そして、もし一時的な親子ゲンカや、感情のもつれで思ってもいないことを言ってしまったのだとしても、少なくともその瞬間は、その人はあなたの親である資格はないのだ。  私は漫画や小説でキャラクターの人格や人生を産み出すが、上手く書けなかったとしても、自分の分身であり子供でもあるキャラクターたちに、キレたり責めたりすることは決してない。  当たり前の事だが、つまりそういう事なのだ。  自分の子供に対して、理不尽な怒りを向ける親は、まともではない。  悲しい事だが、優しくて善良な人間だけが親になるわけではない。  もし自分が生きていてはいけないような気がする原因が、幼い頃から生みの親や育ての親にとられてきた態度やかけられてきた言葉にあるのなら、それはもう無視して良い。  この世界に産まれてきてしまった根本原因は、あなたには、ない。  さて、そんな親でも、あなたがまだ子供だったり、介護や金銭的な理由その他で同じ住居に暮らしながら、離れるに離れられない場合。  また、離婚したくてもできないDV旦那との暮らしだったり、とんでもないモラハラ・セクハラ上司やお局さんと毎日のように顔を合わせて一緒に働かなくてはならない場合。  そんな風に、すぐには逃げたくても逃げられない時には、心の切り替えが必要になってくる。  それには、大きく二つに分けて、ユーモアとスピリチュアルな考え方が有効である。  笑いには瞬間的に気分を変える力があるし、神秘的な出来事や人知を超越した考え方には、こんな理不尽な世界でも、それに耐えうる合理的な理由を与えることが出来るからだ。  もちろん、それは真実でなくたって良い。  誰かに説明する必要もないし、自分自身、心から信じていなくたって良いのだ。  もし自分がそれで上手くいったとしても、他人に押し付ける必要もないし、考え方が変わったのなら、無理に続けていかなくても良い。  人生の辛い一時期、あなた自身を助ける考え方が出来れば、それで良いのだ。  念のため言っておくと、正面を切って戦う方法もあるにはある。  外面ばかり良くて強い者には卑屈なくせに、弱い(大人しい)人間には陰で怒鳴ったりいじめたりするようなやつには、『相手以上にキレる』という怒り方が有効な時もある。  私はこの方法を(母も兄も守ってくれなかったため)小学校一年生の時、男子数人を相手に自ら編み出して以来、簡単には虐められない自分のキャラを作り出したし、大人になった今でも父があまりにも理不尽な事をやらかした時等、年に3回ほどは吹き出す怒りと共に使用する。  例えば父が、水道の水を出しっぱなしにした時。  ここ数年の話だが、半年の間に十数回程度、ありとあらゆる水を出しっぱなしにしていた。  手を洗った水道の水から、お風呂に貯めるお湯(説明すると長いので省略するが、何故か勝手に物凄く早い夕方4時頃などの時間にお湯をはり始めていた。)、庭の植木にかけるジョウロの水に、ホースの水など。  母と私が買い物から帰ってきた時に溢れかえっている事に気が付いて、「いったい何時間水を出しっぱなしにしていたんだろう」という事も多々あった。  いくらうっかり、わざとではないと言えども、認知症の祖母よりも、よほど酷かった。  基本的に私が言っても無駄なので母から軽く注意はしてもらっていたが、それでもある日、台所の水が最大量で出しっぱなし(もちろん、シンクに洗い物などは何もない状態)になっていたので、さすがに今までの事も含めて注意すると、「俺が使ってるから良いんだ!!」との意味不明の怒号が返ってきた。逆ギレも良いところである。  そこで私はこう返した。 「良い訳ないでしょう? お父さん」  という冷静で美しい言葉×少年漫画の戦闘シーンさながらの怒りと口調で。  つまり、「良いわけねぇだろ、この(自主規制)がぁ!!」のように。  おかげで、父は私には滅多に怒鳴らないし、これをやると、暫くは完全に黙る。  そして、この時を境に水の出しっぱなしは無くなった。  つまり、父の場合はやはり認知症などではなく、注意不足という本人の意思一つの問題だったわけだ。たまにはこうして、こちらが本気で怒る事で解決する悩みもある。  酷い娘だと思われるだろうが、こちらは一年365日、毎日父の怒鳴り声を聞かされてきた身なのだ。もし私が理不尽に怒鳴られても、何も言わずにただただ泣いて耐えるような性格だったら、父の良いように蔑まれ続けていたかもしれない。  こちらは波風を立てたくないから滅多に怒らないだけで、戦えないわけではないのだ。  ただしこれは、『相手と刺し違える覚悟』をもって、まさに相手も自分も死んでも構わないという気迫が伴わないといけないので、『少しでも相手の気に入らない事をすれば暴力を振るわれる』『子供を人質にとられている』というような状況の人には難しいと思う。  そして常に相手よりもキレ散らかして怒っていたら、私の父のように、誰よりも人から疎まれるような人間になってしまうだろう。  逆に相手にあえて怒らされたり、普段は耐えているのにたまたま本気で怒った、そんな時に限って相手に録音でもされようものならば、自分にとって不利な証拠とされてしまうかもしれない。  冷静に相手と戦う事が出来る人ならば捨て身で立ち向かう事も可能かもしれないが、そもそも私は、善良な人に怪我をしたり亡くなったりして欲しくはないのだ。  そのため、これから言う方法は、あくまでも表面上事を荒立てずに、自分の命を守りながら死にたくなる程嫌いな人間と共にある時間をなんとか乗り切る考え方という事でご了承いただきたい。  まずはスピリチュアルな考え方。  昨今では霊的な事やオカルトに興味を持たない人にもすっかり有名になった、『引き寄せの法則』を活用してみよう。  引き寄せの法則をざっくり説明すると、叶えたい願いが“すでに叶った”事にして感謝すると、そのような現実が引き寄せられる、というものだ。  つまり、相手に死んでほしいと思うのなら、“相手はもう死んでいる”事にして、「今まで本当にありがとう」と、あえて感謝の気持ちを伝えてみるというようなやり方だ。  相手に面と向かって憎悪を込めて「死ね!」と言ったり願うよりは、はるかに健康的な考え方ではないだろうか。  もちろん、「相手の性格が良いほうに変わってくれた」とか、「嫌がる事をやめてくれた」とか、もっとソフトな願い方でも良いだろう。  もう一つは、『相手を赦したとたんに罰が当たる』という考え方だ。  例えば「本来ならば生涯愛し合い、慈しみあえるはずだった関係の人間に、死ぬほど憎まれている」という現実そのものが、相手への神様からの最高の罰だったとすると、どんなに願ってもそれ以上相手に対する罰は与えられないことになる。  個人的に意外とこれは現実に起こる事なのではないかと思うのだ。  実は私も人生のうちで何度か父を赦そうと思った事はあるのだが、そのタイミングで父が怪我をしたり、事故にあったりしているような気がするのだ。命の危機というほどのものではないが、ひょっとしたらこちらが怒りや憎しみを手放した瞬間に、神様からの罰が当たる事もあるのかもしれない。  ここで大事なのは、相手が現実にどうなるかというよりも、自分の心が相手への憎しみで食い潰されないよう、考え方を切り替えるという事なのだ。  何度も言うようだが、人を死に追いやるほど無神経な人間は、どれだけ憎まれたとしても、ノーダメージなのだ。やれと言ってもやらないし、やめてくれと言ってもやめはしない。  あなたの心や精神状態を安全に保つために、少しでも早く心を切り替える事が必要なのだ。  心から自分の死を望んだことがある人には理解できると思うが、自分自身も他人も、憎みながら生きるよりは、死んでしまった方がずっと楽になれる気がするのだ。  だからこそ脳の中でこれ以上、相手に繋がる回線を強めてはならないし、相手が目の前にいない時間までその事について考える事は避けねばならない。  自分が相手にされた嫌な事を思い出しそうになったら、全ての怒りを込めた状態で、「今この瞬間だけ赦す!」と叫ぶのも良いだろう。  声に出せればそれに越した事はないと思うが、できない状況ならば心の中だけで。  もしこのやり方で効き目があるようならば、「今この瞬間」から「今から一時間」、「今日一日」は赦す、というように徐々に時間の単位を伸ばしてゆくのも良いかもしれない。  そしてユーモア、笑いは大切である。  いくら「あなたの後頭部って、金属バットが良く似合いそう♪」と思ったところで、本当にやってしまったらあなたが加害者になるのだ。  正当防衛で身を守るためならば止めないが、多少ブラックでも、自分の中で笑いに昇華してしまった方が、あなたの人生のためには良いと思う。  逃げ場が出来るまでの時間をなるべく穏便に過ごしたい人には、頭の中で相手に『黒いリボン』をかけてあげる事をオススメする。  そう、お葬式の写真で使われる、あの黒いリボンだ。  今思わずとても爽やかな良い笑顔が出てしまった人、お気持ちお察しいたします。  物凄く嫌いな相手に毎日対峙しなければならない時、それでも自然な笑顔を作らなければならない時に妄想してみよう。ただし、スマホアプリなどで写真を合成したりはしないように。  あくまでも、頭の中でだけだ。  言うまでもなく形に残してしまえばこちらに不利な証拠になりえるし、下手をすれば悪質な合成写真が逆にイジメの材料になってしまう。それは私の望むところではない。  ちなみに、私が時々物凄くムカついて何とか自分の機嫌を直そうとこの想像をするのも父に対してだけなので、今までの人生の中で私に笑顔を向けられた皆さん、安心してください。大体は心からの笑顔か、ただの作り笑いです。  上手く想像できない人や、とにかく強制的に笑いたい時は、自分の笑いのツボ写真や、思わず吹き出してしまったくらい面白いお笑いの一場面を言葉にして思い出すようにしてみよう。  こちらは別に誰の害になるわけでもないので、スマホの壁紙にするなりしても大丈夫だ。  私が思い出して今でも笑えるのは、『凶悪なリス』と日本語で全面に印刷された、海外セレブのお姉さんのドレス姿だ。あれは一体何だったのだろう。  今ネットで検索してもなかなかその写真に辿り着けないのだが、本当にあのデザインは一体何だったのだろう。もう一度見たいのだが、どういう経緯でその写真を見る事になったのかも思い出せない。残念だ。  他人を馬鹿にしているわけでは無いが、そういったオシャレだったりカッコいい外人さんがおそらくはウケ狙いでなく、純粋に変な日本語のTシャツを着ている写真などは、私の中で沸点が低い吹き出しポイントだ。皆さんもお好みで、「どんなに機嫌が悪くても、これを見たら確実に笑う」というような写真や言葉を見つけてみてほしい。  ちなみに私の今のお笑いワードは、『ソンニバルさんのイカレポンチ』である。解る人は解るかもしれない。『勉強させていただきま』した。
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