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 大学の敷地を歩きながら、汐月(しづき)は胸を弾ませていた。  緑が多い道は、穏やかな日差しに照らされて、世界が明るく見える。  日本を出て二ヶ月がたち、この国の暮らしにも、留学先の大学にも、やっと慣れてきた。  まさかこの大学に一時期とはいえ通えるなんて、と幸せを噛みしめる。有名大学に留学することができ、日々興味深い授業を楽しみながら学んでいた。  今日の授業も楽しみだなあ、と歩いていると、前を歩く男性のポケットから何かが落ちた。とっさに汐月はそれを拾って、男性の背に声をかける。  男性のことをきちんと見なかったのがいけなかった。振り向いた顔はモデルのように整い、垂れ目が色気を含んでいる。ウェーブのかかった茶髪が動きに合わせて揺れた。すらりと背が高く、高級そうな服に包まれている身体は筋肉質で、男性フェロモンをこれでもかと溢れさせていた。  振り向いたのは、世界的に有名な企業の息子だった。  何度か同じ講義を受けたことがあるが、同じ金持ちの派手なメンバーに周りを囲まれる姿は、見るからにカーストの一番上だった。  そんな存在に話しかけてしまったことに、やってしまった、と頭を抱えたくなる。だがもう遅く、男はこちらに近寄ってきた。  もうこうなったら早く終らせよう、と顔を少し俯かせて落し物を差し出す。 「あの、これ」 「ああ、学生証か。ありがとう」  すぐに男性の手が落し物を取っていった。どうやら彼の学生証だったらしい。  普通に渡せたことにほっと息を吐こうとしたが、なぜか男は目の前にずっと立っている。なんだろう? と見上げると、美しい青色の瞳と視線が交わった。 「名前は?」 「え?」 「名前、なんていうんだ?」 「し、汐月」 「シヅキ」  男が噛み締めるようにゆっくりと汐月の名前を呟いた。  そして目を細め、片手を差し出した。 「俺はリアム。よろしくな」 「よろしく……?」  よくわからないまま手を取り、握手を交わす。  これがリアムとの出会いだった。 ***  授業が終わって教科書を鞄にしまっていると、教室の入り口が騒がしくなった。  目を向けた先には派手なグループがいて、入り口付近にいられると困るなあ、と気分が沈む。  男女合わせて七人いるグループの中に、リアムの姿もあった。彼は誰かを探しているのか、腕に絡みつく美女に構わないできょろきょろと教室を見回している。  ふと視線が合う。その瞬間、リアムが瞳を輝かせた。 「シヅキ!」  手を振りながらこちらに近寄ってくる彼に、汐月は目を見開いて固まる。 「シヅキ、次の時間の授業はとってないだろう?」  汐月の隣で足を止めたリアムが話しかけてきた。教室内がざわつくのがわかる。  質問にしてはもう答えがわかっているような訊き方で、なぜ自分の予定が把握されているのだろう、と疑問が沸いたが、それを訊く勇気はない。 「ないけど……」 「外に昼飯を食べに行こう」  突然の誘いに頭が混乱する。困惑しているのはリアムの友人も同じようで、たくましい腕に絡みつく美女が怪訝な顔をした。 「誰? こいつ」 「シヅキ。俺の落し物を拾ってくれた」 「ふうん。まあ今日だけは一緒でもいいけど」 「ああ、言ってなかったな。俺、今日はシヅキと二人で食べに行く」 「え? なんでよ?」  美女が焦りを顔に浮かべる。リアムはその問いには答えずに美女の手を腕から外し、汐月の鞄を持った。 「ほらシヅキ、時間なくなるぞ」 「え、あのっ」  リアムは鞄を左手に持ち、右手で汐月の手首を握って引いた。されるがままに席を立って彼の後をついていく。  たくましい身体が動くと、香水の良い香りがふわりと鼻を掠め、混乱する中その香りと手首の熱だけが妙にリアルだった。
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