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 八月に二つの課題が片付いた。  四年後期の授業料を払える目途がついた。そして、本命の企業に内定をもらった。  内定通知を手に持ったまま、佑生は悠真に電話をかけた。すぐに彼は出た。  挨拶や天気の話をする余裕はなかった。 「内定もらったよ。会いたい」  言ってから、これが自分の本音なのだと痛感した。 「うん、俺も会いたい。今すぐ」 「じゃあ、今すぐ会おう。コスモランドの観覧車の前で待ってる」  奇しくも今日は八月の三日。花火大会が行われる日だった。  佑生は財布をデイバッグに入れて背負い、玄関から外に出た。  一時間十五分後、約束の場所に悠真はやってきた。 「遅くなってごめん」  肩で息をしながら悠真が言った。彼の額には汗が浮いていた。駅からここまで走って来たのだろう。 「謝らないでよ。すごく急いでくれたって、わかるから」  ――俺に少しでも早く会いたいから、だよな。  もう卑屈になるのはやめようと思った。悠真の表情、言動を素直に受け止めたい。 「仕切り直ししよう。ここで」 「仕切り直し」  悠真がおうむ返しで答えるので、佑生はちょっと笑った。 「そう、仕切り直し」  会えて嬉しい、ちゃんと話したいよ。そんな気持ちを込めて思いっきり笑う。  すると、悠真の顔が真っ赤になる。  十五分待って、二人は観覧車に乗り込んだ。  時刻は十九時二十分。もうすぐ花火が打ち上げられる。  佑生は悠真の隣に座った。男二人だとけっこう狭い。 「俺から話していい?」  そう断りを入れてくる悠真の表情は柔らかかった。佑生の態度が軟化したからだろう。 「いいよ」 「ありがとう。俺、佑生が去年帰省してたとき、地元の友達と飲みに行ってたんだ」 「うん」  佑生はジッと、悠真の顔を見ながら頷いた。彼が照れたように目を伏せて、話を続けた。 「かなり酔うまで飲まされて。そろそろ帰ろうとしてたときに、積極的な子が近くに寄ってきて」  その時のことを思い出したのか、悠真の表情が沈んだものになる。 「ホテルに行こうって誘われた」 「そう」  こういう話の展開は予測できていた。だから驚きはしなかったが、やっぱりへこむ。 「ホテルには行った。腕引っ張られて連れて行かれた感じだけど、断ろうと思えば断れたんだ。ごめん」  悠真が頭を下げてくる。なかなか顔を上げないので、佑生から「もういいよ」と言ってあげた。 「したんだよね?」 「最後まではしてない。触るところまで」 「ええ?」  わざと怪訝な声を出す。ホテルまで行って最後までしないって。あんまり無いことだと思った。 「本当だよ。勃たなかったんだ。酒が入りすぎてたし、彼女の体を触っても反応しないし、佑生の顔がちらついて、そういう気分になれなかった」 「でもLINEで気持ちよかったとか」  スマホ見せて、と目で訴える。  悠真が素直にスマホを出して、LINEを開いた。すぐに件のやり取りが映し出される。 『昨日はごめんね』 『いいって。すごく気持ちよかったし』  何度見ても嫌な気分になる。 「ごめんねってどういう意味?」 「勃たなくてごめんって意味だよ」 「気持ちよかったって書いてある」 「指でイかせたからじゃないかな」  生々しい話になって、佑生はうんざりしてきた。自分から聞いておいてアレだが。 「ごめん、もう二度とこんなことしない。飲みに誘われても断るから」  だから許してほしい、と悠真が呟いた。また項垂れる。 「うん、二度としないでね。許すから」  佑生は許すと決めた。最後までしていないという言葉を信じようと思う。 「でも悠真って、気遣いが凄いよね。誰にでも」 「そうかな」 「フォローしてるじゃん。勃たなくてごめん、とか」  一晩限りの相手にもここまでできるとは。 「いや、気遣いとかそんなんじゃないよ。この人、電話を何度もかけてきてしつこかったんだ。昨日最後までしなかったから怒ってるのかと思って、ごめんってメッセージを送ったんだ」 「ああ、なるほど」  だいぶ全貌が見えてきた。自分から謝って事態を終結させようとしたのに、彼女が悠真の意図を読めずにLINEを返してきた。そしてまた電話をかけてきたので、悠真がキレて『もう連絡してくるな』とメッセージを打ったのだ。 「会ってない間、どうしてた?」  佑生は思い切って聞いてみた。これも気になっていることの一つだった。  大学で同じ授業を受けることはあったが、視界から消していたし、一切話をしなかった。悠真の状況を全く把握していなかった。 「俺もバイトしてたよ。宅急便の仕分け」 「え、ずいぶん地味だね」 「接客業は嫌だったんだ。高校のときストーカーされたことがあって」 「そっか……」  ルックスが良すぎるのも考え物だなあ、と少し同情した。 「バイトして金を貯めたかったんだ」  真顔になって、悠真が佑生の肩に手を置いた。 「お金は受け取らないよ。ちゃんと自力で貯めて払える目途がついたし」 「うん、わかってる。あんな失礼なこと言ってごめん。佑生は自分ひとりで解決したかったんだよね。俺が口出しすることじゃなかったのに、土足で踏み込んだ」 「良いんだ、もう。あの時は悠真も余裕がなかったんだよね」  時間と距離を置いたせいだろうか。悠真の言った通り、冷静に話せるようになっていた。相手の気持ちにも寄り添えるようになっている気がする。 「お金を貯めたかったのは、佑生と一緒に暮らしたかったからだよ。2Kぐらいの間取りのアパートを借りたくて」  どうかな? 駄目? と悠真が目でお伺いを立ててくる。少し不安の混じった茶色い目に、佑生の胸はきゅっとなった。  承諾の言葉を口にしようとして、でも留まる。その前に言って欲しい言葉があった。 「好きって言ってくれたら、いいよ」  自分の希望を伝えた。もう遠慮もしないと決めたから。 「――言ったら信じてくれる?」  悠真が目を細めて問うてくる。  泣く寸前のような切ない目だった。  ――悠真はちゃんと気がついていたんだ。  佑生が素直に、悠真の言動を受け止めていないと。  一年前の自分だったら、彼に「好き」と言われても信じられなかっただろう。どうせ他の子にも言っていると決めつけて、素直に喜べなかった。優しくされても、何度セックスしても心のどこかで信じていなかった。自分は彼の特別じゃない、と強く言い聞かせて。  心に予防線を張っていたのだ。悠真を信じきって心を明け渡したら、裏切られたときに立ち直れないから。  ――俺だって真っ向から、悠真にぶつかっていかなかった。  お気に入りの一人でもいいとか、いつかお気に入りから外されても傍にいたいとか。見返りを求めない自分に酔っていただけだ。健気でも何でもない。ただ臆病だっただけ。みっともない自分を晒したくなかっただけ。 「信じるから、好きって言って。それで、俺だけを見て欲しい」  しっかりと悠真の目をみて話す。 「佑生だけだよ」  両の頬を大きな手で包み込まれ、そのまま顔を持ち上げられる。 「好きだよ」  悠真の澄んだ声が、佑生の胸にストンと落ちてくる。 「俺も好きだよ」  佑生の告白に、悠真が嬉しそうに目を細めて、顔を近づけてきた。二人の唇が重なったその時、外から聞き覚えのある爆発音が鳴った。花火だ。  佑生はハッとして、悠真から顔を離した。 「花火見よう、花火」  窓の外を指さす。漆黒の空に、光の束がチカチカと輝いている。ミラーボールのようだった。 「きれいだね」  どこか不満そうに口を窄める悠真に、気にせずに笑いかける。  これを観て仕切り直しをしたかったのだ。  恋人になった一日目なのだから。 「俺は花火を見るよりキスがしたいんだけど」  強引に顎を持ち上げられ、今度は深いキスを仕掛けられる。 「ん、ん」  佑生は悠真の首に腕を回した。  ――ちょっとだけでも見られたし、ま、いっか。  舌が蕩けそうなほど甘いキスに、花火の音も、ここがひと目のある場所だということも気にならなくなっていく。  ふたりは観覧車が地上に降りるまで、キスを繰り返した。了  ※8/21 お読みくださりありがとうございました。スター特典をつけました。
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